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2016.02.15  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

高校の芸術コースに入学

──ここからはこれまでの歩みについてお聞かせください。まず、絵を描くことを職業にしようと思ったのはいつごろですか?

ミヤザキケンスケ-近影1

おぼろげながら絵で何かをしたいと思ったのは高校受験を前にした頃ですね。佐賀の小さな田舎町で父がサラリーマン、母が専業主婦という一般的な家庭に育ち、周りに変わった人もいなかったのでこのままでは僕も平凡なサラリーマンになってしまうなと。それがすごく嫌で、どうやったらその人生から外れるんだろうとずっと考えていたんです。一度しかない人生だから自分らしく、おもしろい人生を歩みたいと強く思っていたんですね。

そのためには自分が本当に好きなもの、やりたいことをやるのが一番だと思い、必死で考えた結果浮かんだのが絵だったんです。絵は小さい頃から描いていたし、何度か賞を取ったこともあったので本格的に絵の勉強をしてみようかなと、佐賀県内の高校に1つだけあった芸術コースに入学したんです。


──高校に入ってみてどうでしたか?

いきなり大ショックでした(笑)。クラスメイトは9割方女子で、男子はたったの6人。しかもスポーツ好きな体育会系じゃなくてマンガを描くのが好きというような文化系ばかり。芸術コースなので当然といえば当然なのかもしれませんが、これには衝撃を受けました。また、ひたすらデッサンを描き続ける絵の勉強もおもしろくなく、うまく描けなかったので入学した当初はものすごく後悔しました。しばらくは腐ってバンド活動にのめり込んでいたのですが、高2の春休みくらいに「僕は自分自身で絵を描きたいと思ってこの学校に来たはずじゃなかったのか、そのための環境にも恵まれている。ならば絵の勉強に真剣に打ち込まなきゃダメじゃないか」と反省して、本気で絵を描き始めたんです。

街角スケッチで画家を志す

──ではこの時から将来、本気で絵描きになろうと思ったのですか?

本気でそう思ったのは大学進学を考えた頃ですね。田舎の小僧だったので画家になるためにはパリで勉強しなきゃダメなんじゃないかと思っていました。バカですよね(笑)。でも親にパリの大学に行かせてほしいと言ったら当然ながら「冗談はやめて」と即却下。でもすごく食い下がってお願いしたら、じゃあ取りあえず見るだけ見てきなさいと高2から3に上がる前の春休みに二週間、ベルギーに住んでいた親戚の家に行かせてもらったんです。

当初はベルギー経由でパリに行く予定だったのですが、たまたまベルギーのいろいろな場所でスケッチをしているときに、日本人の観光客は1日いるだけですぐどこかへ消えると現地のいろんな人に言われました。そこで反抗心が芽生えて、じゃあずっとベルギーにいてやるよと二週間ずっとベルギーの街角で絵を描いていたんです。

そのうち人が集まってきて、言葉はわからないけど描いてきた絵を見せるとリアクションしてくれたりして。スケッチは勉強のために描いていたのですが、絵は言語を越えてコミュニケーションが取れるツールなんだな、そういう特殊な技術を勉強してるんだなと思えてそれから少し自信がついたんです。この気付きはとても大きくて、今取り組んでいる壁画プロジェクトにもつながっていると感じます。そして、これまで佐賀の小さな田舎町しか知らなくて、自分には何もできないと思っていたのですが、そんな経験を通してちょっと自分の世界を広げられたような気がしたんです。

高校時代、ベルギー・ブリュッセルの街並みを描いた絵。この街角スケッチが本気で画家を目指した最初のきっかけとなった
高校時代、ベルギー・ブリュッセルの街並みを描いた絵。この街角スケッチが本気で画家を目指した最初のきっかけとなった

高校時代、ベルギー・ブリュッセルの街並みを描いた絵。この街角スケッチが本気で画家を目指した最初のきっかけとなった

こういう経験がすごくよかったと思います。帰国してから、同級生たちは学校という与えられた環境の中だけで絵を描いたり観たりしているけど、自分はそこから一歩外の世界に踏み出して特殊な経験をしているということがすごく自信になったんです。最初に本気で画家になろうと思ったのはこの頃ですかね。それで日本の美術系の大学に行っても大丈夫だと思えたので、筑波大学芸術専門学群に入学したんです。

不安だらけの大学生時代

──大学時代はどんな絵を描いていたのですか?

筑波大学は元々教育大学なのでアカデミックな学風で前衛的なことは一切せず、ヌードデッサンや石膏デッサンなど基礎的なことを毎日みっちりやるというようなところでした。高校で3年間やったことをまた大学でも繰り返すのかとちょっとげんなりしていましたし、うまく描けず先生からけちょんけちょんにけなされていました。作風はファンキーというか超攻撃的な感じでしたね。

大学時代に描いた仁王像。今の画風とは違い、かなりファンキー
大学時代に描いた仁王像。今の画風とは違い、かなりファンキー

大学時代に描いた仁王像。今の画風とは違い、かなりファンキー

大学時代のミヤザキさん。絵を描く工程まですべて公開する試みも

大学時代のミヤザキさん。絵を描く工程まですべて公開する試みも

大学では学生が作品を出品する展覧会も開催していたのですが、芸術好きな人しか観に来ないんですね。僕は何のために絵を描きたいかというと、絵を勉強してる人や絵が好きな人というよりも、一般の人に観て、楽しんでもらいたいという気持ちの方が強かったんです。当時もバンドをやっていたのですが、ライブに来るお客さんを喜ばせたいという気持ちと同じです。だけど当然僕らのライブに来るようなお客さんは大学の展覧会には来ません。一般の人に観てもらえるようなところで絵を描きたかったので、アカデミックな絵を描きつつ、その一方で美容室でファンキーな壁画を描いたり、自分たちのライブの時にライブペイントをやったりしていました。

だから高校、大学時代は絵を描くこと自体が楽しいと思ったことは一度もなかったですね。いったん画家を目指して絵の勉強を始めた以上は絶対に途中で投げ出してはダメだ、もし投げ出したら今度こそ自分には何もなくなってしまうと自分を追い込んで無理矢理続けていたという感じでした。さらに周りには僕なんかより断然絵のうまい人たちがたくさんいました。でも筑波大学はもとより有名美大に通う才能あふれる人たちでも卒業後、画家として生計を立てられる人なんて本当にごくわずかしかいません。だから画家になりたいとは思っていましたが、自信がもてず、将来への不安もすごく強かったですね。

ミヤザキケンスケ

ミヤザキケンスケ(みやざき けんすけ)
1978年佐賀市生まれ。トータルペインター。

高校の頃から本格的に絵を学び始め、筑波大学芸術専門学群、筑波大学修士課程芸術研究科を修了。在学中にフィリピンの孤児院に壁画制作、テレビ番組「あいのり」に出演。世界を周りながら絵を描く。その後、イギリス(ロンドン)へ渡り、2年間クラブやライブハウスでライブペイントを行うなどのアート制作に取り組む。帰国後、東京を拠点に活動。NHK「熱中時間」にて3年間ライブペインターとして出演。この他、ケニアのスラム街の壁画プロジェクト(2006年、2010年、2014年)、東北支援プロジェクト(2011年)など、「現地の人々と共同で作品を制作する」活動スタイルで注目を集める。現在、「Over The Wall」というチームを立ち上げ、世界中で壁画を残す活動に取り組んでいる。一女の父として家事・育児に積極的に取り組むイクメンでもある。

初出日:2016.02.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの