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2013.09.17  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

自分の時間をコントロールする権利

──働き方についておうかがいしたいのですが、やはり会社を辞める前と後では働き方は大きく変わったと思います。一番の変化はどんなところにありますか?

以前にも少し触れましたが、僕が2000年に会社を辞めた理由は次男が重度の障害をもって生まれてきたことです。

会社の中でサラリーマンとして働くということは、会社に自分の時間を差し出す代わりに給料をもらうという形態です。言い換えれば、就労とは、毎月1度、会社から生活費をもらう代わりに、自分の時間をコントロールする権利を会社に差し出すという意味合いが強い。

でもあの頃の僕にとって最も重要なことは、自分の時間と家族の時間を自分でコントロールする権利でした。つまり、僕の人生の中では、次男の成長の過程を見守り、サポートすることの方が、毎月の安定的な収入を得ることより重要だなと思ったのです。それでマルイ渋谷店の副店長になって2年後の2000年の夏に会社を辞めてフジヤマストアを設立したんです。

あれから今年(2013年)でちょうど13年、経済的に苦しい局面はありましたが、このときの選択は間違っていなかったと心底思います。自分で自分の時間をコントロールできるようになって、僕自身も家族もより大きな幸福感、人生の充実感、何よりも納得感を得られるようになりました。その思いは年々加速度的に大きく、別次元にまで広がっています。毎日が充実していて、気がつくとあっという間に1年、2年は経ってしまっています。時間だけはすべての人に平等に与えられているといいますが、アインシュタインの言うとおり時間の感じ方と質量は平等じゃないと思いますね。人によって違います。

自分で自分の時間をコントロールするということはすなわち、自分の人生の主導権を自分で握るということ。それができれば自分の人生に納得できる。納得できたら後悔は皆無ですよね。そのときにしかできないこともできるし。だから働く時間や仕事の内容、仕事をする相手などすべて自分で決められる今の働き方にはとても満足しています。

子どもの成長とともに働き方も変わる

──仕事とプライベートは分けているんですか?

子どもたちがまだ幼い頃は、仕事とプライベートはきっちり分けていました。必ず土日は休むようにしていましたし、家族との時間を起点に仕事の時間を決めていました。でもその子どもたちは年齢とともに成長し、親から離れていきます。現在3人の息子たちがいますが、一番下は高校生で、ハンディキャッパーの次男は来年の春に養護学校を出て、どこかの作業所に入ります。長男は大学生で先日二十歳になったのでもう名実ともに大人ですね。ですから以前のように土日は必ず家族とともに過ごすというわけにはいきません。現在はピープルデザイン関連のイベントはほとんど土日に行うので、土日も働いていることが多いですね。このように子どもたちの成長にともなって働き方も変わってきています。


──毎日どんな感じで働いているんですか?

だいたい8時半からお昼くらいまでは主にフジヤマストアの仕事で、それ以外はすべてネクスタイドとピープルデザイン関連の仕事をしています。デザイン系の仕事はアメリカやヨーロッパのデザイナーとのやり取りが多いのですが、時差の関係で深夜の0時過ぎのスカイプミーティング等も頻繁にあります。寝るのはだいたい夜中の3時半から4時くらいで、朝は7時半くらいに起きます。もちろん毎日ではないですが、1年の全就労時間の半分はそんな感じですね。先ほどお話した通りオランダの大学をはじめ、ヨーロッパの国々での商談のため海外にもよく行きます。

須藤シンジ(すどう しんじ)
1963年、東京都生まれ。有限会社フジヤマストア/ネクスタイド・エヴォリューション代表、NPO法人ピープルデザイン研究所代表理事。

大学卒業後マルイに入社。販売、債権回収、バイヤー、宣伝、副店長など、さまざまな職務を経験。次男が脳性まひで出生したことにより、37歳のとき14年間勤務したマルイを退職。2000年、マーケティングのコンサルティングを主たる業務とする有限会社フジヤマストアを設立。2002年、「意識のバリアフリー」を旗印に、ファッションを通して障害者と健常者が自然と混ざり合う社会の実現を目指し、ソーシャルプロジェクト、ネクスタイド ・エヴォリューションを設立。以降、「ピープルデザイン」という新しい思想で、障害の有無を問わずハイセンスに着こなせるアイテムや多業種の商品開発、各種イベントをプロデュース。2012年にはダイバーシティの実現を目指すNPOピープルデザイン研究所を創設し、代表理事に就任。

初出日:2013.09.17 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの