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2016.12.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

会社を支えた新ブランド

関昌邦-近影11

──BITOWAやNODATEなどの新商品の開発で経営状況はよくなりましたか?

ノダテマグなど新しい商品は、市場を拡大していますが、表彰記念品など従来の主力商品の需要減を盛り返せるところまでは至っていません。人気がある商品群ですが、特に手仕事にこだわる製品ゆえに生産量に限界があり、従来の主力商品とは生産・販売規模が違いますからね。実は、ノダテマグをリリースした2ヶ月後、東日本大震災が起こって、その時に従来商品の売り上げがドンと落ちて以降、なかなか回復ができていません。でもこれらの新しい製品を開発したからまだこの程度の状況で救われていると思っています。もしノダテシリーズがなかったら今、当社は存在していなかったかもしれません。それだけ震災のダメージは大きかったし、希望の光としてのNODATEの貢献度は大きかったと思います。今はBITOWA、NODATE、urushiolなどの各ブランドが、共通の価値をベースにいい感じでリンクし、収益を上げられる環境が整ってきていると感じています。苦しい状況はまだまだ続きますが、悲観はしていません。現状の職人の環境からすると、丸物木地師が作るノダテマグだけなら月産300個程度が限界ですが、板物木地師が作るプレート類、お箸、卓袱台や重箱が加わると複合的にはビジネス規模が広げられる可能性はありますから。

会津漆器の製作システム

──NODATEやBITOWAはどのようにして作っているのですか?

会津漆器の世界は完全分業制なんです。まずどういう製品を作るかという企画、デザインが決まると、木地づくり→漆塗り→蒔絵描きという工程をたどります。その工程ごとに木地師(丸物・板物)、塗師(丸物・板物)、蒔絵師(手描き・スクリーン印刷)という職人がいて、それぞれに依頼して作ってもらっています。

──つまり、製作に関しては、自社で一貫して行うのではなく、それぞれの工程専門の職人さんに発注して作っているということですね。関さんの役割は?

商品企画、デザインから関わり、それぞれの職人さんをコーディネートしながらイメージ通りの完成形にまでもっていく、いわばプロデューサー的な役割ですね。職人にもさまざまな個性があります、うまさ、速さ、丁寧さ、経験、技術に長けた方もそうでない方もいるでしょうし、性格もさまざま。仕事の対価にも差があります。クライアントから求められる仕事の質によってそれぞれの個性をコーディネートし、クライアントが満足する製品に仕上げる、それが関美工堂の役割なんです。

関さんと会津漆器を作る職人たち。詳しい製作工程は会津漆器協同組合の「会津漆器のできるまで」を参照

──仕事のやりがいはどういう時に感じますか?

会津塗というか漆器そのものが日本の暮らしから消えかけている中、当社の新しい切り口の製品が、漆とは縁などなさそうなスタイルのお客さまに愛用していただいているのを目の当たりにした時はとてもうれしいですね。スケボーとノダテマグを一緒にもっている、みたいな。また、立山の山頂で野点をして写真を送ってきてくださった方にも涙が出るほどうれしいと感じましたよ。日々の暮らしの中で、直接いつも持ち歩いているとか使っているとか言われたり、キャンプ場で使っている人を見かけたり、ブログで紹介していただいているのを見つけたり、市場の反応をダイレクトに感じられると、やりがいを感じますね。

日々の働き方

──日々の働き方について教えてください。

本社勤務の社員は土日は休みですが、セレクトショップ「美工堂」は年末年始以外営業しています。だから経営者で両方を見ている私や妻は、立場上、休みはあってないようなものですね。日頃は社内で打合せたり、業界関係者と打合せたり、外で商談したり、職人さんのところを回ったり、東京など各地に出張したり、展示会に行ったりしているので、基本的に決まった休みはありません。気がついたら10日や2週間、ずっと働いているなんてこともしょっちゅうです。仕事と人生が完全に重なっているという感じですね。

京都産業大学の先生が「東京で仕事をしていると、仕事と人生を分けたがるけれど、ローカルで仕事をしていると、仕事=人生の公私混在が多い」というようなことを言っていました。例えば農業をしている人たちには東京の感覚でいうところのオンもオフもない。生きるということと働くということがイコールなんですね。この話を聞いた時、私も今の生き方はそうかなと。東京で宇宙の仕事をしている時は、意識的に仕事とプライベートを切り分けようとしていたように思えますが、この地域の中で職人たちと交渉しながら新しいものを生み出す仕事をするようになって、オンやオフなんてあまり意識しなくなったということに気づいたんです。経営者だからというよりは、仕事の内容がそうなのだと思いますが、生きるということと働くということがイコールになってきている気がします。いい意味でも悪い意味でも仕事とプライベートの境目はないようなものかもしれません。妻もこの会社で働いていますし。


──そういう生き方でもストレスはないのですか?

関昌邦-近影13

東京で仕事していた時も、仕事の中にストレスと喜び・楽しみが混在し、プライベートの中にも同様にストレスと喜び・楽しみが混在していました。今は、仕事とプライベートが混在している中に、同様にストレスと喜び・楽しみが混在している、という感じですかね。結局ストレスの質や量がどうなのかであって、公私混在が新たなストレスを生んでいるかもしれないけど、逆にそれが新たな喜び・楽しみも生んでいたりするし。ただ勤めていた時代と会社経営とでは、ストレスの質は違っていたりしますね。今の仕事は、少なからず地球や地域とリンクして生きていると実感できるし、大地を感じられる人間らしい環境で、未来のために働いているという喜びがあるので、いろんなストレスをひっくるめて、楽しんでいます。


──奥さんの役割は?

普段はマネージャーとしてセレクトショップで働いています。東京の展示会出展や、キャンプイベント、バイヤーとしての展示会出張など、一緒に動くことが多いです。また会社やお店の方向性を決める時も一緒にディスカッションをよくしているので、私の精神的礎です。妻は結婚する前は温泉旅館の若女将をしていましたが、もともと漆が大好き。会津文化を発信する仕事という意味では、旅館業も漆器業も共通性を感じているのではないでしょうか。NODATEのブランドネームは彼女の発案ですし、セレクトショップをローカル発信拠点にシフトしようというのも彼女のアイディアです。当社の新しいブランディング展開は妻が中心に行っているといえます。そして互いのアイディアが相乗効果になってさらにおもしろいものを生み出してきたように感じています。

奥さんの千尋さんと。バックの書も千尋さんの作品

奥さんの千尋さんと。バックの書も千尋さんの作品

──夫婦で同じ会社で働くということに関してはいかがですか?

メリットとデメリットの両方がありますね。メリットとして一番大きいのが、私では思いつかないいろいろなアイディアを出してくれるので、新しい取り組みが可能になっている点ですね。これまでも妻がいなかったらできなかったという取り組みが、商売の面でも社会活動の面でもたくさんあります。デメリットとしては、かなり厳しいこともビシバシ言われるということですかね。仕事がケンカの原因にもなりがちですし。でも会社のいい方向を見出したいという強い思いからの厳しさでもありますから、裏を返せばメリットなのでしょうね(笑)。

関 昌邦(せきまさくに)

関 昌邦(せきまさくに)
1967年福島県出身。株式会社関美工堂代表取締役

子どもの頃に観たテレビ番組などの影響で宇宙関係の仕事を志す。会津の高校卒業後、明治学院大学法学部に進学。1992年、衛星通信・放送事業を行う宇宙通信株式会社(現スカパーJSAT株式会社)に就職。DirecTV(現スカイパーフェクTV)の立ち上げなどに従事。2000年、宇宙開発事業団/NASDA(現宇宙航空研究開発機構/JAXA)に出向。将来の通信衛星をどのように社会に利活用できるかを目的としたアプリケーション開発に従事。2003年、会津にUターンし、父親の経営する株式会社関美工堂に入社。2007年、代表取締役社長に就任。BITOWA、NODATE、urushiolなど新しい会津漆器のブランドを立ち上げ、会津塗りの新境地を開拓。その他、自社製品を含めた会津の選りすぐりの伝統工芸品や、世界各地から取り寄せたデザイン性にすぐれるグッズを扱うライフスタイルショップ「美工堂」などの運営を通して、会津の地場産業の素晴らしさを国内外に発信している。

初出日:2016.12.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの