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2017.03.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

アクシデントでいきなり無職に

──なだ万を退職してからは?

村田明彦-近影12

最初は爺さんの店を継ぎたいと思っていたんですが、やっぱり修行していくうちに料理人として自分の店をもちたいという気持ちが強くなり、退職後、門前仲町で物件探しを始めました。爺さんの店もあるし、子どもの頃の知り合いも多いし、当時母と兄も小料理屋をやってましたからね。運よくいい物件を見つけてそこで店をやるつもりだったんですが、諸事情で引き渡しの直前でダメになっちゃって。

当時は子どもが3人いたのでこのままではまずいとその後から急いで不動産巡りをしたんですが、門仲は家賃が高かったし、ピンとくる物件がなかったのであきらめました。その後もいろいろと探してはいたんですが、なかなかこれという物件に巡り会えなかった。だから3ヵ月くらいはプー太郎気味だったんですよね。


──仕事も辞めて、あてにしていた物件にも入れず、しかも子どもも3人いたということで、当時はかなり大変だったでしょう。

それが、確かに苦難続きではあったんですが、全く大変じゃなかったんですよ。知り合いの店から頼まれて手伝いに行ってたり、嫁も仕事をしてたので、食いつなぐことはできていました。なのでそんなに切羽詰まってたわけでもないし、焦りも全くなかったんですよね。金はなかったですけどね(笑)。

それで、お店どうしようかなと思いながら、自宅の近所の荒木町界隈(東京都新宿区四谷)をぶらぶら歩いていたら、ボロボロの廃墟みたいな物件が目に止まりました。ラーメン屋の倉庫だったのですが、なぜかピンと来てここで店をやろうと思い、すぐ契約したんです。

鈴なり、オープン


──なぜそんな廃墟みたいな物件を?

自分でもわからないです(笑)。なぜかここならいけると思ったんですよね。完全に直感です。そこから内装工事を徹底的にやって、2005年の12月に日本料理の店「鈴なり」をオープンさせました。元が廃墟同然だし、コンテストで賞を取るようなデザイナーに頼んだのでめちゃめちゃお金がかかりました(笑)。

鈴なり外観

鈴なり外観

店内の様子。おしゃれで落ち着ける雰囲気
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店内の様子。おしゃれで落ち着ける雰囲気

店内の様子。おしゃれで落ち着ける雰囲気
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──荒木町って飲食店の激戦区ですよね。そこに店を出すことに不安はなかったのですか?

村田明彦-近影15

確かに今でこそ激戦区ですが、当時はここら辺にこんなにたくさんお店がなかったんですよ。それに不景気で夜の荒木町に人が全然いなかったので、そういう意味での不安は全然なかったですね。そもそもうちの店の前の路地は酔っ払いが小便をしにくる道だから「しょんべん横町」だと言われてたらしいです。それと、近所のおばさんに「ここは元スリ横丁っていって、元も取れないうちにやめてく店が多いのよ。なんでこんなところに店を出したかね。あんたの店も1年以内に消えるわね」と言われたこともあります(笑)。別に気にしませんでしたけどね。ちなみにその人は近所の料亭のおばさんで、今でもうちによく食べにきてくれてます(笑)。

でも、開店したばかりの頃の「鈴なり」は今と全然違う店だったんですよ。


インタビュー後編はこちら

村田明彦(むらた あきひこ)

村田明彦(むらた あきひこ)
1974年東京生まれ。料理人。「季旬 鈴なり」主人

幼少期から祖父が東京・門前仲町で営んでいたふぐ料理店で遊んでいたことから料理人を志す。千葉の商業学校卒業後、老舗日本料理店「なだ万」に入社。13年修業を積み、2005年「季旬 鈴なり」開店。2012年に初めてミシュランの1つ星を獲得。以降、2017年まで6年連続で獲得中。リーズナブルな値段で本格的な日本料理が食べられるとあって幅広い層から人気を博している。雑誌やWeb、テレビなど各種メディアでも活躍中。2015年にはミラノ万博に和食の料理人として参加。農林水産省「和食給食応援団」のメンバーとして和食文化の振興、「チームシェフ」の一員として地域活性化にも取り組んでいる。

初出日:2017.03.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの