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2017.07.18  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

看護師として働くために生きている

2014年に派遣された南スーダンではテント1つで医療活動が始まった(©MSF)

2014年に派遣された南スーダンではテント1つで医療活動が始まった(©MSF)

──白川さんにとって仕事とは、働くとはどういうことでしょうか?

私の場合は本当にやりたいことが仕事になっているのですごく幸せです。こういうことがやりたいと心の赴くままに進んできて、国境なき医師団に入ってみたら本当によかったと思いましたし、国境なき医師団の看護師として働けることがうれしいし喜びも感じています。ですので、私にとっての仕事というのは、「自分の心の赴くままにやること」なのだと思います。

今でも看護師という仕事は天職だと堂々と言いきれます。人生のすべてで、看護師になるために生まれて、看護師として働くために生きていると思っています。

ただ、もちろん働く理由や動機がお金を稼ぐためでも全然いいと思います。それは否定しないし、私もオーストラリアの大学に長期留学すると決めた時、その学費を稼ぐため給料の多い病院に転職したこともありました。だからそれはそれでいいと思うんですが、働くことってやっぱり自分の幸せと喜びにつながらないとつらいだろうなと思います。私はそれがないから幸せだなと思っています。


──でもひたすら人のために働くって疲れないですか?

白川優子-近影2

働くことって決して人のためではなくて自分のためなんだと思います。自分がやりたいことをやることが結果的に人の援助になっているというだけなんです。


──昔から自分の好きなことを仕事にして生きていくことが幸せな人生につながると考えていたのですか?

そこまで考えていたわけではありません。何も考えてはいないけれどやりたいことをやってきた結果が今に繋がっています。人生観についてとかも特に考えているわけでもありません。

国境なき医師団以外の仕事も

──働き方についてうかがいたいのですが、日本にいる時はどういう生活なのですか?

今は、たまたま国境なき医師団の日本事務局がスタッフを必要としていたので、東京のオフィスで事務系の仕事をしています。その作業は大好きな看護ではありませんし、それこそ活動現場よりも泣きたくなるようなつらいこともあります。でもそんな中でもやっぱり喜びは感じています。私の尊敬している国境なき医師団のためになると思えば看護の仕事ではなくても頑張れるし喜びを感じることに気づきました。

また、国境なき医師団とは別の仕事をすることもあります。日本人の海外での傷病時における空輸搬送の仕事の案件を引き受けることもあります。あとはこのようなメディアからの取材に対応したり、各地で講演をしたりという感じですね。仕事以外では、中東に行くことが多いので、アラビア語の勉強のため学校に通っています。アラビア語で現地の人たちとより深くコミュニケーションに役立てたいと思っています。

本を書いて世界に伝えたい

──今後の目標を教えてください。

戦地に生きる子どもたちと一緒に。2012年イエメンにて(©MSF)

戦地に生きる子どもたちと一緒に。2012年イエメンにて(©MSF)


この先やりたいことはこれまで見てきたこと、体験してきたことを世界に向けて発信すること。取材を受けたり講演をしたりといったことのほかにも、本を書きたいという大きな目標があります。それも自分の体験をただ書いて伝えるのみが目的ではなくて世界の非人道的な現状を伝えて、考えるきっかけにしてもらうために書きたいと思っています。読んでいただいた人の中から共感し立ち上がってくれる人が1人でも現れたらうれしいですね。


白川優子(しらかわ ゆうこ)

白川優子(しらかわ ゆうこ)
1973年埼玉県生まれ。国境なき医師団・看護師

7歳の時にテレビで観た国境なき医師団に尊敬を抱く。高校卒業後、4年制(当時)の坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学。卒業後、埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として働く。2003年、オーストラリアに留学し、2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部入学。卒業後は約4年間、オーストラリア・メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年、国境なき医師団に参加し、イエメン、シリア、パレスチナ、イラク、南スーダンなどの紛争地に派遣。またネパール大地震の緊急支援にも参加。2010年8月から2017年7月までの派遣歴は通算14回を誇る。

初出日:2017.07.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの