馬搬が衰退した理由
──昭和の中頃までは40人以上の馬方がいたとのことですが、なぜ馬搬が廃れたのでしょうか。
それはすべての産業がそうであるように機械が出てきたからです。昔は農耕や田植えも馬や牛で行っていましたが、今はトラクターやコンバインですよね。木を伐るのも斤やのこぎりからチェーンソーに変わりました。機械でやる方が効率的だし楽だから。しかし効率重視の行き過ぎた機械化は自然を猛スピードで破壊してきたので、現在は機械を使わないやり方も見直されています。どちらの発想もあってよくて、今は両方選べるからいい時代だと思います。木の運搬も重機を使った方が楽ですが、だからこそ逆に馬搬をやる価値もあると思っています。
それで馬搬を仕事としてやるだけではなくて、2010年に遠野馬搬振興会を立ち上げて、馬搬文化や技術の継承と普及の活動にも取り組んでいるわけです。
遠野馬搬振興会
──遠野馬搬振興会はどんな経緯で発足させたのですか?
あるとき、岩手県の林務担当の職員から「県としても馬搬を林業技術として残したい。もしやる気があるなら応援するから振興会を作ってみないか」と言われたんです。それまで県内で馬搬をしている人は60代、70代のお年寄りが4~5人しかおらず、このままでは馬搬文化が消えてしまうのは確実でした。それは県としてもなんとかしたいと思っていたのですがその伝統や技術を受け継ごうとする人がなかなか出てこなかった。そこに僕みたいな若い世代が馬搬をやり始めたので県の職員も可能性を見出したんじゃないでしょうか。
もちろん僕自身も馬搬は素晴らしい伝統文化だと思っていたし、自分だけで淡々とやり続けることもできますが、そのままだと馬搬に価値は生まれないし、誰にも知られません。そうなるといずれ馬搬は消滅してしまいます。それはもったいないので、馬搬の価値を上げて多くの人に伝えて馬搬を広めたい。遠野だけじゃなくて全国に木を伐り出すための山もたくさんあるので、馬搬には絶対に可能性があると思っていました。でもそれは自分だけではできないので、仲間と一緒にやりたいと思ったんです。それに30代には自分が中心になって何かをやりたいという思いもありました。
それで県の支援が受けられるならぜひやらせてくださいと、2010年に他の馬搬従事者や森林組合、NPOなどと「遠野馬搬振興会」を立ち上げて、馬搬文化と技術の継承、宣伝、普及活動を始めたんです。会長には菊池盛治さん、副会長には見方芳勝さんの2人の師匠に就任してもらいました。菊池さんは1936年生まれで16歳から馬搬を始めた達人。1945年生まれの見方さんもこの道50年のベテラン。おふたりとも「森の名手・名人100人」に認定されている馬搬の名人です。僕は事務局長として会の運営全般と、馬搬のイベントを仕掛けたりメディアの取材に対応したりと馬搬のPRを担当しています。
岩間敬(いわま たかし)
1978年岩手県生まれ。馬搬馬方/遠野馬搬振興会事務局長。
高校卒業後、建築家を目指し東京の建築関係の専門学校に入学。卒業後、東京の乗馬クラブに勤務。その後遠野に戻り、乗用馬の繁殖・調教を行う会社に勤めつつ、農林業に携わる。20歳頃から馬搬に興味をもち、2人のベテラン馬方に師事、技術を習得した。2010年、「遠野馬搬振興会」を設立。現在は農林業に従事しながら、馬搬文化と技術の継承、宣伝、普及などを目的として活動している。2011年にイギリスで開催された「馬搬技術コンテスト・シングル部門」で優勝。2012年にはこれまでの活動が認められ、岩手競馬、馬事文化賞受賞。同年、欧州馬搬選手権シングル部門で7位に入賞。
初出日:2013.11.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの