ダイバーシティの実現
──まずは須藤さんが現在取り組んでいる活動について教えてください。
我々の目指しているのは障害者も健常者も、マイノリティもマジョリティもすべて当たり前のように混ざり合っている社会の実現、すなわちダイバーシティの実現です。そのために2002年に国内外のクリエイターとともにソーシャルプロジェクト「ネクスタイド・エヴォリューション」(NexTidEvolution・以下、ネクスタイド)を開始しました。プロジェクト名はnext(次の)とtide(潮流)とevolution(進化・形成)をくっつけた造語で、次なる潮流を進化・形成していこうという意味を込めて名づけました。ネクスタイドの活動は国内外に及んでおり、日本には渋谷区神宮に東京ブランチが、アメリカにニューヨークブランチがあるのですが、去年(2012年)10周年を迎え、ストックホルムにブランチを立ち上げました。
ネクスタイドは「意識のバリアフリー」をコンセプトに、「違いは個性、ハンディは可能性」をキャッチコピーとしているのですが、従来の福祉的な事業との最大の違いは、同情や慈善、慈悲ではなく、ファッション、デザイン、エンターテインメント、スポーツといったワクワクするコンテンツをツールとしてダイバーシティを実現していくという点です。この思想を我々は「ピープルデザイン」と呼んでいます。
ピープルデザインは、
1)ファッション・インテリアデザインとして洗練されている
2)ハンディを補う機能や、社会の課題を解決する要素がある
3)第三者への配慮・共存・共生への気づきがある
この3つの条件のうち2つ以上を満たすプロダクトデザインやサービス・役務と定義しています。簡単にいえば日本人がそもそももっている思いやりの心を具体的な"行動"に換えてさまざまな人が生きやすい社会をつくっていきましょうというメッセージ活動です。また、社会課題を解決することで本業の収益を上げていく、ソーシャルイノベーションの柱のひとつとして企業の皆様と協業しています。この活動をさらに広げるため、昨年(2012年)NPO法人「ピープルデザイン研究所」を設立しました。ネクスタイドの活動から生まれたダイバーシティの概念、つまりピープルデザインという思想を使って非営利で今後の未来を作っていこうとする団体です。
そしてこれらの活動を支えるフジヤマストアという会社を経営しています。大手企業をクライアントとしたマーケティングや経営・人事コンサルティング、社員教育などを主な事業とすると同時に、ネクスタイドやピープルデザインのブランドビジネスも展開しており、ネクスタイドで企画した製品のロイヤリティもここに入ってきます。つまり継続的に活動を続けるための利益を生み出している会社です。現在雇用している7人の社員や僕の給料もここから出ています。いわばフジヤマストアが僕らのすべての活動のエンジン部分ですね。
そしてフジヤマストアに入ってきた利益を使ってネクスタイドやピープルデザインのいろいろなイベントを開催しているという事業構造になっているんです。
──そのような活動に取り組もうと思った経緯は?
そもそもの発端は18年前(1995年)にさかのぼります。当時私は若者向けの百貨店のマルイに勤めていました。次男が生まれたのですが、彼は重度の脳性まひでした。生まれた当初、医者から一生寝たきりだろうと告げられました。そんな重度の障害をもつ子どもの親になり、いろんな障害をもった子どもたちやその親御さんと触れ合い、障害者を取り巻く世界や日本の福祉の環境を知ったときに、とてつもなく地味な世界だなと感じたんです。
そもそも、日本は戦後60年、見苦しいものは見えないところへ隠そうとしてきました。いわゆる「臭いものには蓋」という考え方です。障害者を「見苦しいもの」としてあまり表に出さないように促し、それを正当化するために時の為政者達が「弱者」と美化表現した習慣が、現在の福祉を取り巻く関係者の根っこにあるような気がするんですよね。
僕がこれまで会ってきた福祉業界で働く人々も、年配の人であればあるほど、「かわいそうな人たちに施しをしてあげている」という「弱者救済」的考え方が染み付いていました。かつては世間の多くの人たちも「障害児」をあまり人前に出すなという価値観だったし、「障害児」をもつ親も極力人前には出さないようにしようとしてきたと思います。
しかし、障害児の親となって初めてわかったのですが、こういう世の中は障害をもつ本人やその家族にとって居心地がいい社会であるわけはありません。だから次男が成人したときに少しでも暮らしやすい社会に変えたいと思い、自分がもってる知識やノウハウで次男を取り巻く福祉の環境、あるいは日本の習慣を変えるために何か行動を起こそうと模索し始めた。それがそもそもの原点です。
意識のバリアを壊す
当時はバリアフリーやユニバーサルデザインという言葉が一般化してきた頃だったのですが、バリアは物理的なものだけじゃないと感じたんですよね。ましてや全員に便利というユニバーサルな状況・デザインはありえないと感じました。
例えば、欧米では足の不自由なおばあさんが車椅子に乗ってひとりで街を散歩しているというのはごく当たり前のことで、電車に乗るため駅の階段を上り下りする場合は、その近くにいる人びとが自然にサポートします。しかし同じシチュエーションでも日本の場合は駅員が3人がかりで車椅子専用のリフトでホームまで上げて電車に乗せています。これほど健常者と障害者の扱いの違いが大きい先進国は日本くらいなんですよ。
個々人に善意はあっても「自分には関係ない」と分けてしまう。言い替えればバリアは意識の中にこそあるんです。これは健常者の僕たちもそうだし、障害をもつ子どもを人目に触れさせたくないという親御さん、そして障害者本人の中にもある。だから障害者は家や施設に閉じこもり、人目に触れにくい。それがゆえにたまに街で障害者を見かけて力になってあげたいと思っても、健常者はどうしていいかわからない。その根っこにある意識のバリアを壊そうと思ったわけです。
須藤シンジ(すどう しんじ)
1963年、東京都生まれ。有限会社フジヤマストア/ネクスタイド・エヴォリューション代表、NPO法人ピープルデザイン研究所代表理事。
大学卒業後マルイに入社。販売、債権回収、バイヤー、宣伝、副店長など、さまざまな職務を経験。次男が脳性まひで出生したことにより、37歳のとき14年間勤務したマルイを退職。2000年、マーケティングのコンサルティングを主たる業務とする有限会社フジヤマストアを設立。2002年、「意識のバリアフリー」を旗印に、ファッションを通して障害者と健常者が自然と混ざり合う社会の実現を目指し、ソーシャルプロジェクト、ネクスタイド ・エヴォリューションを設立。以降、「ピープルデザイン」という新しい思想で、障害の有無を問わずハイセンスに着こなせるアイテムや多業種の商品開発、各種イベントをプロデュース。2012年にはダイバーシティの実現を目指すNPOピープルデザイン研究所を創設し、代表理事に就任。
初出日:2013.09.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの