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2014.07.22  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

衝撃のエチオピア

雄大な自然に囲まれたエチオピアの村

──それは確かに運命としかいいようがありませんね。実際に御自身の目で見たエチオピアの第一印象はどうでしたか?

まずはやはり日本とは比べものにならないスケールの大自然に圧倒されました。また、エチオピア人も素朴で純粋でとてもいい人たちばかりでした。

一方で、すさまじい貧困を目の当たりにし、衝撃を受けました。道端に日常的に人が倒れており、生きているのか死んでいるのか分からないような人々を多く見かけました。仕事がなく、日々の生活の糧が得られず困っている人もたくさんいました。また、電気や水道、ガス、道路、医療などのインフラも整っていないので、日常生活にもかなり支障をきたしていました。こういう現実に身を置く中で、この国のために、デザイナーである自分ができることは何だろうかと深く悩みましたが、私はとにかく自分にできることから始めようと思い直しました。

世界最貧国のひとつ、エチオピアの風景

仕事の面でも想定外のことが待ち受けていました。配属された派遣先がデザインとは関係のない職場で、デザイナーである自分にできる仕事は、ほとんどありませんでした。後から聞いたら、そういうことはよくあるようで、仕事らしいことはほとんどしないまま、赴任期間を終える人もいるようでした。私は自分が本当に望む人生のヒントを求めてエチオピアに来たので、このまま何もしないで帰るわけにはいきませんでした。そのため現地でもいろいろな人と会ったり、派遣先以外でデザインの仕事を探してボランティアで取り組んだりしました。その中で、情熱をもって仕事に取り組んでいる現地の職人に出会い、またエチオピアならではの素材やデザインを見つけ、それらの潜在的可能性にも気づくようになりました。

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エチオピアのオフィス

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自分で仕事をつくっていった

帰国半年前には、青年海外協力隊の皮革隊員として派遣されていた友人と話し合い、外国人である私たちがエチオピアから得たインスピレーションをもとに、ドレスや靴を製作し発表する、ファッションショーを企画しました。早速、手伝ってくれるスタッフやモデルを募集し、一緒にファッションショーを作り上げていきました。慣れない作業で苦労しましたが、ショー本番は大いに盛り上がり、大成功の内に終了しました。参加者からはとてもよかったといううれしい感想を多数いただきましたし、日本大使館からも「日本とエチオピアの友好史上に残る偉大なイベント」として表彰されました。さらに、このときファッションショーの企画に参加してくれたメンバーの一人が、現在の現地パートナーとなり、この時の体験が今の活動の原点となっています。

自らファッションショーを企画・開催

再びアフリカへ

──帰国後はどうしたのですか?

この2年間の経験で、エチオピアがもつ潜在的可能性を秘めた素材と人材、そして私のデザイン力を生かして、作る人、売る人、買う人、みんなが幸せになる「エシカルなものづくり」ができないだろうかと、友人とともにファッションブランドビジネスの構想を練り始めました。しかしこのときは2人ともビジネスの知識や経験が皆無だったこともあり、継続的に収益を生み出すビジネススキームを作り出すことができず、一度起業を断念しました。

その後、一度体系的にブランドマネジメントを学ぼうと、日本ブランドの商品開発とデザイナーとして働こうと決意しましたが、その頃再びJICAから短期ボランティアの要請が来たため、内定を蹴ってガーナへ赴任しました。


──ガーナではどのような仕事を?

職業訓練校でアクセサリーなどのハンドクラフト作品の製作指導をしていました。これまで手づくりで何かをつくったことのない人に、デザインの仕方やつくり方を教えるという難しい仕事でしたが、その時の経験が、今の仕事、例えばエチオピアの職人にバッグづくりの指導をする上で大変役に立っていると感じています。

ガーナの職業訓練校の生徒たちと

ガーナでは、素材自体は現地で調達した比較的安価なものを使用するのですが、ハンドクラフトの最終加工製品をつくることで付加価値をつけ、それを販売するというフェアトレード事業を立ち上げました。その事業の中では、実際に製作している人が、製作工賃としてお金を得るという体験をしたとき、とても喜び、次の仕事へのモチベーションがすごく上がったこと、また買った人も、こんなにいいものを買えたと喜んでくれたことが、非常に印象深かったです。作る人、買う人、両者が喜んでいる姿を目の当たりにしたとき、ここに私がやりたいことの可能性があるなと気づきました。そういう意味で、ガーナでの経験は今の事業を立ち上げる上でとても大きいですね。エチオピアでもフェアトレードのコンセプトは頭のどこかにはあったのですが、ガーナでそれが確信に変わったという感じです。とても有意義な4カ月間でした。

鮫島弘子(さめじま ひろこ)
東京都出身。株式会社andu amet(アンドゥ・アメット)の代表取締役兼チーフデザイナー。

学校を卒業後、化粧品メーカーにデザイナーとして就職するが、大量生産、大量消費のものづくりに疑問を感じ、3年後に退職、青年海外協力隊に応募してエチオピア、続いてガーナへ赴任。帰国後、外資系ラグジュアリーブランドに入社し5年間マーケティングを経験。2012年2月、世界最高峰の羊皮エチオピアンシープスキンを贅沢に使用したリュクス×エシカルなレザー製品の企画・製造・販売を行う株式会社andu ametを設立。2012年、日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門賞、2013年APEC若手女性イノベーター賞等、多数受賞。近年は新しいタイプの若手起業家として注目を集め、人気テレビ番組や大手新聞、ネットなどで取り上げられ、講演・イベントの登壇も増えている。

初出日:2014.07.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの