「やっぱり子どもたちは森の中で育てたい」
この山田家だけではなく、多くの人々から参加してよかったという声が寄せられた。ある参加した子どもの祖母は「これまでは子どもが暗い表情でいたり、発災の時間になると落ち着かなくなることが多かったのですが、アファンの森から帰ってきたら、ものすごく楽しそうに、活き活きとした表情で、いかにアファンの森が楽しかったかという話を一所懸命してくれました。震災前に戻ったような様子を見てうれしくて涙が止まりませんでした」と話した。その声を聞いたアファンの森財団の事務局長の野口理佐子氏は「涙があふれました。たった2泊3日の招待で何ができるか主催者として不安でしたが、やっぱり森のチカラはすごい! それを被災地の皆さんに教えてもらいました」と頬を緩める。
アファンの森に行く前は沈みがちだった子どもたちも、帰ってきた時は活き活きとし、お互いに抱きあったり涙を流したりしていたという。この様子を見て当時の教育長は「ニコルさんの招待を受けて本当によかったと胸が熱くなりました。やっぱり子どもたちは森の中で育てたいと思いました」と語っている。(※詳しくはWAVE vol.4を参照)
東松島市の人たちの熱い思いがニコル氏を動かした
その頃、東松島市では学校の再編・統合、高台への移転計画が立ち上がっていた。子どもたちのために新しくつくる学校はどんなものにするべきか。この時、市長をはじめ、当時の教育長や教育次長、復興政策部の職員の脳裏にアファンの森に行った子どもたちの笑顔が浮かんだ。震災以降、市の復興の指揮を執ってきた前・東松島市長の阿部秀保氏は次のように語る。
「震災の年、東松島の子どもたちをアファンの森に招待していただいた後、ニコルさんと話した時のことが忘れられません。あの時、ニコルさんは"人の手を加えて太陽の光を入れると森は蘇る。復興も同じだよ。人が手を加えることによって森も、町も、人の心も必ず復興できるよ"と言ってくれたんです。この言葉を聞いて、ぜひニコルさんに新しい学校作りを手伝ってほしいと思いました」
震災以降、復興事業の全体調整や復興計画の進行管理を担当してきた東松島市役所復興政策部の高橋宗也部長(現在は退職)は「最初にアファンの森に行った市の職員は元気になった子どもたちの様子を見ていたく感動したようですね。私自身も子どもたちの様子を目の当たりにして、自然には確かに子どもの心を癒やし、快復させる力があるということは実感としてわかりました。同時期に市長や教育委員会はじめ、当市のさまざまな人たちが子どもたちの心の癒やしのためにお力添えをとニコルさんにお願いしているんですね。だからこれは市全体の意向であったと言っても過言ではないんです」と語る。
子どもたちの心の復興のために力を貸してほしい──この東松島市の人たちの思いを受け取って、ニコル氏の熱い魂に火がついた。
「彼らから手伝ってくださいと言われた時、やるしかないと思いました。同時にものすごい重い責任も感じました。これは生半可な覚悟ではできないぞと。僕の人生、あとどのくらい残っているかわからないけど、半分くらいは東松島市の子どもたちのために捧げたいと思ったことを覚えています」
初出日:2017.05.08 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの