野蒜の強み
健 私たちもこういう活躍の場を与えてもらえてうれしい限りです。継続することが一番大事ですからね。震災をきっかけに東松島とご縁をいただいて本当によかったです。ただ、本格的に東松島市で活動して、私たちの力を発揮するためには、しっかりとここに拠点を築いて根付くことがまず第一だと考えています。
八丸由紀子(以下、由紀子) 今はその前段階で、市やアグリードさんにいろんな機会をいただいて、馬耕や馬搬など馬を使ったイベントを通して、馬と人との関わりを地域の方や外から来た人々に伝えているわけですが、それこそ安部社長や佐々木常務が思っている地域づくりかなと。つまり、目には見えない大事な部分を伝えるお手伝いをするのが私たちの役割かなと思っていて、実際に始めてもいます。ただ、今はそういったイベントがある時だけ盛岡から東松島に来ているのですが、早く東松島に拠点を築いて日常的に活動したいんですよね。そうなってこそこの地域と本当の繋がりができると思うんです。
健 今後は各地方で自治会の仕組みや地域のみんながそれぞれの能力を活かし合う方法を考えたとき、問題や課題が出てくると思います。そのときどんなふうに解決したかという事例は、この地域にはたくさんあります。そこが強みなんですよね。アグリードのお2人は、早い段階から復興を進めていく上での課題や問題を理解して、情熱をもって取り組んでいる方だったので驚きました。
佐々木 早く八丸さんたちの活動の拠点がこの地域にできて、馬耕などをしてくれるとおもしろいと思うんですよね。農地はいっぱいあるんだから全部やっちゃっていいんですよ(笑)。
健 馬耕はヨーロッパではどんどん機運が高まっていて、道具自体も馬により負担がかからなくて、いい仕事ができるといった感じでレベルが上がってるんですよ。それを我々も取り入れているところです。今年は東松島市に牧場として活用できる土地の候補地をいただくなど協力してもらって牧場づくりに本格的に着手しているところなので、安部社長や佐々木常務など地元のリーダーにご協力をいただきたいと思っています。
由紀子 震災後、野蒜地区で地域の方々と一緒に福幸祭の中で子ども向けの活動をやらせていただいたことで、他の地域でもやってくれないかという声がかかっています。もちろん単発ではできるのですが、継続していくのはとても難しい。一番のネックは地域の方々の繋がりなのですが、この野蒜地区はそれがとても強いんですよね。私たちはこの野蒜地区で馬文化を根付かせてから、日本中に広めていきたいと強く思ってます。
健 単なる牧場ではなく、牧場の中に馬の学校を作りたいと思っているんです。馬搬や馬耕、馬車など、馬と関わる仕事について一通り教える職業訓練校のようなイメージですね。この牧場で馬の世話や扱い方を覚えてそれぞれの地域に帰って、農業、林業、教育、観光など様々な業種で馬を活用して事業やプロジェクトを推進して地域を盛り上げていく。そんな地域活性のキーパーソンになるような起業家の育成がしたいんです。
プロセスに関わらせることが大事
佐々木 今、自治会でも地域づくりの計画を練ってるわけですけど、八丸さんたちの美馬森Japanがこれから東松島に作る牧場、アファンの復興の森、私たちの農村をそれぞれテーマパークに見立てて、これらを馬のダイちゃんの馬車で巡回していただく。将来的には、東名運河や港まで八丸さんたちの馬が人々を運んだりできれば、みんなもこの土地に来やすいんじゃないかと思うんですね。
安部 この地域の高台が被災者の方々の集団移転先になっていて、来年、再来年になれば今、仮設住宅に住んでる人たちが400世帯ほど入ってくる。彼らにも、今までご苦労さんでしたね、頑張りましたねという励ましになればいいかなと。また小学校と中学校もできるので、子どもたちは自然とさまざまな観察や学習ができる。八丸さんたちの存在はありがたく、革新的な自治会を作った意味もあると思う。その馬車での巡回を実現するために、今からうちの農産物処理加工施設(NOBICO=ノビコ)工場の前に馬車の停留所を作ろうと準備してます。
佐々木 そのために馬が停めやすいようにアスファルト舗装ではなく、わざわざ芝生にした(笑)。
健 社長は何でも早いんですよね、行動が(笑)。本当にすごいと思います。
安部 とにかく子どもたちは地域の宝だから、地域が一体となって全員で育てるのが大切。少しずつその成果が出始めていて、給食の残食率が野蒜小学校は1%なんですよ。東松島市の小学校の平均が15.2%だからこれは驚異的な数字なんですよ。市長が嘘だろうと言ったくらいびっくりしていました。これが我々がサツマイモの栽培などの農業体験を通してやってきた食育の成果だと思います。
健 サツマイモなどができる過程を子どもたちに体験させているからだと思いますよ。できたものをただ食べるだけではそれが当たり前になって、食べ物の大切さは実感しにくい。でも実際はサツマイモができるまでにはさまざまな苦労がある。もしかしたらできないかもしれない。そういう作物ができるまでの過程を学ぶことで、食べ物を粗末にはできないという意識が芽生えるんだと思います。僕らも福幸祭で馬耕をやらせてもらっていますが、将来的には先ほど佐々木常務におっしゃっていただいたように、実際に田畑で馬耕をやらせていただきたい。馬耕をやることそのものが目的ではなく、子どもたちに実際に作物ができるまでのプロセスを体験させたい。それによって、今ご飯を食べられているのは実はすごいことなんだと分かるかもしれない。それがやりたいんですよね。
由紀子 子どもたちをプロセスに関わらせるというのはすごく大事ですよね。私たちも、牧場に来た子どもにいきなり馬に乗せたりなんかしないんですよ。まず馬への挨拶から始まり、それから触る、ブラッシングする、お世話することを教え、最後の最後にちょっとだけ乗せるんです。あと、子どもたちに物事は思うようにいかないということを教えたいんですよ。小さい犬や猫は自分の思い通りにひょいっと抱えてどこかに自由に運べますが、馬はポニーでも子どもたちでは思うように動かせません。動かすためにはいろいろな工夫や努力が必要になる。そこに気づきと学びがあるんですよね。それを子どもたちには知ってほしいと思っています。
安部 思い通りにならないことを学ばせることが大事というのは本当にその通りですよね。
佐々木 震災後、社長も私も思い通りにここまで来たわけじゃないので、本当にそう思います。
安部俊郎(あべ としろう)
1957年宮城県生まれ。有限会社アグリードなるせ代表取締役社長/のびる多面的機能自治会副会長
宮城県立農業講習所卒業後、いしのまき農協(旧野蒜農協)営農指導員として入組。1992年退職し、地域農業発展を目指し、施設園芸を中心とした専業農家となる。2006年、農地を守り、地域と共に発展する経営体を目指して「有限会社アグリードなるせ」を設立。代表取締役社長に就任。東日本大震災時には自社も壊滅的な被害を受けるも、消防団の副分団長として現場で避難指示、人命救助、行方不明者の捜索、避難所への誘導などの指揮を執る。震災の翌月から津波を被った田んぼの復旧を開始。除塩に成功し、その年の秋には米の収穫も果たすという驚異的な復旧を成し遂げる。現在、東松島市野蒜地区で、土地利用型部門に園芸部門、さらに6次産業化施設を加え、次世代の人材育成や雇用促進など地域農村コミュニティの発展に尽力している。
佐々木和彦(ささき かづひこ)
1959年宮城県生まれ。有限会社アグリードなるせ常務取締役/のびる多面的機能自治会執行役員
宮城県立農業講習所卒業後、鳴瀬町役場(2005年から市町村合併により東松島市役所に)に勤務。田畑の塩害対策などに従事。2010年有限会社アグリードなるせ入社。東日本大震災時には安部社長とともに人命救助、行方不明者の捜索、田畑の復旧作業などに従事。現在も安部社長のパートナーとして地域振興に尽力している。
八丸健(はちまる けん)
1970年鹿児島県生まれ。一般社団法人美馬森Japan監事/80エンタープライズ,Inc.代表取締役社長
地元鹿児島の高校を卒業後、東北大学に進学。入部した乗馬部で馬の魅力にはまり、将来は馬を扱う仕事をしたいとオーストラリア人のホースマンに弟子入り。大学を中退して一関市で競走馬の調教を学ぶ。師匠の乗馬クラブ立ち上げにともない、八幡平市へ移住。
八丸由紀子(はちまる ゆきこ)
青森県出身。一般社団法人美馬森Japan代表理事/80エンタープライズ,Inc.専務取締役
東京での会社勤務を経て、岩手県内のリゾート総合会社へ転勤。交換研修生としてカナダ・ウィスラーのホテルに4ヶ月出向するも、帰国後1年で勤務先の乗馬クラブが突然廃止となる。その後、大手観光農場を経て、乗用馬トレーニングセンターに勤務。
2000年、同じ勤務先で出会った2人は結婚。2003年、馬を活かし、馬に活かされる社会の創造を目指し、80エンタープライズ,Inc.を設立。2004年、八丸牧場を自分たちの手でいちから開墾、オープンにこぎつけた。2011年、東日本大震災発生の翌月、任意団体「馬(ま)っすぐに 岩馬手(がんばって) 必ず 馬(うま)くいくから」を設立。震災直後から、さまざまな子ども支援活動を継続的に行うとともに、馬たちの力を借りて観光体験、地域活性、子どものライフスキル向上などに取り組む。2013年、当団体を法人化し、一般社団法人「美馬森Japan」設立。震災で甚大な被害を受けた東松島市の新たな町づくりの構想に共感し、アグリゲートなるせとともに野蒜地区でのさまざまな復興支援活動に取り組んでいる。
初出日:2016.03.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの