WAVE+

2014.06.10  取材・文/山下久猛 撮影/早坂(スタジオ・フォトワゴン)

在宅医療に取り組む

本吉病院のスタッフと一緒に

──本吉病院ではどんな医療に取り組んできたのですか?

僕はそもそも地域医療に興味があったので、本吉にとって最善の地域医療を実践することに注力しました。そのひとつに在宅医療があります。まず、震災によって自宅や交通手段を失って病院に来られない人がたくさん増えたので、院内の診察に加え1日5~6軒、患者さんの自宅や仮設住宅にうかがって診療してきました。

また、基本的にどの地域も同じだと思いますが、お年寄りの患者さんは自宅で面倒を見るのが難しくなると病院に連れてこられて、殺風景な病室のベッドの上で全身を点滴の管に繋がれてそのまま亡くなってしまいます。それは現代の医療では当たり前のことなんですが、僕はそれがすごく寂しいような気がして嫌なんです。入院していても具合が悪くなると住み慣れた自分の家に帰りたくなりますよね。それは間違っていないんですよ。その望みを叶えてあげたい。僕の祖父は住み慣れた自宅で、家族に見守られながら亡くなったのですがそれが人の死に方としてすごくいいなと思ったんです。だから本吉病院が入院可能になってからも、基本的に療養は自宅でしてもらって、家族がたいへんなときに病院で預かって休んでもらうという、在宅医療のためのベッドにしたかったんですよ。


──患者さんの家族はそれをすんなり受け入れたのでしょうか?

もちろん病院で亡くなるのが当たり前だと思っている家族は最初は戸惑います。確かに入院してると危なくなったときでもすぐ医療を受けられるから安心感があるんですよね。でも病院には24時間医療スタッフがいるから少しでも何かあったときにはすぐ病院に連絡してくれれば大丈夫だと丁寧に繰り返し説明しました。そして、実際に在宅医療をやってみるとこっちの方が楽だとわかるので、患者さんが入院してもすぐにその家族が引き取るようになったんです。こんなこと、他の病院ではなかなかできないですよ。

院長就任以来、地域医療懇親会を度々開催し、地元住民に丁寧に説明してきた

本吉病院を退職

──本吉病院の院長になって2年半ですが、現在はどのような働き方をしているのですか?

実は院長だったのは今年(2014年)の3月までで、現在は退職し、フリーランスの医者として週に1回勤務しているんです。


──なぜそういう状態に?

先ほどもお話しましたが、本吉には僕だけ単身赴任で、妻と4人の子どもたちは山形県庄内の家で生活していました。直接のきっかけは、その山形に残してきた中学生の長女が僕がおらん間に勝手に家を出て行ったことです。出て行った先は僕の父と祖母が暮らす奈良の実家です。奈良の家から中学校に通うと出ていきよったんですよね。しかも父は末期がんで、祖母は大正生まれのお婆ちゃんなので、その3人暮らしは無理やろと。13歳で独り立ちって「魔女の宅急便」やないんやからと(笑)。それで近々家族みんなで奈良に引っ越そうということになって、病院を辞めさせてもらったんです。


──なぜお嬢さんは家を出て行ったんですか?

いやあそれがよくわからないんですよね。家を出て一人暮らしがしたいというのは前から聞いてはいたのですが。今の生活に不満があるなんてことは聞いてなかったし、ケンカをしたわけでもありません。僕が本吉で仕事ばっかりしてる間に自分で決めて出て行ってしまったんですよね。そもそも山形は身寄りがあったわけじゃなくて3年前くらいに移り住んできたので、妻と子どもたちにとっては暮らしやすいとはいえない。奈良の実家の方は老々介護だから何とかしたいと思っていたけど僕は本吉病院の仕事で忙しくてすぐにどうこうすることはできなかった。そんなときにちょっと行動力のあるうちの長女がえいやと単身で奈良に行ってしまったことで、結果的にみんなの望みを実現するきっかけをつくってしまったという形なんです。


──すごく行動力のある嬢さんですね。

僕の娘ですからね(笑)。それでもう単身赴任は無理やと思って、病院を辞めさせてもらってフリーになったわけです。院長には、2012年4月に本吉病院に着任した医師がなってくれたので、彼のおかげで辞めることができたわけです。

今、奈良に住む家を探し始めたところで、7月からは奈良に家族みんなで移住して、僕は通える範囲の病院に務める予定です。その後、本吉病院には月に1回くらい顔を出せたらいいかなと思っています。

本吉病院のスタッフと。右から二人目が現在の院長を務める齊藤稔哲医師

川島実(かわしま みのる)
1974年京都府生まれ。医師。

京都大学医学部在学中にプロボクサーとしてデビュー。翌年、薬剤師の女性と結婚し、長女をもうける。3年目にはウェルター級の西日本新人王とMVPに輝くと同時に医師国家試験に合格。29歳までプロボクサーとして活躍し、引退後[通算戦歴:15戦9勝(5KO)5敗1分]、自給自足の生活に憧れ、和歌山県の農村に移住。その後京都府、沖縄県、山形県で医師として経験を積む。山形県庄内町の病院で勤務中の2011年3月、東日本大震災が発生。災害医療チームのボランティア医療スタッフに志願し、山形から毎週末、片道4~5時間かけて宮城県気仙沼市立本吉病院へ通う。気仙沼市からの強い要請で2011年10月、本吉病院の院長に就任。妻と4人の子どもたちを山形に残し、単身赴任開始。2014年3月、本吉病院を退職。現在はフリーランスの医師として週に1回程度本吉病院に勤務。これまでの活動が注目を集め、「情熱大陸」などのテレビ番組出演や新聞・雑誌などのメディア掲載多数。

初出日:2014.06.10 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの