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2015.03.19  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

高校生のころの原体験

──SAFLANにしても生活困窮者支援にしても、そもそも河﨑さんは目の前に困ってる人や苦しんでいる人がいれば放っておけないという気持ちが強いのでしょうね。

みんなそうだと思いますよ。特別私が善意にあふれているわけじゃなくて。


──でも困ってる人の力になりたいと思っても実際に行動に移せない人もいるじゃないですか。もっと若いころからそういう気持ちがあったわけではないのですか?

そう言われて思い出してみればいくつか原体験みたいなのがあります。1つは高校生のときに、O君という友人と駅のホームを歩いていたときに、後ろの方でドスンと大きな音がしました。振り向いたらお婆さんが階段から転げ落ちていました。あまりの突然のことにびっくりして私は動けなかったのですが、彼はいち早く駆けつけて「大丈夫ですか」と声をかけ、駅員さんに連絡して対処したんですね。

もう1つ、同じくO君とショッピングセンターのアイスクリーム屋で受験勉強をサボって話をしていたときのことです。隣のテーブルにすごく体格のいい強面の父親とおとなしそうな母親と4~5歳くらいの男の子の家族連れが座りました。男の子が父親に何かを言ったとき、父親が思いっきりその子を殴り、その子は吹っ飛んで柱に頭をぶつけて泣き出しました。母親は顔をそむけています。いわゆるDV家庭でした。そのときも私は何が起きたんだろうとびっくりして動けなかったのですが、O君がすぐに立ち上がって「子どもに何をしてんだ!」とその父親に抗議したんです。見るとO君自身も涙を流してるんですよ。悔しかったんでしょうね。今思い出しても涙ぐんてしまうんですが、あのとき彼は立派だったなあと思いますね。

2つとも20年以上前の何気ない思い出なのですが、あいつは動けて俺は動けなかったなと思ったことを今でも覚えています。先にお話した阪神大震災も含めて(※前編参照)、こういった何かが起こった現場で自分自身は何もできなくて悔しい思いをしたという経験が自分の中にいくつかあって、だからできるときは何かをしないといけない、そしてそういうことができる立場になりたいと思ったことも最終的に弁護士という仕事を選んだ動機の1つとしてあるんじゃないかと思いますね。

弁護士の本能

そもそも弁護士という職業は目の前の困っている人のために取れる手段が多いし、それが社会から期待されている役割だからそうしているだけだと思いますね。医師なら目の前にケガや病気で苦しんでいる人がいれば本能的に治療しようとするでしょう。それと同じことなんですよ。

もちろん事務所を維持し、生活をしていくためには一定の収入が必要です。その、何とか生活していける程度の経営基盤を得られているのは、アクセンチュア時代にコンサルタントの仕事を通じて経営の基本的な知識を身につけていたことが大きいかもしれません。当時の人脈でいまだに仕事を紹介してくれる方が多いのも助かっています。

独立して法律事務所を立ち上げる

──最初に入った東京駿河台法律事務所では他にどんな仕事を?

もちろん生活困窮者支援だけをやっていたわけではなく、企業の経営相談全般、民事、刑事、家事などなんでも取り組みました。約4年間弁護士としての修行を積んだ後、同世代のこれはと思う弁護士に声を掛けて、2013年3月、現在の早稲田リーガルコモンズ法律事務所を設立したんです。


──なぜ自分たちで事務所を設立したいと?

東京駿河台法律事務所もすごくいい事務所だったのですが、自分たちで好きなようにゼロから新しい事務所を作り上げたいという気持ちが強かったんです。多分性格的に何でも1から自分でやってみたいんですね。今回取材いただいたこのスペースも、コモンズスペースと名付けていますが、リラックスできる空間になっているのではないかと思います。通常の法律事務所にはこういうものは作らないと思うんですが、例えばデザイン事務所とかスタートアップ企業なんかだったら珍しくないですよね。法律事務所という枠を取っ払って、事務所を設計してみたかったんです。それと、社会に対して何か新しい物事を発信していくための基地のようなものを作りたかったというのもあります。


──なぜ九段下にあるのに「早稲田リーガルコモンズ法律事務所」という名称なのですか?

早稲田ロースクールと提携関係にある法律事務所だからです。私や事務所設立メンバーの多くは早稲田ロースクールの一期生だったので、弁護士になった後も、後輩の指導をしたりと、早稲田ロースクールと良好な関係を続けていました。早稲田ロースクールで教授をしていた遠藤賢治教授が退任するにあたり、弁護士登録をして、後進の指導のための事務所を作りたいと話しているのを知り、私たちの世代のメンバーがそれに合流する形で、早稲田ロースクールの実務教育に協力する法律事務所として立ち上がった。それがこの事務所の発祥の経緯なんです。

なお、「コモンズ」というのは共有財、入会地などといった意味で、誰のものでもなく、みんなのもの、受け継がれていく価値、という意味合いをもっています。私たちがロースクールで学ばせてもらった先人の知恵やリーガルスキルを、次の世代に伝えていくための基盤のようなものを作れたら、という事務所設立の理念を込めてこのように名づけました。

河﨑健一郎(かわさき けんいちろう)
1976年埼玉県生まれ。弁護士/早稲田リーガルコモンズ法律事務所共同代表/福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)共同代表

早稲田大学法学部卒業後、1999年、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)入社。経営コンサルタントとして人事や組織の制度設計などに従事した後、2004年に退社し、早稲田大学法科大学院(ロースクール)に入学。2007年、同大学院修了、同年司法試験合格、新61期司法修習生に。2008年、弁護士登録(61期)東京駿河台法律事務所に勤務。議員秘書も経験。2011年3月11日の東日本大震災発生直後から現地にボランティアに赴く。7月には「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」を共同で設立し、原発事故に伴う避難者の方々への支援活動に取り組んでいる。2013年3月 早稲田リーガルコモンズ法律事務所を設立。経営の仕事のほか、弁護士としても活動中。得意分野は中小事業者の経営相談全般、および相続や離婚、子どもの問題などの家事事件全般。特定非営利活動法人山友会の理事を務めるなど、生活困窮者支援にも積極的に取り組んでいる。日弁連災害対策本部原子力プロジェクトチーム委員、早稲田大学法科大学院アカデミックアドバイザーなど活動は多岐にわたる。『高校生からわかる 政治の仕組みと議員の仕事』『避難する権利、それぞれの選択』『3・11大震災 暮らしの再生と法律家の仕事』など著書多数

初出日:2015.03.19 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの