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2015.03.09  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

賠償は現在進行形の問題を解決しない

その時点で一定の成果を得たのでSAFLANの活動は一区切りつけようかとも考えました。ダラダラ活動を続けるのはよくない、とも思っていたんですね。

しかしよく考えてみると、問題は何も解決していないわけです。原発事故によって放射性物質が広範囲に拡散してしまった影響で、長期にわたる継続的な低線量被曝、という状況自体は継続してしまっているわけですね。低線量被曝にともなう健康に対する不安は続いています。損害賠償というのはあくまで終わったことに対して被害者が受けた損害を算出し賠償する問題解決の枠組みにすぎませんから、現在進行形で起きている問題、たとえば避難するかどうか迷っている人たちをどうケアしていくのかという問題の答えにはならないわけです。

先程もお話したように同じ原発事故で損害を被ったといっても、原発からの距離や放射線量の高さによって、その損害のありようはさまざまです。被害に直面した当事者の考え方や個性といった要素も行動選択には影響を与えます。避難する人、そこにとどまる人、避難したもののその後帰ってくる人と、行動選択はさまざまなんですね。しかし、人は自分と違う選択をした人を受け入れない傾向があります。特に余裕がないときにはその傾向に拍車がかかります。同じ原発事故の被害者同士であるはずなのに、行動選択の違いによって、感情的な衝突が起きてしまう例も多くありました。子どもを連れて避難した母親に対し、「故郷を捨てた」「逃げた」などと筋違いな非難が向けられることも多かったのです。

僕らは彼らの支援活動をしているからよくわかるんですが、政府などの公的機関から何の支援もない中で避難を続けるのはものすごく大変なんですよ。多くのケースでは、父親はお金を稼ぐために線量の高い地元に残ったり別の土地に単身赴任したりして、母子で避難しています。長期にわたって家族が分断されるわけです。経済的にも安定していない中で、極度のストレスがかかる状態が継続すると、どうしても家庭内でのトラブルも増えがちです。子どもの安全のために取った避難行動がかえって子どもにストレスを感じさせてしまっているケースもあります。さりとて故郷に帰ったら帰ったで、「一度逃げたくせに」と責められることもあって、一度もつれた紐をほどくことは、簡単ではありません。

私は思うんですが、親が子どもの安全を考えて行動するのは当たり前のことで、そのこと自体が非難されるのはおかしいんですね。だから避難者の家庭が何かトラブルを抱えていたとしても、そうした行動自体を認めた上で寄り添いながら、今の状況を踏まえて一つひとつの個別の課題を丁寧にケアしていく必要があるんです。その人の家庭がどうあるのが一番いいのか、避難先で何らかの手当を受けて暮らしていくのがいいのか、地元に戻って何かをするのがいいのか、どこかに完全に移住するのがいいのか、それはその人の個性や考え方、さまざまな事情にもよるのでケースバイケースだと思うんですよ。政府は早期の帰還を強く促す方向性を明確に打ち出していますが、私はそれは間違っていると思います。

支援のための2つの方向性

政府の指定した避難区域の外側で悩める方々を支援するために何ができるのか。SAFLANでは2つの方向性があると考えました。1つはお金を集めて、避難しようとしている人たちに助成金として支給する方法です。しかしSAFLAN自体にお金はありませんし、企業や篤志家の方々とのコネクションがあるわけではありません。悩んでいたら、ソフトバンクの孫正義さんが立ち上げた東日本大震災復興支援財団が同じようなことを考えているということが分かり、その実現に協力するという形で、これは一部実現しました。

もう1つは立法という方法です。なんだかんだ言っても政府の影響力は大きい。なので国会に働きかけて被災者を支援する法律を作ろうと考えました。避難することも、その地にとどまりながらできるだけ被曝を避けて暮らすことも、いずれも選択できる個人の権利、すなわち「被曝を避ける権利」を具体化する法律を作るべきだという運動を始めました。手始めに、SAFLANで議論して法律の素案のようなものを作って当時の与野党の国会議員に送りました。

このような立法運動を2012年1月に始めたところ、同じ時期に、他にも複数の市民団体のグループや国会議員が、同じような立法に向けて活動をしていることを知りました。そうした方々と繋がり、連携しながら運動を進めていったら、その年のうちに「子ども被災者支援法」(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律)が成立したんです。これには正直驚きました。こんなに早く法律ができるものかと。


──実際に法律を成立させてしまうなんてすごいですね。

陰に日向に多くの方が尽力されたのと、タイミングがとてもよかったのだと思います。でもその後がひどかったんです。法律はただ成立させただけはダメで、実効性をもたせるためには、具体的な基本方針を決めないと意味がありません。しかし、この法律の基本方針の策定は1年以上放置されたのです。しびれを切らした被害者の方々は、2013年8月に政府に対して「子ども被災者支援法」を具体化してくださいという訴訟を起こしました。私はその訴訟の代理人も務めたのですが、驚くことに、提訴から1週間もしないうちに、政府は基本方針案(復興庁「被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針」)を出してきたんです。それまで1年以上放置していたものが、訴訟を起こしたらたった数日で出てくる。いったい今まで何をしていたんだ、と思いました。

そんな経緯で基本方針案は出されたのですが、作られるまでに時間がかかりすぎた上に、支援の対象になる地域が狭すぎたり、支援施策の内容もすでに実施されているものを寄せ集めたのがほとんどと、中身は全くダメなものでした。政権交代があったということも大きな理由の1つですが、もともと超党派の議員立法として全会一致で成立した法律だったのですから、本来は政権交代に影響されるようではダメなんですよね。どうしたらこの法律を動かしていくことができるのか、そこは我々の大きな課題です。

法律とはメッセージ

──法律はできたけど、原発避難者は何の恩恵も受けられてないってことですか?

この法律によって被害者の方々に何らかの具体的な金銭や支援サービスがもたらされたか、といわれれば、それはほぼゼロです。ただ私は法律にはメッセージという役割もあると思っているんです。法律は、この国の「主権者」としての国民が、この国の「構成員」としての国民に対して発するメッセージなんですよ。例えばある国で人種差別を禁止するという法律が成立したとしますよね。人種差別を禁止する法律が成立したからといって実際の人種差別はおそらく簡単にはなくなりません。でも、人種差別を禁止する法律ができたことによってその国の国民は人種差別をしないというメッセージを発しているんです。それが人種差別の抑止力になるし、社会の目指すべき方向を示すことにもなる。北極星のようなもので。だから意味がないわけではないんです。

それと同じように、「原発事故子ども・被災者支援法」が成立したことで、自主避難という選択は間違っていたんじゃないか、いけないことだったんじゃないかと思っていた人たちに、そうではない、あなたたちにはその場にとどまることもその場から一時的に避難したことも、避難先から帰ることも正当な権利なんだよということを明確に宣言したわけです。どんな選択も正当な権利だということが国によって公式に認められたことで、避難した人、しなかった人、戻ってきた人の対立や断絶の根拠を無効化したわけです。

そういう意味ではこの法律は、その役割の半分は果たしているとは思うのですが、避難者が実質的な恩恵を享受するところまでには至っていないのも事実で、私たちも忸怩たる思いを抱えています。ですので、法の掲げた理想を実現すべく、SAFLANも活動を続けているということになります。

河﨑健一郎(かわさき けんいちろう)
1976年埼玉県生まれ。弁護士/早稲田リーガルコモンズ法律事務所共同代表/福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)共同代表

早稲田大学法学部卒業後、1999年、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)入社。経営コンサルタントとして人事や組織の制度設計などに従事した後、2004年に退社し、早稲田大学法科大学院(ロースクール)に入学。2007年、同大学院修了、同年司法試験合格、新61期司法修習生に。2008年、弁護士登録(61期)東京駿河台法律事務所に勤務。議員秘書も経験。2011年3月11日の東日本大震災発生直後から現地にボランティアに赴く。7月には「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」を共同で設立し、原発事故に伴う避難者の方々への支援活動に取り組んでいる。2013年3月 早稲田リーガルコモンズ法律事務所を設立。経営の仕事のほか、弁護士としても活動中。得意分野は中小事業者の経営相談全般、および相続や離婚、子どもの問題などの家事事件全般。特定非営利活動法人山友会の理事を務めるなど、生活困窮者支援にも積極的に取り組んでいる。日弁連災害対策本部原子力プロジェクトチーム委員、早稲田大学法科大学院アカデミックアドバイザーなど活動は多岐にわたる。『高校生からわかる 政治の仕組みと議員の仕事』『避難する権利、それぞれの選択』『3・11大震災 暮らしの再生と法律家の仕事』など著書多数

初出日:2015.03.09 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの