森を使った教育もスタート
2012年8月、C.W.ニコル氏は森の学校づくりを始めるにあたって、東松島市内の5ヵ所の小学校を回り、「森は甦る」をテーマに"魂の授業"を行った。これをきっかけに、復興の森をはじめとする地域の自然を使った子どもたちの教育も学校の授業の一貫として実施されるようになった。2013年から仮設の校舎で学ぶ野蒜小学校と宮戸小学校の3年生を対象にアファンの森財団より出前授業の講師を派遣し、ツリーハウス前の湿地帯や水路、森を使って生き物調べの学習を行なっている。また、5年生を対象として、ツリーハウスの近くの田んぼで地元の農企業「アグリードなるせ」と協力して授業を行なっている(※アグリードなるせの教育系の取り組みの詳細はこちらを参照)。
また、同じく2013年から学校の授業では教えられない"子どもたちの生きる力を育てる"という目的で土日を利用した課外授業「森と海の学校」を実施。子どもたちは野蒜の復興の森や宮戸の海など、東松島の豊かな自然で森と海のつながりを学んだほか、生きもの観察や、森の整備、野外調理やドラム缶風呂などで大いに楽しんだ。震災発生以降、電気・ガス・水道が使えない暮らしが3ヵ月続いたこの地域で、「自然があれば生き残れるというアウトドアスキルを学ばせたい」というニコル氏の強い思いで、開催されたのだった。
また、この「森と海の学校」では津波にのまれたことで海に対する強い恐怖心を抱いてしまった子どもたちに、あえて海のプログラムを実施した。その理由について、プロジェクト開始から環境調査や教育のプログラムの企画運営を担当してきたC.W.ニコルアファンの森財団の大澤渉氏は「この地域と海は切っても切り離せません。だからこそ早く海への恐怖を取り除く必要があると感じました。海も重要な教室の1つなのです」と語る。
前出の山田親子はこの一連のイベントにも何度も参加している。「震災前までは夏は必ず家族や友達と海に遊びに行っていたんだけど、震災後は海が恐くなってずっと離れていました。だから海の学校ではなかなか海に入れなかったのだけど、みんなもいたし元々好きだった海だから思い切って入ってみたらすごく楽しくて。また海が好きになれたからよかったです」(ともみさん)
参加した子どもたちと接してきた大澤氏は「このようなプログラムを通して徐々に子どもたちが元気に逞しくなっていく姿を見て、自然のチカラを痛感しました。私自身もとてもうれしかったです」と笑顔で振り返る。
新しい森の学校づくり
復興の森の方は着々と整備が進められ、生まれ変わっていったが、新校舎の建設の方はスムーズには進まなかった。そもそも東松島市では、今回のコンセプトのような学校をつくったことなどなかった。日本では前例がないことをやるのは非常に難しい。
「今回のプロジェクトは新たな挑戦だったので正直ものすごく大変でした。すべて国産材でしかも無垢材をふんだんに使うとなると通常の一般的な学校の校舎よりもコストアップにつながります。公立の小学校なのでその費用には税金が投入されます。ですからまずは予算の問題がありました。それに維持管理の問題、工期の問題、設計・建築業者の問題など、最初から問題は山積みだったんです」(元・東松島市復興政策部部長・高橋氏)
しかも、工程が進むにつれて当初の想定とズレが生じてきた。当初は木造の校舎が森の中に点在するデザインだったはずが、気づけばありふれた鉄筋コンクリートの校舎に変わっており、いつしか復興の森プロジェクトと不協和音が生じ始めていたのだ。このままでは「森の学校」の当初のコンセプトである"自然と寄り添う教育の場"が根本から崩れてしまう。危機感を抱いたニコル氏は阿部市長(当時)と2012年5月から東松島市教育委員長を務める工藤昌明氏に、「もしこのままコンクリートの校舎で進めると言うのなら反対はしないが手伝えない」と直談判した。
「プロジェクトを立ち上げる前から、校舎は絶対に木造じゃなければダメだと主張してきました。その理由はいろいろありますが、木造の建物の方がアレルギーやインフルエンザの発生率が低いというデータがあります。もう1つは日本は森の国だから森の資源を使わないとダメ。そして何より木には人の心を癒やす効果があるので、震災で傷ついた子どもにとって木造の校舎がベストなんです。でもプロジェクトの途中で木造じゃなくて鉄筋コンクリートになってしまいそうになったんですね。木造じゃなきゃダメだと必死に戦いましたが、途中で負けてしまうかもと思ったこともありました。この時が一番つらかったですね」(ニコル氏)
初出日:2017.05.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの