運命を変えた1本の電話
──帰国後はどうしたのですか?
ロンドンでアーティストとして一旗揚げてやるという野望を胸に2年間頑張ったのですが、全く結果を出せず夢破れて帰国したわけです。でもあきらめずにまた同じくワーキングホリデーで次の国に行こうと思っていたんですよ。当時28歳で、まだまだチャンスはあったので。そのために、取りあえず一旦、日本に帰国してロンドンで描き溜めた絵で個展を開いて、売れたお金をその資金にしようと目論んでいたんです。
そのときは僕の人生のサクセスストーリーはここから始まると思っていました。ロンドンで2年間、喧騒渦巻くクラブの中でたくさんの絵を描いたアーティストなんて僕しかいないし、その絵は絶対に評価してもらえるはずだと確信していましたから。それでロンドンで稼いだなけなしのお金をはたいて個展を開きました。
──絵はたくさん売れたのですか?
それがたくさんどころか全然売れなかったんですよ(笑)。もう大ショックでした。お金が全然なくなり、ワーキングホリデーどころではなくなったので、大学の後輩の部屋に転がり込みました。そのときの僕って、まさに「住所不定無職」というやつですよ。それがすごく恐くなったので、一度佐賀の実家に帰ることにしました。
でもここでびっくりするようなドラマチックなことが起きたんです。あれは忘れもしない、心身ともに凍えるような真冬のある夜、住まわせてくれた後輩とお酒を飲みつつ、もう俺、佐賀に帰るわ......という寂しい話をしていたとき、1本の電話がかかってきたんです。その相手は全然知らない人で、NHKのディレクターだと名乗りました。その人は帰国後に開いた個展に来てくれていて、僕の絵を買ってはくれなかったんですが気に入ってくれたみたいで、個展を開いた画廊の主人に僕の連絡先を聞いて電話をかけてきたということでした。それで彼は「春から新番組で使うセットの絵を描いてくれないか」と言ったんです。これからどうしよう......というまさにお先真っ暗なときだっただけに、うれしいというより、うわー! って声を上げそうになるほどびっくりしましたが、もちろんやります! と即答しました(笑)。でも春まで食いつなぐお金がなかったので一旦実家に帰って、その番組の絵を描くために3月に上京しました。でもその時は1回きりの仕事なので描き上がったらまた佐賀に帰るつもりでした。
──その仕事はどういうものだったのですか?
番組は「熱中時間」という教養バラエティ番組で、セットの絵は2m×10mくらいの壁画サイズだったのですが、スケジュールの都合で5日間ほどで描かなければならなかったので、全く寝ないで1人で描き上げました。僕としては時間が足りなくて満足するまでは描き込めなかったのですが、番組のプロデューサーが、「壁画に隙間があるからそこに毎週来るゲストの似顔絵をライブペイントで描き加えて完成させていけば?」と言ってくださったんです。多分、僕が徹夜で頑張って描いているのを見てくれていたのだと思います。もちろんそのお話をありがたくお受けすることにしました。当初は1回きりの仕事だと思っていたのが毎週続くことになり、生活のめどが立ったので、東京での生活が始まりました。しかも幸運なことに3年間も続いたんです。
このNHKのディレクターが僕の個展を観に来てくれていなかったら今頃どうなっているかわかりません。僕はかなり運がいいと思います。僕の人生ではいつもギリギリのところで手を差し伸べてくれる人がいるんですよね。ありがたいことです。
安定を捨てやりたいことを
──番組の仕事は楽しかったですか?
はい。「熱中時間」で絵を描くのは楽しくてやりがいもありました。ただ、そもそも僕の中では希望していた世界でのアーティスト活動ができず、日本で絵を描かざるをえないという状況に忸怩たる思い、挫折感のようなものを抱えていたんです。それに、基本的にテレビの美術の仕事って一所懸命描いた絵でも収録が終わったら捨てられるんですよ。そういう仕事のスタイルが絵描きとしてやりたいものとはちょっと違うなという葛藤を抱えていました。あと放送が週に1回あるので海外に長期間行くこともできなかったのもストレスでした。それで3年で番組が終了した後に、ディレクターからテレビ番組制作会社に入って引き続きテレビの美術の仕事をやらないかという非常にありがたい話をいただいたのですがお断りして、元々やりたかった2回目のケニア壁画プロジェクトだけに1年間を費やすことにしたんです。
──そのための蓄えはあったのですか?
いえ、蓄えがないのにプロジェクトをスタートしちゃったんですよね(笑)。ですが、資金集めのためにいろんなイベントを開催してグッズを販売したお金や、いろんな人からイベントへの出演オファーをいただけたり、子ども向けの絵のワークショップの講師の仕事をいただけたそのギャラで1年間生活できて、さらにケニアへの旅費などプロジェクトの経費もまかなえたんです。その翌年には東北壁画プロジェクトを始めて、このときもお金の心配はあったのですが、ケニアのときと同じようにいろんな人が支援してくださって何とかなったんです。ありがたいことです。
ミヤザキケンスケ(みやざき けんすけ)
1978年佐賀市生まれ。トータルペインター。
高校の頃から本格的に絵を学び始め、筑波大学芸術専門学群、筑波大学修士課程芸術研究科を修了。在学中にフィリピンの孤児院に壁画制作、テレビ番組「あいのり」に出演。世界を周りながら絵を描く。その後、イギリス(ロンドン)へ渡り、2年間クラブやライブハウスでライブペイントを行うなどのアート制作に取り組む。帰国後、東京を拠点に活動。NHK「熱中時間」にて3年間ライブペインターとして出演。この他、ケニアのスラム街の壁画プロジェクト(2006年、2010年、2014年)、東北支援プロジェクト(2011年)など、「現地の人々と共同で作品を制作する」活動スタイルで注目を集める。現在、「Over The Wall」というチームを立ち上げ、世界中で壁画を残す活動に取り組んでいる。一女の父として家事・育児に積極的に取り組むイクメンでもある。
初出日:2016.02.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの