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2017.05.15  取材・文/山下久猛 撮影/那須川薫(スタジオ・フォトワゴン)
取材協力/一般財団法人C.W.ニコルアファンの森財団(一部写真提供)、
宮城県東松島市、児童養護施設支援の会

森の学校プロジェクト委員会、発足

森の学校プロジェクト委員会では毎回白熱した議論が展開された

森の学校プロジェクト委員会では毎回白熱した議論が展開された

東松島市からの学校再建の要請を受けたニコル氏らアファンの森財団は、地域本来の自然生態系の中で子どもを育む「森の学校」プランを策定。それを叩き台に2012年2月、東松島市や大学、支援参加企業などと、「森の学校プロジェクト委員会」を発足させ、第1回東松島市「森の学校プロジェクト委員会」会議を開催。さらに7月には東松島市と「震災復興に向けた連携及び協力に向けた協定書」を締結した。この協定は、東松島市の「森林再生や自然環境調査」「環境教育、人材育成」「森林文化の保全と森林資源の活用」「森の学校」に関わることで連携、協力し復興に取り組んでいくというもの。ここに「森の学校」の実現に向けた活動が本格的にスタートした。

2012年7月、「震災復興に向けた連携及び協力に向けた協定書」を締結したアファンの森財団(C.W.ニコル氏)と東松島市(阿部市長・当時)

2012年7月、「震災復興に向けた連携及び協力に向けた協定書」を締結したアファンの森財団(C.W.ニコル氏)と東松島市(阿部市長・当時)

委員会は会議を重ね、また、子どもを含めた地元住民の声に耳を傾ける中で、森の学校の基本コンセプトを「単なる机上での科目の学習ではなく、森の中ですべてがつながっていることを体感として気づくことができ、自然の摂理を感じ、そこから生き方を学び、どんな災害が発生した時でも自分の身を守るテクニックを習得できる環境」とし、具体的には以下のように要点整理した。

  • 野蒜地区の高台、森に隣接した場所に木材をふんだんに使った校舎を建設する
  • 建設予定地の地形を利用し、小規模の木造校舎を点在させ、里山にある集落のような家庭的で温かい空間をつくる
  • 校舎の周辺に畑や田んぼを配置。作物の成長や四季の変化を日々体感することで、地域の自然を理解し、友達や大人と協力し合うことを学ぶ。
  • 熱源は、自然エネルギー(木質バイオマスや太陽光発電を併用する)を使用する。

復興の森づくり

(復興政策部・高橋部長)

「森の学校」は、学校の中だけではなく森も学ぶ場所と位置づけていた。そのため、校舎建設を待つことなく、建設予定地に隣接する森を「復興の森」と名付け、荒れ果てた森を整備しながら森の中でさまざまななことを学ぶプログラムをスタート。その目的をニコル氏は「子どもたちが自然の中で遊び、学び、また森づくりを通じて様々な経験を積むことで元気な心と絆を育んでいくため」と語る。この復興の森づくりは震災復興プロジェクトの中でも活動の柱の1つとなっていくが、素早い対応が可能になったのは、森のある山を東松島市が民間所有者から丸ごと買い上げていたからこそであった。「元々、この山は長年放置されていた荒れ放題の山だったので、そのままにするよりも活用したいと考えていました。また、市としても山に隣接する学校を作るのは初めてだったので、自然学習など森でも学べて、子どもたちが元気になるような場所にしたいという思いもあったのです」(元・東松島市復興政策部部長・高橋氏)

森の学校実現のための活動

ニコル氏たちはまず、復興の森周辺の環境調査に着手。現状の自然環境を正しく認識し記録を残すことで、地域の自然環境を最大限に活かす方法を提案するためだ。その結果、この地域は、ここにしかない特性をもつ森、川、海、田畑など豊かで素晴らしい自然を有することが判明した。2012年8月に"森の学校"づくりのグランドデザインを検証するため、環境調査のデータを元に荒れ放題だった森の現地調査を行い、復興の森と校舎建設予定地を確認した。

森の現地調査の様子

森の現地調査の様子

2012年10月には、復興の森づくりのワークショップをスタート。初回は大人から子どもまで100人を超える多くの地域住民やボランティアが参加した。当日は大規模災害時に生き残るためのアウトドア技術やサバイバルスキルなどを学んだほか、参加者みんなで荒れ果てた山に入りヤブを刈り、道を作るという整備作業を行った。

2012年10月に行われた第1回復興の森づくりワークショップ。大勢の地元住民が集まった
2012年10月に行われた第1回復興の森づくりワークショップ。大勢の地元住民が集まった

2012年10月に行われた第1回復興の森づくりワークショップ。大勢の地元住民が集まった

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みんなで間伐したことで森は見違えるほど明るくなった

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この頃ニコル氏は馬を活用した里山再生を掲げており、八丸牧場の協力によりデモンストレーションとして馬搬を実施した

神吉夫妻とニコル氏(2012年10月)

神吉夫妻とニコル氏(2012年10月)

この時、現場での実作業を担当した1人がNPO法人児童養護施設支援の会の神吉雄吾(理事・事務局長)・恵子(副理事長)夫妻だ。神吉夫妻は元々は埼玉県在住だったが東北の児童養護施設の安否確認のため震災直後から被災地入りし、ボランティア活動に従事してきた。その過程でそのまま東松島市に住み着き、チェーンソーや重機などの機材の扱い方を習得して、復興作業を行ってきた。

「ニコルさんに初めて会ったのは2011年9月。瓦礫撤去作業をしていた時です。その時、直感的にニコルさんの人柄に強く惹かれました。当時のこの森は人や車もめったに来ない、たぬきくらいしかいない荒れ果てた山でした。でもニコルさんが『何年先になるかわからないけれど、いずれこの地区には子どもたちが戻ってくる。その時にここに故郷としての愛着心をもたせたい。だから今、ここでできることをやろう』と言ったことで、復興の森作りを手伝いたいと思ったんです。それがすべての始まりでした」(雄吾さん)

森の学校のシンボルをつくろう

プロジェクトに加わった古谷氏(写真右から2人目)

プロジェクトに加わった古谷氏(写真右から2人目)

「森の学校」を具現化するため、専門知識を有する人材が必要となった。そんな時、建築家である早稲田大学古谷誠章教授がニコル氏のコンセプトに共感し、古谷研究室としてプロジェクトチームに参加することになった。

2012年12月、ニコル氏らは復興の森のシンボルとして、子どもも大人も遊べるツリーハウスの制作をスタート。ツリーハウス専門家集団・ツリーハウスクリエーションに依頼した。

古谷研究室が作成した森の学校の全体イメージ図。森の学校のグランドデザインが明確化されたことによりプロジェクトメンバーの士気が上がり、推進力もアップした

古谷研究室が作成した森の学校の全体イメージ図。森の学校のグランドデザインが明確化されたことによりプロジェクトメンバーの士気が上がり、推進力もアップした

4月には地域住民と一緒につくるワークショップを開催。参加した多くの大人も子どもも材料となる木の皮を剥いだり、壁を塗ったりして懸命に作業した。制作のための資源は元々この地にあった樹木や石などが使われた。

制作中のツリーハウス

2013年4月に開催されたツリーハウスワークショップの模様

2013年4月に開催されたツリーハウスワークショップの模様

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ワークショップに参加した時の山田ともみさん(当時小4)

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徐々に完成に近づきつつあるツリーハウス

そして2013年5月、ツリーハウスは大勢の人々の手によって完成。再生のシンボルといわれる龍をイメージしてつくられたため、C.W.ニコル氏により"ツリードラゴン"と名付けられた。6月1日に開催された復興の森ツリーハウスオープニングイベントには200名近い人々が参加し、復興の森のシンボルの完成を祝った。

ツリーハウスオープニングセレモニー
ツリーハウスオープニングセレモニー

ツリーハウスオープニングセレモニー

初出日:2017.05.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの