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2017.07.03  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

憎しみの連鎖を断ち切りたい

──具体的にはどう思い直したのですか?

白川優子-近影3

先程お話したとおり、現地スタッフの育成が私のメインの仕事ではありますが、患者さんと接する機会も実際には多くあります。患者さん、特に子どもですね、気にかけて話しかけて、手を握ったりハグしたりしてあげるととても喜びます。イエメンやシリアなど世界から見放されたような地域で暮らしている人々はみんな悲惨な体験をしています。本当に毎日大変でつらい思いをしている。そんな中、こんな危険な地域にでも海外から看護師さんやお医者さんが来てくれると思ってもらえるだけでも、やっぱり違うかなと思うんですね。

紛争によって教育体制が崩壊しているような地域では、紛争しか知らない子どもたちがたくさん育っています。自分の親兄弟を殺されてしまって、深い悲しみや怒り、悔しさ、恨みによってテロリストになってしまう子どももたくさんいる。紛争が紛争を生む。いわゆる憎しみの連鎖。こんなにかわいい子どもが親を殺された恨みと怒りで復讐に走ってテロリストになってしまっても、それを責めることができるんだろうかと思ってしまいます。

それでも、そうはならないでねという思い、憎しみの連鎖を断ち切りたいという思いを込めて私は子どもの手を握ってあげています。それはジャーナリストではなく、看護師だからこそできること。そんな思いで看護師を続けています。

子どもの手を握って思いを伝える白川さん。2016年イエメンにて(©MSF)

子どもの手を握って思いを伝える白川さん。2016年イエメンにて(©MSF)

──つらいことや大変なことが多いと思いますが、これまで国境なき医師団の看護師として活動をしてきた中で、心が折れそうになったことはないのですか?

特に思い当たりません。ひとつエピソードを挙げるとしたら、一度、国境なき医師団のヨーロッパの事務局から、1年間のオフィスワークの募集要項が出ていて、仕事内容やポジションに惹かれてやってみたいと思いました。その履歴書を書いている時、2015年10月、ちょうど3回目のイエメン派遣に向かう途中だったのですが、アフガニスタンで国境なき医師団の病院が爆撃されたことを知って、履歴書を書くのをやめました。心が折れるどころか、それは許されることではなく、世界でこういうことが起き続ける限り私は現場に行こうと決意したきっかけになりました。


──国境なき医師団の病院は過去に何度も攻撃されているようですね。攻撃している側は誤爆だと言っているようですが。

意図した爆撃、誤爆、無差別など攻撃のタイプは様々ですが、状況的に誤爆とは考えられないケースもあります。軍事に詳しい人の話によると病院は自分の陣地にあれば真っ先に守らないといけない場所で、敵の陣地にあれば真っ先に攻撃目標にするという話を聞いたことはあります。軍事目標の攻撃や地域のライフラインの破壊が目的なのでしょうが、紛争地で医療施設を攻撃する行為そのものが国際法の違反です。

空爆で負傷した息子を抱える父親。2016年イエメンにて(©MSF)

空爆で負傷した息子を抱える父親。2016年イエメンにて(©MSF)

覚悟は決まっている

──自分が働く病院が攻撃されるかもしれないわけですよね。過去には実際に国境なき医師団の病院が攻撃されて死傷者が出ています。その恐怖感ってないんですか?

過去に1、2度、戦闘機が病院の上空を何度も旋回して、ここがターゲットになっているんだなと思った時に恐怖を感じたことはあります。でももし病院が爆撃されて私が犠牲にならなかったとしても他の誰かが犠牲になるわけですし、誰かが現地に行かなかったら援助は続かないという気持ちの方が強いですね。

それから、これまで何度も現場に行って国境なき医師団のセキュリティマネジメントを信頼しているので、その不安を感じる事はありません。現場の安全が確保されていないと医療活動はできませんが、それでも万が一何かあったらそれは仕方がありません。誰のせいでもないし、誰かを責めることもない。自分で選んだことですし、覚悟も決めています。


──では最悪、死んでしまっても後悔はないというところまで覚悟を決めているということですか?

白川優子-近影4

自分が死ぬということを意識したことはありません。初めて国境なき医師団の存在を知った時からすごく尊敬してずっと入りたいと願って入れた団体です。もちろんリスクもわかっていますし、それでもし死んでしまっても、自分がやりたいと信念をもってやり続けた結果、自分の夢を叶えた結果なので後悔は絶対にないということです。


──メンタルの強さというか覚悟の決め方がすごいと思います。

これが自分たちのライフワークだと思っているから、というだけのことだと思います(笑)。

自身を駆り立てる思い

──なぜ、時には命の危険を感じるような紛争地に行って、自分とは縁もゆかりもない人のために看護活動ができるんですか?

そこは言葉でうまく説明できないんですが......。ただ、私は国境なき医師団に入る前、日本とオーストラリアの病院で看護師として働いていたのですが、私がこの国からいなくなっても看護師って何百万人もいるから病院も患者さんも困らない。一方、国境なき医師団が入り込むような、特に紛争地では医師も看護師も少ないために私1人の価値がすごく高くなります。

日本でもオーストラリアでも仕事にやりがいを感じ、充実した看護師生活を送っていたのですが、よりいっそう私という人間が求められて、看護活動が傷ついている人の援助に100%つながるから国境なき医師団に入りました。そのことに看護師としての喜びとやりがいを見出しているというのはあります。

白川優子-近影5

また、先ほども触れましたが、特に紛争地のような場所に生きる子どもたちは精神的にも肉体的にも過酷な毎日を送っています。そんな子どもたちに対して看護をするだけではなく、「今はつらいし怒りや悲しさ、恨みしかないかもしれないけど、やさしさや愛とかも感じて学んでほしい」という思いを込めて手を握っています。日本で看護している以上のことをしたいし、実際にしている自負も、その価値もあると思っています。

そもそも私は看護という仕事が大好きなんです。これまで看護師として老人ホームでの勤務や、在宅医療で訪問看護、病院の手術室、外科、産婦人科などいろんな分野の看護の仕事に携わってきましたが、どこで働いても看護師として働いている自分がすごく好きで、本当に看護師になってよかったと思い続けています。私にとって看護師という仕事は天職です。たとえ、国境なき医師団に入りたいという夢をもっていなかったとしても、何の疑いもなく看護師の道を選んでいたと思います。


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白川優子(しらかわ ゆうこ)

白川優子(しらかわ ゆうこ)
1973年埼玉県生まれ。国境なき医師団・看護師

7歳の時にテレビで観た国境なき医師団に尊敬を抱く。高校卒業後、4年制(当時)の坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学。卒業後、埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として働く。2003年、オーストラリアに留学し、2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部入学。卒業後は約4年間、オーストラリア・メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年、国境なき医師団に参加し、イエメン、シリア、パレスチナ、イラク、南スーダンなどの紛争地に派遣。またネパール大地震の緊急支援にも参加。2010年8月から2017年7月までの派遣歴は通算14回を誇る。

初出日:2017.07.03 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの