流しという仕事
──ちえさんは「流し」になって4年目だそうですが、流しとして日々どのような活動をしているのですか?
「流し」とはギターなどの楽器を持って居酒屋やスナックなどの酒場を巡回し、お客さんのリクエストに応えて曲の伴奏をしたり、ギターを弾きながら歌を歌う芸人です。軒から軒へ流し歩くことから「流し」と呼ばれるようになりました。昭和初期には全国の飲み屋街にはたくさんの流しが存在し、北島三郎さん、五木ひろしさん、渥美二郎さん、小林幸子さんなど流しからプロ歌手になった著名人もたくさんいます。
最盛期には荒木町だけで百人からの流しがいたようですが、昭和40年代にカラオケの登場で激減して、今や東京でも数人ほどしか見られなくなってしまいました。
その中で東京の四谷荒木町を拠点に活動しているのが芸歴57年を誇る日本最高齢のギター流しである荒木新太郎(通称・流しの新ちゃん)師匠です。私は2012年7月から新太郎師匠に弟子入りし、歌う漫画家として新太郎師匠と一緒に荒木町を流し歩き、演歌歌謡曲を歌ったり、お客様の似顔絵を描いたりしています。
──流しを荒木町以外で行うこともあるのですか?
それこそ師匠は昔は日本全国の酒場を流していましたし、今もお声がかかればどこにでも行きます。その際は必ず私が師匠に同行し、パーティーの時は司会役や営業役もしています。歌や似顔絵描き以外にも、師匠のサポート役、マネージャー役、付き人役、営業など何でもやらなければならないので、器用貧乏のためにある仕事だなと思いますね(笑)。
──流しをする日のスケジュールは?
流しをしているのは火・水・木・金の4日間です。朝は毎日8時半頃に起床して散歩。帰宅してお昼ごはんを食べたり、家のことをいろいろやります。16時くらいから18時まで化粧、着物の着付け、日本髪を結うなどの支度をしてから荒木町に出勤します。19時からお店を回り始め、23時45分頃で終了。帰宅します。おじゃまするお店はだいたい20軒くらいですね。決まったお店が12、3軒ほどあり、基本的にそのお店を中心に流します。事前に予約が入ったり、流している最中にお客さんから携帯に「どこそこの店にいるから来てほしい」と電話がかかってくることもあります。リクエストが全くない日もあれば、電話が鳴り止まない日もあるので、忙しさは日によって全然違うんですよ。
──夜の仕事なのに朝早いんですね。
あえて朝早く起きるようにしているんです。というのは流しを始めて体内リズムが狂って重い自律神経失調症になってしまったからです。流しになって1年目はそういう意味でもつらかったんですよ。それを改善しようと朝にちゃんと起きて朝日を浴びながら散歩したり、お昼も極力どこかに出かけるようにしました。そして夜も以前は夜中の2時3時まで流しをやっていたのですが、必ず終電で帰ると決めて、帰宅したらすぐ化粧を落として2時までには寝るようにしました。その結果自律神経失調症が治って今はすこぶる快調です。この仕事を長く続けるためにも自己管理は大事なんですよね。
歌う漫画家 ちえ[本名:宮本千愛(みやもと ちあい)]
愛知県生まれ。流し
大学時代から昭和歌謡のバンドを組んで歌い始める。集英社「YOU」で初めて描いた漫画が期待新人賞を受賞。プロの漫画家を目指し、小池一夫塾に1期生として入塾。漫画制作の技術を学ぶ。修了後、名古屋造形芸術大学短大に入学。24歳の時漫画家デビュー。地元名古屋の情報誌で連載しつつ、広告漫画などを描いていたが、漫画家としてのステップアップを求め、2010年上京。漫画を使った結婚式ムービーや企業紹介ムービーを作る会社で営業を1年経験した後、同業他社へ営業兼登録漫画家イラストレーターとして移籍。ちょうどその頃、ガロ系漫画家・東陽片岡氏に出会い、四谷荒木町で国内の最高齢流しの新太郎氏を紹介される。2012年7月、東陽氏の勧めで新太郎氏に弟子入りし、「しんちゃんちえちゃん」を結成。新太郎氏のマネージャー兼歌う漫画家ちえとして新太郎師匠と一緒に荒木町を流し歩き、演歌歌謡曲を歌ったり、お客の似顔絵を描いたりしている。その他にも「歌」「漫画」「イラスト」「切り紙」など多方面でアーティストとして活動中。ちえさんが作成したLINEスタンプ「流し新ちゃん&ちえちゃん」「流し新ちゃん&ちえちゃんその2」好評発売中。
流し紹介ムービー
- 『荒木町の新太郎』
- 『荒木町の夜』
- 流し以外のバンド活動記録
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初出日:2016.05.02 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの