設計時のこだわり
──雄谷さんはShare金沢の設計段階から関わったということですが、こだわった点は?
例えば住宅地の中に広い駐車場があって、夜、怪しげな車が停まっていると恐いですよね。生活の場の真ん中に恐い場所をつくると住民が安心して暮らせません。また、車が住宅地の中を頻繁に走ると子どもが道路で思いっきり遊べません。だから大きな駐車場を町の中に作らずに、入り口に作っているんです。
また、町としてはある程度統一感がないとおしゃれな感じにならないのですが、同じような建物ばかりが並んでいたら温かみがなくなるので、そうならないように工夫してほしいと建築家にオーダーしました。あとは整然と区画するのではなく、あえて裏道のようなものを作ってもらったことで、表情豊かな町になってよかったです。
──今インタビューさせていただいているこのスペースは全面ガラス張りになっていて町の様子が一望できていいですね。
ここもこだわった場所の一つです。この「ニューももや」が入っている建物は町の入口の高台にあって、ほかに天然温泉や高齢者デイサービスなどが入っています。多くの方々にここで食べたり飲んだりしながら、ここから見える町の風景を楽しんでほしいと思って建てました。ほら、今、ものすごい勢いで走っていったのがここに住んでいる知的障害の子どもです。住宅街であんなに思いっきり走ってる子ども、最近はあまり見ないでしょう? 車が走ってないからあんなに思いっきり走れるわけです。あっちのランドセルを背負った子どもはここの住民じゃなくて近所の小学校に通ってる子です。あの子たちはここが通学路とか遊び場になっているんですね。学校もここを通っていいよと子どもらに言っています。車があまり通らないからほかの道を通るよりも断然安全ですからね。その向こうに犬と一緒に歩いているのが最近、ご主人が亡くなったのを機にオーストラリアから犬と帰国してサービス付き高齢者住宅に入ってきたおばあちゃんです。人生の最期は日本で暮らしたいとインターネットで調べてShare金沢を知り、余生を過ごすにはすごくいいと思って来たそうです。今入って来た方は近所に住んでいる方ですね。ここは多くの方の散歩コースになっていて、ここを歩くと気持ちがいいとみなさんおっしゃいます。それは環境もありますが、人との関係性、適度な距離感、雰囲気、表現できないやさしさのようなものを感じ取っているからだと思います。
町の中心部には共同売店があって、いつも同じ店員がいるんですが、住民にとってその安心感はすごく大きいんです。店内にはテーブルと椅子があるのでだいたいいつもあそこで住民たちが歓談しています。ほら、今も売店内で高齢者や学生が一緒に何か話してますよね。これが日常的な風景なんです。この共同売店は離島振興の手法です。沖縄の離島ではみんなでお金を出しあって売店に自分の好きな泡盛や食品、お菓子、雑誌などを置く。つまり自分たちのためのお店を作るわけです。同時にそこが島民たちの社交場としても機能します。離島だけじゃなくて昔の日本は共同売店が各地にあってああいう光景が普通に見られていました。あの売店はそれを復元するために作ったわけです。
こんな感じで、老若男女、障害をもってる人、もっていない人、ここに住んでる人、近所の人など、いろんな人たちが、特に密に関わるわけでもなく同じ空間に自然に混在している。このこと自体がすごく大事で、この風景をコーヒーを飲みながら眺めるのが好きなんです。ずーっと見ていても飽きないんですよね。この町から子どもがいなくなるとここのよさは失われます。同じく高齢者、学生など、今Share金沢にいるどれか一つが欠けてもダメ。ここのよさはみんながいるからこそ出ているんです。
──これだけの広い土地にいろいろな施設を建設して温泉まで掘るためには莫大なお金が必要ですよね。
私たちはたくさんお金をもっていたからShare金沢をつくれたわけではありません。全部借金なんです。私と常務が銀行の借用書に判子を押してますが、一生かかってもこんな大金は返せません。お金がなくても実現可能な方法をいろいろ考えて実行した結果なんです。
手に負えないことがうれしい
──Share金沢を作ってよかったと思うことは?
予想もしなかったことが次々起こることがすごくうれしいですね。例えば、先日もShare金沢内にあるレストランでジャズのコンサートが開かれてみんな一緒にお酒を飲んだんですが、ここに住んでる人が「いつものやつお願い」と言って頼んでいる飲み物がメニューにないんですよ。いつの間にかレストランのオーナーと住民が仲良くなって住民独特の裏メニューみたいなものが生まれてるんですよね。あと、お願いしてないのに住民の人たちが子どもたちに卓球を教えてたり。今までの施設では考えられないことが起こっているんです。
佛子園だけではなく、いろいろなNPOやボランティア団体、住民の方々がこの町の運営に主体的に関わって、自分たちで新しい町を作っている。この町は生き物のように常にどんどん変化しているので、もう私たちがコントロールしようなんてことは不可能。その私たちの手に負えなくなっていることがおもしろいしすごくうれしいんですよね。
──手に負えないのがうれしいとはどういうことですか?
私たちは長年、たくさんの福祉施設を運営してきた福祉のプロなので、施設内で起こることはだいたいわかったつもりになっていたのですが、Share金沢では知らなかったことがどんどん起こる。それは単純におもしろいし、私たちにとっても新しい知見になるからです。
また、住民からは「挨拶してくれる人がたくさんいることがうれしい」という声をよく聞きます。30年ほど東京の高層マンションに住んでいてここに移って来た人は、東京ではマンションのエレベーターで偶然一緒になった人に挨拶すると怪訝な顔をされていたんだけど、ここに来たらいろんな人に挨拶されるからすごいうれしいと言っていました。でも、近所の人と挨拶するのって普通のことじゃないですか。それがうれしいという社会ってどうなのだろうって思いますよね。確かにこの社会はどんどん便利になっていますが、その一方で社会が遮断されて、人と人との繋がりや思いやりなどの大事なものが壊れていると感じます。
雄谷良成(おおや りょうせい)
1961年金沢市生まれ。
社会福祉法人 佛子園理事長、公益社団法人 青年海外協力協会 理事長、全国生涯活躍のまち推進協議会 会長、日蓮宗普香山蓮昌寺 住職
幼少期は祖父が住職を務めていた日蓮宗行善寺の障害者施設で、障害をもつ子どもたちと寝食を共にする。金沢大学教育学部で障害者の心理を研究。卒業後は白山市で特別支援学級を立ち上げ、教員として勤務。その後、青年海外協力隊員としてドミニカ共和国へ派遣。障害者教育の指導者育成や農村部の病院の設立に携わる。帰国後、北國新聞社に入社。メセナや地域おこしを担当。6年間勤務した後、実家の社会福祉法人佛子園に戻り、「星が岡牧場」「日本海倶楽部」などの社会福祉施設や、「三草二木 西圓寺」「Share金沢」などさまざまな人が共生できるコミュニティ拠点を作るほか、社会福祉法人としては初めてとなるJR美川駅の指定管理も手掛けている。現在は輪島市と提携して町づくりに「輪島KABULET」取り組んでいる。
- 社会福祉法人佛子園 http://www.bussien.com/
- 三草二木西圓寺 http://www.bussien.com/saienji/
- Share金沢 http://share-kanazawa.com/
- 輪島KABULET http://wajima-kabulet.jp/
- 美川37Work http://www.bussien.com/mikawa37/
- 日蓮宗普香山蓮昌寺 http://renjyoji.jp/
初出日:2015.12.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの