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2014.02.17  取材・文/山下久猛 撮影/葛西龍

年越しパーティーで2度目の運命の出会いが

──移住したら生活が一変したと思いますが、実際に田舎暮らしを始めてみてどうでしたか?

最初に住んだのは住宅地でしたが、周りには豊かな自然があふれていて、住み始めてすぐに移住してよかったと思いましたね。半年間かけてバイクで日本一周したり、北海道で2ヶ月間暮らした経験もあるので、違和感なくすんなり黒姫に溶け込めました。移住してこれまで都会に帰りたいと思ったこともありません。都会は仕事をするにはいいけれど生活する場じゃないなとそのときに痛感しましたからね。


──しかし仕事も決まっていないのにいきなり移住するってすごいですね。仕事はどうしたのですか?

現地で求人情報を探してタイヤ店に就職し、お客様のクルマに最適なタイヤをおすすめしたり、タイヤをメンテナンスするという仕事をしていました。元々車の整備士でしたし、仕事自体はおもしろかったのですが、「こんなことをするために黒姫に来たわけじゃないのにな...」とか「自然に関わる仕事がしたいな」とずっと思っていました。


──そこからニコルさんとはどのようにしてつながったのですか?

引っ越した年の年末に、移住する前から通っていた黒姫のペンションの年越しパーティーにご主人に誘われて参加しました。一緒にお酒を飲んでいたら、突然真っ赤な顔をした大きな人が現れました。それがニコルだったのです。妻は長年ニコルの大ファンだったのでもうパニック状態になってしまってたいへんでした(笑)。

C.W.ニコルさんと不思議な縁でつながった

それからみんなで一緒に飲みながらいろいろと話をする中で、当時ニコルのアシスタントをしていた人が妻に「今、何か仕事はしてるの?」と聞きました。当時妻は専業主婦だったので何もしていませんと答えると、「実はニコルの家でお手伝いをしてくれる人を探しているんだけどやらない?」と誘われました。妻はその場で「はい、やらせてください!」と即答しました。というわけでニコルとの付き合いは妻から始まったんですよ。

アファンに入ったきっかけ

──奥さんの方が先にニコルさんとつながったとはおもしろいですね。石井さんご自身がアファンに入ったきっかけは?

2000年に、財団法人を作ろうとアファンが動き出します。でも当時財団法人はそんな簡単に作れるものではなかったので、その前身としてNPOを作ることにしました。事務局は東京に作るとしても、黒姫にもスタッフが必要だという話になり、そのときにニコルがアファンの現地スタッフとして働かないかと声を懸けてくれたんです。

冬は一面、雪に覆われるアファンの森

──石井さんの方からではなくニコルさんの方からお声がかかったのですね。

当時、タイヤ店に勤務して3年で、長く勤めるつもりだったので家を建てました。それがたまたまアファンの森のすぐ近くだったんです。それを見たニコルは「アファンの森のすぐ近くに家を建てたということは、石井はここから簡単には出て行かないな」と踏んだんじゃないですかね(笑)。またちょうどそのときニコルのアシスタントが辞めたタイミングで、さらに僕自身常々森の仕事をしてみたいと話していたので、声を懸けてくれたのだと思います。

でも当時アファンには人を雇えるお金なんてなかったので、僕の給料はニコルのポケットマネーから出すということでした。当時、家を建てたばかりで、さらにひとり目の子どもも生まれていたので、生活していけるかなと一瞬不安を感じましたが、なんとかなるだろうとタイヤ店を辞めてアファンの現地事務スタッフとして働くことにしました。これが僕がニコル、そしてアファンと仕事で繋がった最初の一歩です。

石井敦司(いしい あつし)
1967年神奈川県生まれ。一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団 森林再生部 森林整備担当。通称「森の番人」。

自然が好きで田舎暮らしにあこがれ、1997年、長野県信濃町黒姫に妻と移住。2001年にアファンの森に事務スタッフとして入職。2007年から初代森の番人の松木氏の後継者として森の整備・管理の仕事に従事。2012年、2013年は責任者として森の管理を行う。現在は妻、2人の息子と長野県黒姫に暮らしている。

初出日:2014.02.17 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの