「ダブルマイノリティ」の孤独
──教会に来るのはどのような人なのですか?
昔の教会には、その日に食べるものにも困るという貧しい人や深刻な病気を抱えた人が多く集まっていたと聞きます。しかし、今は様相が全く違っています。貧しいから宗教に救いを求めようとか、病気を治したいから教会に行ってお祈りしてみようという人はほとんどおられません。私はこの教会を立ち上げてLGBTの人たちだけで500人以上と向き合ってきたのですが、私が感じる彼らの最大の苦悩は「孤独」ですね。孤独は自分ひとりでは癒やせません。といっても友人や家族がいないというわけではなく、そういう人でも孤独を抱えているんです。
───その孤独感とは具体的にはどういうものなのですか?
まず、クリスチャン自体、日本の人口比の0.8%しかいないんですね。また、性的マイノリティは8%しかいません。つまり性的マイノリティのクリスチャンというダブル・マイノリティなわけです。これは相当の孤独感、疎外感ですよ。しかも欧米などと違い日本の教会では自分が性的マイノリティだということをカミングアウトしづらい雰囲気があります。実際に自分が性的マイノリティであることを牧師に告白したら「あなたは罪を犯しているから、もう教会には来ないでください」と排斥された人もたくさんいるんです。イエス・キリストは「あなたの隣人を愛しなさい」と教えているのにも関わらず。こんなことが現実に教会ではたくさんあるんですよ。
それでどこか性的マイノリティでも通える教会はないかとインターネットでいろいろ探したら、新宿コミュティー教会は性的マイノリティを受け入れると書いているし、中村牧師もゲイらしい、じゃあ一回行ってみようと来て、その後移籍して来る人もいます。
───その他の活動は?
月に1度、「学びと祈り」という少し深く踏み込んだ聖書やキリスト教の歴史の勉強会を開いています。また、個人的に聖書を勉強したいという方々の要請に対応することもあります。もちろん、一般の牧師と同じように、結婚式やお葬式を挙げています。
1人だけの結婚式
──特に印象に残っている結婚式は?
以前、私たちの教会に、Aさんがやってきました。Aさんは何年も一緒に暮らしていた同性のパートナーを病気で亡くしたのですが、お互いの両親や親族に自分たちの関係を話していなかったので、パートナーの臨終に立ち会えず、その後もたくさんの不都合なことが起きました。ただ、亡くなる日の早朝、誰もいない病室でパートナーと2人だけで結婚の誓いをしました。その数時間後にパートナーは亡くなってしまったのですが、その誓いは果たして正しかったのだろうかと、Aさんは教会に来て私に問い続けたんです。
でもその質問に対して私は即答できませんでした。誓いをしたこと自体は間違いじゃない、でも神様の前で正しかったのですかと聞かれると答えに窮したんです。でもAさんと話し始めて10分くらいして「わかりました。改めて結婚式をやりましょう」と言っている自分がいました。
──パートナーが亡くなっているのになぜ結婚式を提案したのですか?。
式を「やり直しましょう」という意味ではなく、結婚式をすることによってダメージを受けたAさんの心が癒やされると思ったんですね。グリーフケアの一環としてやった方がいいんじゃないかと思ったわけです。
でも、自分から提案しておいて、これは困ったなと。今まで牧師としていろんな結婚式を執り行ってきましたが、亡くなった人と生きている人との結婚式なんてもちろんしたことはないし、結婚式の式文も定められていて、当然それらにも亡くなった人との結婚式で読む式文なんてないわけで、どうやればいいのかと頭を抱えました。それでいろいろな牧師仲間に事情を話して相談して知恵を借りて、都内の教会でその2人を知っている人、パートナーが亡くなった後に遺されたAさんを支えている周りの福祉関係者など20人くらいを集めて結婚式をしたんです。教会のメンバーも手伝ってくれました。
──どのように執り行ったのですか?
Aさんが1人で、亡くなったパートナーの遺影を持ってバージンロードを歩き、Aさんの手にリングを2つはめて指輪交換としました。もちろん相手方の親族に知られてはいけないので完全シークレットで、表向きには追悼集会のように、これまでAさんたち2人で歩めたことを感謝するようなエピソードも織り交ぜながら行いました。葬儀と結婚式が一緒になったような感じで、私としても得難い経験となりました。
式自体は参列者から祝福されてとってもいい式になりました。当人は、皆さんからの祝福があまりにもすごかったし、結婚式をすることでそれまで抱えていたもやもやした思いが吹っ切れた部分もあったのでしょうか、元気になって、明日から「なるべく後ろを振り返らないように生きて行きます」と言っていました。Aさんは今、同じようにパートナーを亡くした人、あるいは近しい人を亡くしたLGBTのためにNPOを立ち上げようとしています。
カウンセリング
また、悩み相談やカウンセリングも重要な仕事の1つです。性的マイノリティの人たちは匿名性が高く、メールや電話が多いですね。実際に会ったことがない人の方が多いです。でも何度かやり取りをして信頼関係ができて、向こうから会って話がしたいと言われたら、教会やカフェなどその人のご希望の場所で実際に対面してお話をうかがいます。
私たちの教会には会堂がないので、どこかに牧師が常駐するということができないんですね。でも逆にこれはいいことだと思っていて、牧師が教会でふんぞり返って待つのではなく、牧師のほうが自ら動く教会になって、どこにでも行くというスタイルの方がよりその人に寄り添えるかなと思っています。
──具体的にはどのような相談が多いのですか?
やはり自分のセクシュアリティをカミングアウトすべきかどうかという相談がすごく多いですね。そういう人には、自分がしたいと思ったらすればいいし、したくないと思ったら無理にする必要はないですよと答えています。私自身も両親はすでに他界していましたし、神学校に通っていた頃は、ゲイであることはごく一部の親友を除き、話していませんでした。それはカミングアウトすることのデメリットの方が大きいと感じたからです。周囲の人に迷惑をかけてしまう場合もありますしね。例えば私は10代の早い時期に自分がゲイであることに気が付いていましたが、3、40代になってすでに家庭を持っていて妻(夫)子もいる状態で、自分が同性愛者だと気付く人もいるんですね。知り合いの家庭で、父親が性別適合手術を受け、その家庭には母親が2人になったという例もあります。
レズビアンの方々の中には自分の意志でセクシュアリティを公にできずにやむなく男性と結婚して子どもをもうけたけれど、その後離婚して、今は同性パートナーと子どもを一緒に育てている人もいます。これからもっと性的マイノリティのカップルが子どもを持つことへの議論が深まってくるだろうと思います。
──それらはすべて無料で行っているのですか?
はい。料金は一切いただいていません。教会を始めたばかりの頃、自費で北海道まで行ったことがあります。最初はメールと電話で対応していたのですが、その人は自殺しそうだったので、もう私では対応しきれないと思い、札幌まで飛んで地元の同性愛に理解のある牧師の教会につなげたのです。
相談者はカウンセリングによって、すっきりして元気になってくれるのはうれしいのですが、それで私の教会のメンバーになってくれる人はほぼいません。自分の所属している教会に帰っていく人や、それ以来私の教会に顔を見せないという人がほとんどです。
──それなのになぜカウンセリングを行うのですか?
やはり牧師として少しでもLGBTの方々の苦しみに寄り添いたいと思うからです。私自身、ゲイなので彼ら、彼女らの悩み、苦しみは我が事のようにわかりますから。それは理屈じゃないんですよね。
中村吉基(なかむら よしき)
1968年石川県生まれ。日本キリスト教団新宿コミュニティー教会牧師
幼い頃から教会に通い、高校1年生の時に洗礼を受ける。大阪芸術大学卒業後、郷里の金沢に戻り、高校教師に。上京後は農業系の新聞社で整理記者、キリスト教系の出版社で編集者として勤務。同時にキリスト教系の中学や高校で聖書を教える宗教科の教員免許を取得するために上智大学で聴講し、教員免許を取得。1995年、観光で訪れたニューヨークでエイズ患者が教会から排除されている事実を知り、エイズ患者やLGBTに開かれた教会を設立することを決意。2000年、牧師になるために神学校に入学、2004年、神学校を卒業し、牧師になると同時に日本キリスト教団新宿コミュニティー教会を設立。現在は週日の3日を通信社の編集者として勤務し、日曜は牧師として礼拝を行うほか、結婚式の執行、相談者のカウンセリング、教育機関での講演・講義などの活動を行っている。
初出日:2016.09.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの