「季旬 鈴なり」
──村田さんが営む「季旬 鈴なり」とはどのようなお店なのですか?
店名にある通り、旬にこだわった日本料理を出すお店です。多くのお客さんに安くておいしい和食を食べてもらいたいという思いで、日々板場に立って仕事をしてます。2005年12月に四谷荒木町にオープンしたので、今年(2017年)で12年目に入りました。メニューはコースのみで、7500円から。おかげさまで多くのお客さんに気に入っていただき、毎日満席で、今はだいたい1カ月くらい先まで予約で埋まっています。お店をオープンするまでは12年間、「なだ万」という日本料理店で修業していました。
──料理人になった経緯を教えてください。
自分の母方の爺さんが東京の門前仲町で長年「幸月」というふぐ料理店を経営していて、母もその店で働いていたので、自分も「幸月」によく行っていました。子どもの頃の遊び場って感じでしたね。お店では爺さんや母親の働く姿を間近で見て楽しそうだなと思ってましたね。また、てっちり鍋用のポン酢を1年分まとめて作るので、大量のダイダイを絞ったり、年末にはおせち料理用のきんとんを作るためにサツマイモを裏ごししたり、手伝いもけっこうやってたんですよ。こんな感じで幼い頃から飲食店は身近な存在だったし、将来はこの店で働きたいと思っていたので、小学生の時にすでに何となく料理の道に進むんだなとは思ってたような気がします。ちなみに父は普通のサラリーマンです。
高校生になると厨房で洗いものをしたり、野菜を切ったり、皿に盛ったりと、本格的に料理の手伝いをするようになりました。当時はバブルの真っ只中だったので、毎晩すごく忙しかったんですが、とても楽しかったですね。もうこの頃には高校卒業したら爺さんの下で本格的に料理の修業をして、自分はこの店で働くんだと完全に決めていました。ちなみにお店で働くことでアルバイト代はもちろん、お客さんからチップをもらえたので、当時の高校生としてはかなり稼いでいたと思います。初めて就職したときの月給より多かった気がします(笑)。
日本屈指の日本料理の名店に就職
──高校卒業後は予定通りお爺さんの店へ就職したのですか?
いや、それが違うんですよ。爺さんはふぐ連盟に所属してたんですが、その会合で「なだ万」の料理長に「うちで若手を採用したいんだけど、誰かいい人知らない?」と聞かれて、「じゃあうちの孫なんてどう?」って爺さん、自分を推薦しちゃったんですよ。それですぐなだ万に面接に行ってこいって言われて行ったら、確かその場で就職が決まっちゃったんです。高3のゴールデンウイークくらいの時だったかなあ。
──そんなに早く就職先が決まっちゃったんですね。でもそもそもは高校を卒業したらお爺さんの店で働くつもりだったんですよね。なだ万よりお爺さんの店に入りたいとは言わなかったのですか?
言わなかったですね。爺さんは「なだ万で修業してダメならすぐうちの店に戻ってくればいいよ」と言ってて、自分もそのつもりだったので(笑)。今から思えば、高校を卒業していきなり身内である爺さんの店に入るより、その前に他人の店で修業した方が自分のためになると考えたからかもしれないですね。
──とはいえ「なだ万」といえば日本屈指の老舗高級料亭で、就職するのは難しい店ですよね。入社するに当たっての意気込みのようなものは?
意気込みも何も高校生なのでなだ万という店は聞いたこともなかったですしね(笑)。だから入るにあたって緊張することもなく、これからいっぱしの料理人になるために修業に打ち込むぞというような気持ちもそんなになかったです。今思えば本当に申し訳ないのですがバイト感覚というか「まあ就職先が早めに決まってよかったな」くらいのかなり軽い気持ちでした(笑)。料理に真剣に取り組もうと思ったのは入ってから何年かしてからですね。
でもなだ万に入った直後は速攻辞めて爺さんの店に戻ろうと思いましたけどね(笑)。
早速壁にぶつかる
──それはどうしてですか?
調理に関しては他の新人より少しは経験があったのでなんとかなったんですが、先輩や上司との人間関係が嫌で嫌でしょうがなかったんです。というのは、職人の世界は特に上下関係が厳しく、入店したての人間なんて1番下っ端じゃないですか。当然、いろいろ上から命令されるのですが、中学・高校と部活に入ってなかったこともあり、それまで他人に指図されたことがなかったのでかなりの抵抗感を抱いてしまって。先輩から「これやっとけ」と言われるのがすごく嫌で、逆らったり楯突いたりして嫌な人間でした。自分、当時はかなり闘争心があったので(笑)。入社してすぐ、先輩に「もみあげを剃れ」「茶髪を黒くしろ」と言われた時は本気で辞めようと思いましたね。結局剃ることも黒くすることもしなかったんですが(笑)。今考えても本当にダメな下っ端でした......本当に。
入社後は寮に入ったのですが、店の出勤時間に間に合うためには朝5時の始発電車に乗らなきゃいけないんですね。始発に乗り遅れて遅刻になっちゃって、上から文句を言われてもイラっとくるので素直に謝ったりはしませんでした。本当にダメなやつでした!
だから自分、最初の頃は本当に扱いづらかったと思いますよ。今でもオヤジさん、料理の師匠のことなんですが、オヤジさんと今の若い子の話をいろいろするんですが、「おまえもそうだったぞ!」と言われてます(笑)。
村田明彦(むらた あきひこ)
1974年東京生まれ。料理人。「季旬 鈴なり」主人
幼少期から祖父が東京・門前仲町で営んでいたふぐ料理店で遊んでいたことから料理人を志す。千葉の商業学校卒業後、老舗日本料理店「なだ万」に入社。13年修業を積み、2005年「季旬 鈴なり」開店。2012年に初めてミシュランの1つ星を獲得。以降、2017年まで6年連続で獲得中。リーズナブルな値段で本格的な日本料理が食べられるとあって幅広い層から人気を博している。雑誌やWeb、テレビなど各種メディアでも活躍中。2015年にはミラノ万博に和食の料理人として参加。農林水産省「和食給食応援団」のメンバーとして和食文化の振興、「チームシェフ」の一員として地域活性化にも取り組んでいる。
初出日:2017.03.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの