流しに弟子入り
──その時の気持ちは?
私にとっては願ってもない話でした。島倉千代子さんや小林幸子さんは子どもの時から流しに連れ歩いてもらって酒場でみかん箱の上で歌っていたわけじゃないですか。だからまさに流しは憧れのスタイルなんですよね。私も昭和初期に生まれて、子どもの頃にそういう経験をしたかったと思っていました(笑)。
でも師匠は弟子を取らない主義だったので、東陽先生が「新ちゃんはいつも1人で寂しそうだから若い女の子が一緒にいると安心だし、お客さんも喜ぶし、ちえ自身もいい勉強になるからみんなにメリットがある」と私を弟子にしてくれるように頼んでくださって。師匠は東陽先生にすごく恩義を感じているので、東陽先生の頼みでは断れないとしぶしぶ承諾してくれたんです。こうして師匠のマネージャー兼「歌う漫画家 ちえ」が生まれたんです。2012年の夏のことでした。だから今の私があるのは東陽先生のおかげなんですよ。あれからもうじき4年が経ちますが、今、まさにプロデューサー・東陽片岡先生の思惑通りになっていると感じます。本当にすごい人だと思います。
流しにならないという選択肢はなかった
──流しになるとき、少しも悩まなかったのですか?
いえ、やっぱり悩みましたよ。確かに昭和マニアなので流しに憧れてはいましたが、やはりファンとして好きというのと、自分自身が実際に流しになるのは全く次元の違う話ですからね。周りからも流しになると堅気じゃなくなるぞと散々脅かされて、故郷名古屋の知り合いみんなからも大反対されました。だから流しになるのは恐いという気持ちもあったのですが、憧れていた世界だし東陽先生を信じてやってみようと決意しました。
ただ、そもそも流しをやらないという選択肢は最初からなかったんですよね。名古屋から東京に出てきたのも、普通じゃない、おもしろい人生を送りたいと思ったからなので。そのためには何でもやるべきで、それで野垂れ死んだとしても後悔はないはずなんです。悩んでいたのも、ここから先はただの憧れではすまないという現実に怯えていただけ。例えばこれで一般的な昼間の世界に生きている人のところに嫁には行けないなとか、いろんなことをあきらめるというか、自分自身の気持ちの整理、覚悟を決めるまでに少し時間がかかったということです。
これまでの経験がすべて生きている
──師匠に弟子入りしてからは?
弟子入りが決まって2週間くらいは師匠のお宅に通って音合せやできる曲の確認を行いました。その後は本番で、師匠と一緒に酒場を巡りはじめました。
──最初から歌と似顔絵をやるつもりだったのですか?
はい。ただ、自分でも歌でお金を取れるレベルではないとわかっていたので、私にできることは何だろうと考え、得意な似顔絵をやろうと思ったわけです。
──似顔絵を描いたり歌を歌ったりというのは最初からうまくできたのですか?
師匠が1曲歌い上げる間に描く似顔絵はこれまで漫画やイラストをずっと描いていたので問題ありませんでした。歌の方は最初はひどくてお金を取れるレベルではないと師匠によく言われていたのですが、最近はたまに歌でお金をもらえてるときがあると言ってくれるようになりました。場数をこなすうちに呼吸や間を覚えていったように思います。
流しは、漫画、着付け、日本髪の結い方など、これまでやってきたことが全部役に立っているんです。当時は流しになるなんて露ほども思っていなかったわけなので、本当に人生に無駄なことなんて1つもないと思いますね。
歌う漫画家 ちえ[本名:宮本千愛(みやもと ちあい)]
愛知県生まれ。流し
大学時代から昭和歌謡のバンドを組んで歌い始める。集英社「YOU」で初めて描いた漫画が期待新人賞を受賞。プロの漫画家を目指し、小池一夫塾に1期生として入塾。漫画制作の技術を学ぶ。修了後、名古屋造形芸術大学短大に入学。24歳の時漫画家デビュー。地元名古屋の情報誌で連載しつつ、広告漫画などを描いていたが、漫画家としてのステップアップを求め、2010年上京。漫画を使った結婚式ムービーや企業紹介ムービーを作る会社で営業を1年経験した後、同業他社へ営業兼登録漫画家イラストレーターとして移籍。ちょうどその頃、ガロ系漫画家・東陽片岡氏に出会い、四谷荒木町で国内の最高齢流しの新太郎氏を紹介される。2012年7月、東陽氏の勧めで新太郎氏に弟子入りし、「しんちゃんちえちゃん」を結成。新太郎氏のマネージャー兼歌う漫画家ちえとして新太郎師匠と一緒に荒木町を流し歩き、演歌歌謡曲を歌ったり、お客の似顔絵を描いたりしている。その他にも「歌」「漫画」「イラスト」「切り紙」など多方面でアーティストとして活動中。ちえさんが作成したLINEスタンプ「流し新ちゃん&ちえちゃん」「流し新ちゃん&ちえちゃんその2」好評発売中。
流し紹介ムービー
- 『荒木町の新太郎』
- 『荒木町の夜』
- 流し以外のバンド活動記録
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初出日:2016.05.02 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの