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2015.10.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

山の行は氷山の一角

東龍治-近影4

──山にはどのくらいの頻度で入っているのですか?

しょっちゅう入っているわけではなく、行事や行があったら山に入るという感覚です。頻度としては2ヶ月に1~2回程度でしょうか。必ず入る行(お寺が主催するイベント)が年に3回あります。1つは毎年6月第1週末の日光修験道の春の峰入り修行(花供入峯)。2つ目が7月の男体山の夏峰。登拝祭です。3つ目が1月の僕のお師匠が住職を務める日光のお寺のお祭です。その他にお寺の行事のお手伝いや、時間ができたときに本番の行の調整のために山に入っています。

ただ、今までお話したような山の行はあくまでも山伏としての修行のほんの一部に過ぎません。行というのは何も滝に打たれたり、山籠りをしたり、苦しいことをすることではないんです。山伏としてどんな修行をしているのですかとよく聞かれるのですが、いつも説明に困るんですよね。普段はどこかに行って何か特別なことをやるわけでもなく、行は普段の生活でも日常的に行っています。例えば朝起きたら仏様にお経を上げます。その後会社に行って仕事をして、夜帰ってきたら念仏を唱えます。朝起きて寝るまでが行で、つまり山伏にとっては、仕事や子育てなどを含め普段の日常生活、生きることすべてが修行なのです。特に仕事は多くの人びとに貢献できるので、山伏の使命と完全に合致します。

24時間365日、常に山伏

東龍治-近影5

ですから山伏の姿に変身したら山伏になる、というわけではないんです。僕は24時間365日、常に山伏なんです。つまりサラリーマンが休みの日に山伏になるのではなく、山伏が平日にサラリーマンとして仕事をしているという感覚なんですね。山伏といわれる人のほとんどが僕のような、宗教とは全然関係のない仕事をもっている人ですが、全員同じ感覚だと思いますよ。

この日常生活を送ることこそが僕にとっては最大の修行です。よく山の修行はつらくて苦しいのにすごいですねと言われるのですが、そもそも山の修行って全然つらくないんですよ。山に入ったら予算もないしノルマもない。会社や家のわずらわしいことも考えなくていい。地位や身分も関係ない。山に入ったらみんな平等です。むしろ里の行、つまり世の中のいろんなしがらみにがんじがらめになった世界で生きていくことこそが最大の行で、こちらの方がよっぽど大変です。そう考えれば普段の生活、里の行は苦行かもしれません。でもみなさんは山に入る修行の方がつらいと思っています。実は真逆なんですよ。

でも、日常生活のいろいろなたいへんなこともすべて修行だと思っているから耐えられるという側面はあります。生命保険の営業マンという仕事柄、あからさまな拒否、拒絶にあうこともしょっちゅうあります。そんなとき、「これも修行」と思うと心が乱れることはありません。

東龍治(ひがし りゅうじ)(法名:瑞龍)

東龍治(ひがし りゅうじ)(法名:瑞龍)
1976年長野県生まれ。

大正大学文学部史学科・同大学院博士前期課程修了。大学院在学中に得度し、山伏に。大学卒業後は東京都、国際マイクロ写真工業社を経て、2013年からソニー生命保険株式会社のライフプランナーとして勤務。平日は会社員として働き、休みの日には山で山伏として修行を行う。妻である漫画家・イラストレーターのはじめさん、小学1年生の娘の3人暮らし。はじめさんのコミックエッセイ『ウチのダンナはサラリーマン山伏』(実業之日本社)でサラリーマン山伏の実情がコミカルに描かれている。

初出日:2015.10.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの