緊張で真っ青に
──初めて一人で水先業務を行った時はどうでしたか?
1隻目は今でも強烈に覚えてますが、事務所を出る前からもう気持ち悪くなるほど緊張してしまって。ベテラン事務員の女性に「あなた、顔色すごく悪いけど大丈夫?」って心配されるほどでした(笑)。教官がいないので、何か突発的なトラブルが起こっても助けてくれる人がいません。初めてのその状況にめちゃめちゃ緊張したんです。真っ青な顔で出ていったのですが、業務は無事に終えることができてほっとしました。
──その時はどんな業務だったのですか?
船をバース(停泊所)から離して出港させるハーバー業務でした。最初は東京湾の入り口から着岸まで通しではパイロット業務をやらせてもらえないんですよ。独り立ちしてから最初の1年間は東京湾の入り口からバース近くまでの操船と、バースへの着岸作業のどちらかだけを集中的にやって覚えるんです。初めて通しでパイロット業務をやる時はだいぶ慣れていたので特に緊張はしませんでした。
──これまでこれほど若い、しかも女性の水先人はいなかったわけですよね。乗り込んだ先の船の船長や船員の反応は?
特に最初の頃は船長がすごくびっくりしていましたね。新しい制度ができるまでは水先人って若くても50代半ばで、しかも日本人って若く見えるので、こんな若い娘に本当に水先人が務まるのかと疑っていたと思います。
──では最初の水先人になりたての頃って、船長が西川さんの指示に従わなかったともあったんですか?
それはよくありました。新人だろうが女性だろうが資格をもってる以上はパイロットなので表面上は立ててはくれるんですが、本当にこの人の指示で大丈夫かと疑われたり、ずっと監視されるような感じでした。さすがにこちらの指示やアドバイスを頭から突っぱねられたことはあまりないのですが、中には全然聞いてくれない船長もいましたね。
──それをどうやって克服していったのですか?
とにかく船長とコミュニケーションをしっかり取るようにしました。その指示の理由や根拠をしっかり細かく説明することで少しずつ信用してもらえるようになったんです。今では疑いの目で見られることも心配そうに見られることもなくなりました。
勤務は日によってまちまち
──勤務はどんな感じなんですか?
東京湾には24時間365日、休むことなく船がどんどん入ってくるので、我々パイロットも当直制で24時間体制で勤務にあたっています。勤務はいろんなパターンがあるんです。大まかにわけると日勤と夜勤の2パターンがあって、夜勤は月に数回ほど。日勤の勤務パターンは朝4時から16時、6時から18時、8時から20時の3つに分かれています。船が少ない日は、4時出勤の日に7時に水先業務が終わって、今日は続きの船はないですとオペレーション部から言われることもあれば、今日は船が多いので予定では16時までですが17時スタートの船に乗ってくださいというケースもあります。
4時から16時と言っても16時で勤務が終わるわけではなく、16時オーダーの船までなので、16時スタートの船に当たると終わるのが20時くらいになる時もあります。とはいえ4時から20時までずっと仕事をしているわけじゃなくて、1隻終わって次の船まで時間が空く場合が多いので、昼間はずっとどこかで待機して夜に出勤するというケースもよくあります。ちょっと前は8時間待機とか普通にありました。一般的な通勤・通学と同じで、朝と夕方に入港ラッシュがあって昼間は船が少ないんです。
──空いた時間は何をしているんですか?
仮眠を取っている人が多いですね。私は事務仕事をするか、事務所の近くにマンションを借りているのでいったん帰って休むか、若い水先人と話したりご飯を食べに行ったりしながら待ってます。
──4時からの勤務の場合はどんなスケジュールなんですか?
4時スタートの入港船に当たった場合は久里浜(東京湾の入り口、パイロットステーションに近い)にある東京湾水先人会の支部に夜のうちに移動して仮眠を取ります。2時に起きて準備して3時くらいにパイロットボートに乗って久里浜から出発して、本船に乗り込みます。4時にスタートして着岸するのは横浜港のバースでだいたい6時半くらいですね。
西川明那(にしかわ あきな)
1985年京都府生まれ。水先人(東京湾水先区水先人会所属)
高校卒業後、東京海洋大学海洋工学部海事システム工学科に入学。当初は航海士を目指していたが、大学3年生の時に水先人養成コースが創設されるのを知り、水先人を目指して養成コースに入学。2年半の課程を修了し、2011年、国家試験に合格。東京湾水先区水先人会の3級水先人となる。2015年、2級水先人の試験に合格。現在は1級水先人を目指して奮闘中。
初出日:2017.08.29 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの