開店当初は高級居酒屋
──村田さんは「なだ万」で13年修業を積んだ後、2005年に「鈴なり」をオープンしたそうですが、店名の由来は?
子どもの名前を組み合わせてつけました。といっても「鈴なり」とつけたのは自分じゃなくて嫁なんですけどね。子どもに思い入れがあったんでしょうね。自分はやっぱり本格的な日本料理を出す店にしたかったので、「○○庵」とか「○○亭」とか「懐石○○」みたいな名前にしたかったんですよ。でも嫁が「そんな堅い名前じゃ誰も来ないよ。だったら子どもの名前をくっつければいいじゃん」と。だから長女と長男の名前をくっつけて「鈴なり」にしたというわけです。ある日河岸に行って店の名前は「鈴なり」にしたと言ったら「いい名前だねと」言われて。調べてみたら「客が鈴なりに入ってくる」という意味で本当にいい名前だなと(笑)。自分は学がないから全然知らなかったんですが。
余談ですが、3人目が生まれた年だったので、その子の名前からも1字取って、最初は「鈴なりや」にしようと思ってたんですが、語呂が悪いのでやめたんです(笑)。でも料理に1番興味をもってるのが1番下の次男なんですよね(笑)。
──「鈴なり」は開店当初は今と全く違う店だったということですが、具体的にはどのようなスタイルの店だったのですか?
最初は本格的な日本料理は出すんだけど、女性でも気軽に入って来られるような高級居酒屋にしてたんですよ。ほとんどが一品料理で、カウンターの上に大皿料理が並んでいるような。開店当初は一品料理が60種類とコース料理が2本という構成でした。
──お客さんの入りはどうでしたか?
開店当初から結構地元のお客さんに来てもらってました。1番最初に来たお客さんが知り合いがたくさんいるからといってお店の名刺を配ってくれたからかも(笑)。あと1ヵ月くらい経った頃に『東京ウォーカー』に掲載されたんですよ。それから四谷以外からもいろんな人が来始めて、2ヵ月目くらいには毎晩予約で埋まってました。だから最初は雑誌の力ですかね。
2、3年目に「アド街ック天国」で紹介されたんですが、この時の反響がものすごかったですね。放送終了直後からガンガン予約が入って3ヵ月先まで一気に埋まりましたもん。「アド街」すげえって思いました(笑)。
──お店のスタイルが変わっていった経緯は?
最初のうちは一品料理メインのスタイルでも好評だったのですが、途中からコース料理を頼むお客さんが増えて、一品料理とコースの割合が半々になり、最終的にはコースの方が多くなってきたんです。そうすると食材が余っちゃうことが多くなってきて。一品料理も続けていると60品分の食材をもってなきゃいけないですからね。
あと、席だけ予約しても当日来ない、いわゆるドタキャンするお客さんもけっこういて。そうするとあらかじめ仕入れた食材が無駄になるし、こちらはかなりの損害を被るわけです。でもキャンセル料も取れないし、あなたは大変なことをしたんですよということも言えない。なので、開店して5、6年経った2011年頃に一品料理をやめてコース料理だけにしたんです。当時のコースは4500円と5500円の2本のみでした。いろんな人に気軽に来てもらいたかったので、なるべく安くしたかったんです。ほぼ4500円のコースしか出なかったですけどね(笑)。コースのみにした翌年の2012年にミシュラン・ガイドで1つ星をいただきました。
ミシュランで星を取るも「変わらない」
──ミシュランで星を取った時の気持ちは?
もちろん評価されるというのはうれしいんですが、不安もありました。ミシュランで星を取ると流行りの店に行きたいだけの客ばかりが殺到して、常連さんが入れなくなる。でもそういう客はすぐ来なくなり、入れなかった常連さんも来なくなって結局潰れちゃう、みたいな噂を聞いていたので。やっぱり星を取る前から来てくれてたお客さんを優先したいですからね。
──やっぱりミシュランで星を取った影響は大きかったですか? お客が殺到したとか。
それが載る前と全然変わらなかったんです。載ってから予約の電話が殺到するということもなくて。今はだいたい1ヵ月待ちなんですが、それは星を取る前から変わらないんですよね。だから載る前に懸念してたようなことは一切なかったんです。
その頃からコース料理のバリエーションと料金を変えていきました。お客さんから「もっと高くしてもいいからもっといいものを食べたい。1万とか2万円のコースもできるんでしょ?」って言われるようになって。そういうお客さんが増えてきたし、食材の原価も値上がりしてきたということもあって、大丈夫かなと思いながらいい食材を使ったコースを作っていったんです。今は華やぎコース7,500円、おまかせコース1万円、季旬爽快コース1万5,000円などがあります。
初心忘るべからず
──なぜそんなに安くしてるんですか?
自分の性格的に、金を追うとあんまりうまくいかないような気がして。店を始めたばかりの頃は、自分の料理を食べてくれてありがとうございますっていう気持ちじゃないですか。それを高いお金を取るようになったら、その気持がなくなるんじゃないかなと思って。だって高い食材を使っているだけの1万5,000円の料理を食べて満足しないで帰ってもらうのも嫌だし。それよりも7,500円の料理を食べたお客さんに「これ他で食たべたら1万5,000円くらいだよね」と言われる方が自分的にはうれしいから。自己満足ですよね(笑)。
──儲けを追うと料理人としての大事なもの、初心が失われてしまうと。
自分の場合はそうかもしれないですね。でも7,500円の料理でも高いというお客さんもいるんですよ。前は4,500円とか5,000円のコースもあったよねと言われる。彼らはその料金のコースで充分満足してるから。でもお金の価値って人それぞれだから、自分は今の価格設定くらいがちょうどいいのかなと思ってます。実際、料金を高くしたことで来なくなった昔ながらのお客さんもいませんしね。
──安くて満足度の高い料理を出せる秘訣は?
仕入れ先の魚屋さんや八百屋さんとうまく付き合うことですね。そうすることでいい食材を安く売ってもらえて、価格も低く抑えることができるんですよ。
村田明彦(むらた あきひこ)
1974年東京生まれ。料理人。「季旬 鈴なり」主人
幼少期から祖父が東京・門前仲町で営んでいたふぐ料理店で遊んでいたことから料理人を志す。千葉の商業学校卒業後、老舗日本料理店「なだ万」に入社。13年修業を積み、2005年「季旬 鈴なり」開店。2012年に初めてミシュランの1つ星を獲得。以降、2017年まで6年連続で獲得中。リーズナブルな値段で本格的な日本料理が食べられるとあって幅広い層から人気を博している。雑誌やWeb、テレビなど各種メディアでも活躍中。2015年にはミラノ万博に和食の料理人として参加。農林水産省「和食給食応援団」のメンバーとして和食文化の振興、「チームシェフ」の一員として地域活性化にも取り組んでいる。
初出日:2017.03.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの