医師になりたかったわけではない
──ここからは人生の歩みについて教えてください。そもそも医師になりたいと思ったきっかけは?
その質問、取材を受けるたびに必ず受けて、何かないですかと聞かれるんですが、確たるエピソードがないんですよ。身内に医療者は誰もいないし。他の医者は具体的なきっかけがあるのかなあ。僕はそれがないんですよ。だからその質問が一番困るんです(笑)。本当にどうしても医者になりたかったわけじゃないんですよ。ただ、子どもの頃から動物が好きだったことだけは確かです。原点があるとしたらそこで、そこから実際に何になろうかと考えた過程で医者が出てきたんだと思うんですよね。医学も広く言えば生物学の中の1つですから。
──でもそこからなぜ医師の方に行ったのでしょうね。
そうなんですよね。その方向で順当に行けば動物学者とか獣医とか動物園の飼育員とかペットショップの店員とか動物にダイレクトに関わる職業だと思うのですが、どこかのタイミングで医療に変わったんでしょうね。それは解明できてません(笑)。
──高校生の頃は?
まだ高校1年生の時は生物系を引きずっていたので、ぼんやりと農学部に行きたいと思ってました。受験する時は医学部、歯学部、薬学部などいろんな学部を受けました。でも歯学部などには全く興味なかったです。
──それなのになぜ歯学部を受けたのですか?
それは当時の教育事情というか進路指導事情によるところが大きいですね。僕みたいに行きたい大学、学部が明確に決まってない人は、当時の偏差値で先生からここなら受かると言われたところをいろいろ受けるしかなかった。その中で岡山大学歯学部に合格したから行ったというのが正直なところです。
──そもそも医者になりたいと思っていなかった岩田さんが誰よりも医療の原点を大事にして海外で医療ボランティアをしているというのは非常に興味深いですね。
そうですね。もし農学部へ行ってたら絶対にこんな活動はやってないし、もしかしたらもっとリッチな暮らしをしてるかもしれませんよね(笑)。でも今の方がお金はなくても満足度や幸福度は上だと思うので、よかったと思います。
個人医院から大学へ戻る
──岡山大学歯学部を卒業してからは?
実は卒業後は自分の病院を開業するのが普通だと思っていたので、個人経営の歯科医院に就職したんです。当時は研修医制度もなかったですしね。そこに1年半勤務したのですが、将来開業するつもりなら親知らずも抜けないのはまずいと思い、岡山大学に戻って口腔外科を勉強しました。学生の頃は外科が嫌いだったので、抜歯の臨床実習も全然してなかったんです。だからまさか大学に戻って外科を勉強するとは思ってなかったし、今のようにいつも手術をやるようになるつもりで大学に戻ったわけでは全くないんです。
大学に戻った頃は口腔外科の技術を身につけるために必死で頑張っていました。でも最初は嫌いだった手術もやっていくうちに徐々におもしろくなっていきました。それと同時に、そもそも大学に戻ったのは、将来開業するために勉強しようという思いからだったのですが、手術がおもしろくなってきたので開業への意欲は薄らいで、このままずっと大学病院で口腔外科をやっていってもいいかなと思うようになったんです。
当時はやれることは何でもやっていこうと思っていたので、臨床と同時に研究にも力を入れていました。大学には研究、臨床、教育という大きな3つの柱があって、研究をやるようになると臨床から離れる人が多いのですが、僕はそれは医者としてどうなんだろうと疑問に思っていました。だからいつも昼間は他の先生と同じく外来で手術をやって、それが終わって17時くらいからやっと研究を始めて、深夜までやってたんですよ。当時はすごく忙しかったですが、充実してましたね。手術も年間100回以上やれてましたし。
驚異的な手術回数
そんな感じで岡山大学病院には6年くらい勤めて、33歳の時、その系列の広島市民病院に口腔外科部長として異動になりました。その病院で10年くらい勤務したのですが、カンボジアに初めて行ったのはこの時代、8年目の2000年6月です。2003年、また系列の岡山赤十字病院に派遣されたのですが、2005年、こんな口腔外科を作りたいから来てくれないかと請われて琵琶湖大橋病院に移籍しました。この病院からは大学とは関係のない病院です。2006年からは岸和田徳洲会病院で、ここでも口腔外科部長を務めていました。一番多く手術をしていたのがこの時代ですね。年間300回はしていました。
──部長でありながらですか? そういう医師ってあんまりいないのでは。
部長が一番働いていました(笑)。大学病院は手術日も少ないし、医師も多いので手術をする機会はそれほど多くないんですよね。といっても年間100回はしてましたが。
2013年に辞めるまでの最後の1年間は宇治徳洲会病院にも週に3日ほど通って手術をしていました。2000年から病院に勤務しながらカンボジアなどに通っていたのは先ほど申し上げた通りです。ちなみに宇治徳洲会病院にはフリーランスになってからも週3回は通っています。
──フリーランスになったのは病院勤務に不満や疑問があったことも理由の1つなのかなと思ったのですが、そういうわけでもないのですね。
不満なんて全くなかったですよ。外の病院も含めると、手術を年間何百件もやりながら、学会発表のための研究もしていました。多忙ではありましたが充実はしていましたから。
岩田雅裕(いわた・まさひろ)
1960年兵庫県生まれ。フリーランス医師
岡山大学歯学部卒業後、個人経営の歯科医院に就職。1年半歯科医師として勤務後、口腔外科を学ぶため岡山大学病院口腔外科へ。臨床と研究に注力し、年間100件以上の手術を行う。1993年、系列の広島市民病院に異動。33歳という異例の若さで口腔外科部長に抜擢。1997年から医療の遅れている中国湖南省で医療支援を開始。2000年に友人の誘いでカンボジアへ。劣悪な医療環境に衝撃を受け、カンボジアでの医療支援ボランティアを開始。唇裂口蓋裂 や腫瘍、顔面骨折、口腔内・頚部などの手術を無償で行う。2013年、より多くの患者を助けたいと、当時勤めていた岸和田徳洲会病院の口腔外科部長の職を辞してフリーランス医師に。以降、より渡航回数は増加。現在はカンボジアに加え、ラオス、ミャンマー、ブータンなど、年間20回以上通っている。18年間で手術をした患者は 3000人を超えた。現地では治療だけではなく、現地の専門医の育成や、妻とともに子どもたちへの健康指導、生活物資の寄与なども行っている。
初出日:2018.01.05 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの