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2015.10.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

厳しい修行の目的

──修験道の修行にはどのようなものがあるのですか?

山での修行中の東さん

山での修行中の東さん

代表的なのは、奈良県の大峰山脈に点在する拝所を5日間かけて踏破する「奥駆け」、奥駆けの最中に行う急な山を登りながらずっと大声で念仏を唱え続ける「掛け念仏」、大岩壁の上からロープで体をくくられて突き出される「覗き」、羽黒山の唐辛子入りの煙で攻められる「南蛮いぶし」、滝に打たれる「滝行」などがあります。ちなみに有名な、熱く熱せられた炭の上を素足で渡る「火渡り」は、これらの修行で得た験の力を確かめるためのものです。

修験道では山の行は十界修行といいます。この世には地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の10の世界があって、それぞれの世界の苦しみを耐えて、10種類の修行をおさめ終わると仏の世界に行けるといわれています。長時間、険しい山を歩くつらさは普通の登山者と同じで、僕も先日、山の行をしているとき、頭の中が真っ白になりました。頭の中を真っ白にするって普段の生活ではなかなか難しいですよね。人間、そういう状況になればとにかく生きること以外、何も考えられません。山の中を歩くというのはそういう極限状態に近づけるわけです。


──なぜそのような厳しい修行をするのですか?

まずは、山に入って厳しい修行を積むことで聖なる草や岩に宿る神仏のお力をわけてもらって、験力、神通力を身につけるためです。そして、その力を自分のためではなく皆様が幸せになるために使うこと。これが最終的な目的です。ですから修行中は世界平和を筆頭に、人びとの商売繁盛、家内安全、身体健全、五穀豊穣など、ありとあらゆることを祈ります。祈ることが山伏の仕事と言っても過言ではありません。山の行もレジャー登山もやってることは同じですが、違いがあるとすればそういう意識で登っているかどうかです。

その験力、神通力を得るために、自ら苦しい状況の中に身を投じて、自分の中を空っぽにして擬死再生を目論むわけです。

擬死再生で力を得る

──擬死再生とは何ですか?

東龍治-近影3

苦しい行の中で罪を滅ぼし、一度死んだようになって新しい力を得て生まれ変わることです。そもそも古来、日本には山をこの世とは別の世界、いわゆるあの世とみなすという考え方があります。民俗学的には「山中他界観」といいます。ですから山に入るということはあの世に行くということなので山伏は白装束で入るわけです。お山によっては死ぬ儀式を行うし、下山するときは生まれる儀式を行うところもあります。

昔は山は道も整備されてなかったし、危険もたくさんあったので、誰もが気軽に入れる場所ではありませんでした。ですから民衆にとって山の中に入って出てきた修験者は自分たちの知らないことを知っていたり、神通力を身につけているという感覚だったのかなと思います。

ちなみに擬死再生は日本の普段の生活の中にもあって、結婚もそうです。花嫁は白無垢を着ますが、あれは死に装束なんですね。自分の生まれ育った家を出ることでいったん死ぬ、だから白装束を着る。でも式の途中でお色直しで赤い着物を着ますが、あれは嫁ぎ先の家で生まれ変わるという意味なんです。白と赤は死と生を表しているんです。

東龍治(ひがし りゅうじ)(法名:瑞龍)

東龍治(ひがし りゅうじ)(法名:瑞龍)
1976年長野県生まれ。

大正大学文学部史学科・同大学院博士前期課程修了。大学院在学中に得度し、山伏に。大学卒業後は東京都、国際マイクロ写真工業社を経て、2013年からソニー生命保険株式会社のライフプランナーとして勤務。平日は会社員として働き、休みの日には山で山伏として修行を行う。妻である漫画家・イラストレーターのはじめさん、小学1年生の娘の3人暮らし。はじめさんのコミックエッセイ『ウチのダンナはサラリーマン山伏』(実業之日本社)でサラリーマン山伏の実情がコミカルに描かれている。

初出日:2015.10.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの