ボストン美術館へ
──現在の仕事の基礎がこの時代に築かれたといえそうですね。
そうですね。そしてMITに入って4~5年が経った頃、またしても転機が訪れました。あるとき、某プロジェクトで知り合ったボストン美術館の人事担当の女性職員からボストン美術館で働いてみないかと誘われました。美術館が未来にわたって存続していくためには、若い世代、特に社会的マイノリティの若者にアートに関心をもってもらうことが必要不可欠であり、ついてはその一環として若者目線でボストン美術館の変革のための戦略を提案してほしいという話でした。MITで若者にアートを教えたり、地域とアートを融合する取り組みが買われてお声がかかったようでした。こんな機会はなかなかないし、ボストン美術館で何かおもしろいことができるかもと思ったのと、もっと地域コミュニティと密接に関わりたいと強く思っていたので、2006年、MITを退職してボストン美術館に転職しました。
──ボストン美術館ではどのような仕事を?
年に2回、各12人の高校生を雇用し、美術館の外では美術館の代表、中では地域の代表としての権限がもてるという組織を作り、美術館内の様々な部署との恊働を図りながら、プログラムを展開しました。「Teen Arts Council」というそのプロジェクトでは、例えば高校生目線でボストン美術館の広告の効率的な打ち方を考えたり、高校生が美術館の中の解説を書くというプログラムを立ち上げました。また、組織のリーダーシップ育成の一環で、ガイドヘルプの研修や、美術館という視覚に頼る組織体の中で、目が見えないからこそできることを考えるプログラムを、Perkins School for the Blind(パーキンズ盲学校)などと連携して行いました。
また、ボストン美術館館長のマルコム・ロジャースと年に1回必ず打ち合わせをする場を設けて、その子たちがやってきたこととこれからやりたいことを自身でプレゼンテーションさせるという機会をつくりました。その中で、プレゼンとはなんぞやから始まり、伝えたいことをまとめる作業や、話し方の練習など社会人としてきちんと大人になるための研修プログラムをつくって教えました。
私自身もすごくたくさんプレゼンをしていました。先ほどのマルコム・ロジャースはじめ、ボストン美術館の理事たちに対してこの高校生プログラムに資金が必要な理由や、ボストン美術館が変わらなければならない理由などを年がら年中プレゼンしていたんですよ。またボストン美術館の外ではNPOと連携して地域づくりのプロジェクトにも携わっていたので、その資金を集めるためにボストン市やポテンシャルドナーに対しても散々プレゼンをしました。そういう意味ではこの時期にプレゼンテクニックを鍛えられましたね。これも今の仕事にとても生きています。
──ボストン美術館ではコミュニティデザインの実践的な技術を身につけていたという感じでしょうか。
そうですね。確かにボストン美術館での仕事って噛み砕いていくとコミュニティデザインで手掛ける仕事に近かったですね。要するに大きな美術館の中を改革しながら外につなげる仕事だったので。
また、ボストンは富裕層と貧困層の格差が大きい地域で、美術館で雇用した高校生も明日の食事にも困るという低所得家庭の子が多かったんですよ。だから彼らにはただアートっておもしろいよとかアートのいいところを伝えるだけじゃなくて、「我々みたいなマイノリティ、弱者がボストン美術館のような権威ある芸術施設で動くことで、次の世代の子どもたちが夢をもてるし、恩恵に預かることもできる、そのために今働いているんだよ」とか、「すべての人に社会におけるその人ならではの役割があるし、仕事以外でも人間は誰かのため、社会のために貢献している実感をもてれば強く生きていけるので、そういう人間になってほしい」というような話をよくしていました。仕事だけではなくプライベートの相談にもよく乗っていたんですよ。仕事の上司というより彼らの母親とか近所のお姉さんみたいな感じでした(笑)。こういうことがすべてにおいて今の地域をつくる仕事に役立っていると思います。
また、ボストン美術館時代には日本でも活動をしています。2009年には東京都現代美術館からの依頼でアートの教育普及のための夏休みこどもワークショップ「美術館でハ・プ・ニ・ング!? アートで上手に大人になる方法」を手がけました。「上手に大人になる方法っていったい何?」という答えのないことを考え続ける力を身につけるためのワークショップなのですが、それがきっかけでNPO法人CANVASと連携して今も継続させています。
ハーバード大学教授からの忘れられないひと言
一方で当時、ある種の悩みや葛藤も抱えていました。私にとって「アート」とは社会に対して何かを表現し発信する行為だったのですが、そういった発信者になるべき教育を受けていながらも、ボストン美術館という組織を内部から改革する仕事に対して葛藤があったのです。これで本当にいいのだろうか、これから自分はいったいどういうふうに生きていくんだろうとたびたび思い悩んでいました。そんなとき、ハーバード大学の経営学の教授からこう言われました。「宏子のやってることはSocial Intrapreneurship(企業内社会起業家精神)だね。Social Entrepreneurship(社会起業家精神)というのは社会的な起業家として外から社会を変革することだけど、世の中を変えるためには、宏子のやっているような組織の中から改革して外に向けて発信することもすごく必要だよ」と。例えば社会起業家といわれている人たちが社会問題を解決しようといくら頑張っても、実際に法律を作って運営しているのは政府であり自治体なので、いわゆる行政の壁に阻まれてなかなか前に進まないことが多いですよね。だから行政を内部から変えようとする人も必要で、両者がタッグを組んではじめて社会をよりよく変えることができる。
この教授の言葉で、少しずつでも、確実に世の中を変革するということは組織の中でもできるし、やろうと思えばどこでもできるんだなと腑に落ちたんです。目からうろこが落ちる思いでしたね。そういう気持ちがあるからアートを軸にしたコミュニティデザインを今もやり続けられていて、ある程度の成果を出せていると思うので、とてもありがたいひと言だったと思います。その後、2009年にボストン美術館を退職するまで前向きな気持ちで仕事に取り組むことができました。
ボストン美術館退職、独立
──どうしてボストン美術館を退職したのですか?
当時、仕事の意義は強く感じていたのですが、ひとつの組織体の中で決まった仕事だけをこなすというのではだめなんじゃないかと思っていました。それと、私の場合社会に出てからずっと直接の上司という立場の人がいたことがなく、どの職場でも新規の役職で、自分で仕事をつくるというのが当たり前でした。大きな目的・目標・課題に向けて、自分なりに問題解決の方法を考え、実践することを散々やってきましたが、やはり大きく、歴史的なInstitutionにはそれなりの文化があり、その世界でその先10年、20年と仕事をする自分の姿が想像できなかったのです。
また、MITを辞める際に、当時パブリックアートキュレーターの方に、「得意とする仕事を継続することも大切だけど、自分がやりたい仕事を開拓することの方が難しい。たいていの人は、前者が見つかるとずっとそれを続けるが、自分がやりたいと少しでも思うことがあり、そこに探求できる機会があるのであれば、そうするべき」と言われたことがあります。
ボストン美術館を辞めるときもそれと同じで、すごく仕事も楽しかったし、やりがいもありましたが、ひとつの組織体にしばられず、さまざまな人たちや団体と地域をつくる仕事がしたいと思ってボストン美術館を退職したのです。一緒に働いていた子どもたちを残して出て行くのはとても心残りでしたが、みんな背中を押してくれました。
──いずれは組織を離れ、独立したいという思いもあったのですか?
それは常にありましたね。MIT、ボストン美術館で働きながらも、常にいくつか別のプロジェクトに関わっていましたし、ひとつの地域をつくったり変えたりするためにはいろいろなことをやらなければならず、そのときに一つの組織の一員だと動きづらいことが多々あったので。
──ボストン美術館を退職した後はどのような活動を?
しばらくはフリーランスとして、いろいろな人や団体から依頼された仕事をしていました。例えば、2004年から続いている味と感情の苦みから街を考えるプロジェクト「The National Bitter Melon Council Project(苦瓜推進協議会)」関係のコンサル業などもそのひとつです。
そして2011年に日本に帰り、日本を拠点に活動することにしたのです。
菊池宏子(きくち ひろこ)
1972年東京都生まれ。コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表
1990年、高校卒業後渡米。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了(芸術学修士)後、マサチューセッツ工科大学・リストビジュアルアーツセンター初年度教育主任、エデュケーション・アウトリーチオフィサーやボストン美術館プログラムマネジャーなどを歴任。美術館や文化施設、まちづくりNPOにて、エデュケーション・プログラム、ワークショップ開発、リーダーシップ育成、コミュニティエンゲージメント戦略・開発、アートや文化の役割・機能を生かした地域再生事業や地域密着型の「人中心型・コミュニティづくり」などに多数携わる。2011年帰国。「あいちトリエンナーレ2013」公式コミュニティデザイナーなどを務める。現在は、東京を拠点に、ワークショップやプロジェクト開発の経験を生かし、クリエイティブ性を生かした「人中心型コミュニティづくり」のアウトプットデザインとマネージメント活動に取り組んでいる。立教大学コミュニティ福祉学部兼任講師、NPO法人アート&ソサエティ研究センター理事なども務めている。
初出日:2014.04.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの