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2014.10.15  取材・文/山下久猛 撮影/宋英治

幸福度を上げたかった

──池島の地域おこし協力隊員として一番大切にしていたことは何ですか?

地域おこしのメインの目的は経済の活性化だと認識している人は大勢いると思いますし、僕自身池島に来た当初はそう思っていました。しかし高齢化が進み、人口も200人以下に減り続けているこの島が経済的に発展していくのは少々無理がある。そうなるためには島の外部から無理矢理お金を注入するしかなく、現時点それはこの島の理にそぐわないんじゃないかなと思いました。現在も炭鉱さるくを実施するために長崎市から補助金が出ていますが島にほとんどお金が落ちていないのが実状です。その理由はいろいろありますが、この島固有の問題として現時点で難しいことは確かです。3年という限られた期間で経済を回すようにすることだけが地域おこしじゃないと思い、何をするべきかと考えたときに、今島に住んでいる人たちの幸福度を上げることが一番大事なんじゃないかと思いました。

その一環として、島に来た人と島のお年寄りたちが交流できる場を極力作っていました。島のお年寄りは、外から来た人に自分の知っていることを伝えたい、聞いてもらいたいと思っていて、それが一番喜ぶことなんです。僕自身や大学の先生、学生が島のお年寄りに話を聞きに行ったのもそのためです。そこまでじゃなくてもちょっとした触れ合いでもいいんです。たまたま池島に来た人がおじいちゃんとグランドゴルフをする機会を作ったことがあったのですが、後におじいちゃんたちが「あのときは楽しかったね」と言ってくれました。そんなとき、僕は心の中でやった! と叫ぶんです。島に来た人も島の人と交流できたことをとても喜んでいました。人との触れ合いってそれだけで記憶のキーフレームになると思うんです。そういうキーフレームを作ることで池島を思い出してもらえる可能性が増える。時にはまた遊びに来てくれる。そうやって人と人のご縁ができあがる。それも大事な地域おこしだと思うんです。そういうことを大事にして3年間やってきたつもりです。

島の長老の話に耳を傾ける長崎大学の学生たち。長老もうれしそうだったのが印象的だった

島の唯一の診療所を訪れ医師の話を聞く機会を設けた

任期終了間際にはいろんな島の人たちが毎晩送別会を開いてくれて、口々に「小島君が来てくれてから若い人が大勢島に来るようになって島が活気づいた」「若い人たちと話せて楽しかった」というありがたい言葉をいただきました。あまり接触のなかった人からも「小島くんは本当によくやってくれた」と、言ってもらえたのがとてもうれしかったです。色紙や感謝状までいただいたときはさすがに泣けました。

連日続いた小島さんの送別会。島を出た後の送別会でも島の人口の約3分の1が集まった

──地域おこし協力隊員として池島に来てよかったと思うことは?

池島の人たちと触れ合えたことが一番大きいです。高齢の方が多いのですが、息子のようにとてもかわいがってもらいました。僕にとって池島は第2の故郷以上の故郷となりました。それがすごくうれしい。3年やってきてよかったなと思うのはこの人の部分ですね。池島の人たちってみんな人懐っこいんですよ。僕は人とフランクに接するのがそんなに得意ではないのですが、僕も彼らと同じように接することでみんなと友達になれました。人との接し方という部分でとても勉強になりました。


──池島の3年間で得られたものは?

池島に来るまでは、当然ですが友達や知り合いはほぼ関東近県の人でした。でも池島は個性的な島だからこそ全国各地からいろんなおもしろい人が来ます。彼らと出会ったことで新しい人的ネットワークが広がったことが一番大きな収穫であり財産ですね。僕の今後の活動に確実につながると思います。


──難しかったことは?

長崎市側との連携ですね。他にももっとやりたいことがあって、いろいろ申請したのですが、一度許可が降りたもののよくわからない理由で却下されたり、任期修了直前に許可が降りたりと不可解な対応が多かった。地域おこしには行政と協力隊員との深いレベルでの意思疎通、目的の共有化、協力が必要不可欠です。長崎市側はなんのために池島に協力隊を募集したのか、そのあたりを真剣に考えていただきたかったですね。

おもしろいかどうかが大事

──これまでの仕事選び、働き方で大切にしてきたことは?

何かをやるとき、お金になるかどうかというよりも、それをやっておもしろいかどうかが一番大事な判断基準ですね。特に最近の僕の働き方は世の中をかき回せるか、僕のやることで人が、世の中が動くかどうか。それがおもしろいと感じていて、それを重視して仕事や働き方を選んでいます。あとは将来に何か残せるかも重要な要素です。


──小島さんにとって仕事とは何か、働くということはどういうことでしょう。

僕は子供時代からゲームが大好きでゲームばっかりやっていたのですが、仕事もゲームのような感覚でやっています。地域おこし協力隊の仕事はまさにRPGでした。おじいちゃんの話を聞いて何かを取ってきたり、誰かに貰った物を誰かに渡して違う物を貰ったり。リアルRPGを3年楽しんでいたんです。そして、それで得た情報をアウトプットすることで、池島に興味を持った人が増えて、訪れる人も増え、訪れた人とやりとりしていくうちにまた話が大きくなり...と、そんな3年間でした。

僕がやりたいのは、これを押せば社会がおもしろくなりそうだなと思うスイッチを押すことなんです。そのためにこの仕事をやる、みたいな。つまり僕にとって仕事とは、やりたいことをやるために必要な手段にすぎない。だから仕事はなんでもいいんです。そもそも単に生きていくためなら何をやったっていいわけですからね。今回地域おこし協力隊員として池島に来たのも、世界に2つとないこの貴重な場所をどうにかして多くの人に知ってもらいたい、そうすればもっと池島も僕もおもしろくなりそうだというのが原点にあって、そのためには地域おこし協力隊になるのが一番手っ取り早いと思ったからですね。

例えば池島に来た人のガイドをすることもスイッチを押すことなんですよ。この人はこの辺のスイッチを押せばおもしろがってくれそうだなと思うスイッチを探して押してみる。例えばここを見せてあげれば喜びそうだなと思うところに連れて行って「ここおもしろいですね」とか「これすごいですね」と喜んだり驚いたりしたとき、やったと思うんです(笑)。そうするとTwitterやブログに書いてくれたり、あるいは後日別の人を連れて再訪してくれたり、大勢に紹介してくれたりしますし。

今回期間限定の準公務員という立場になってわかったのが、公務員って社会を変えることのできるいろんなスイッチを押しまくれる権限をもっているのに、慎重になりすぎてほとんど押していないってことです。それはもったいないなあと思いますね。

小島健一(こじま けんいち)
1976年埼玉県生まれ。長崎大学大学院工学研究科インフラ長寿命化センター研究員/元地域おこし協力隊員(長崎市池島)/見学家/フォトグラファー/「社会科見学に行こう!」主宰

大学卒業後、コンビニでのアルバイト、商社、IT企業、Web制作会社などを経て、2004年からフリーランスとして社会科見学団体「社会科見学に行こう!」を主宰。先端科学研究所や土木工事現場、産業遺産や工場などの見学をコーディネートを行い、大人の社会科見学ブームの火付け役となる。同時に工場などを一般向けにテレビ、ラジオ、書籍、WEBなどで紹介。また、トークライブやサイエンスシートなどを通して、技術者や研究者などの専門家と専門外の人を結びつける活動も。写真家として活動するほかに執筆、イベントやロケーションのコーディネートなども手掛ける。2011年10月から長崎市の地域おこし協力隊の一人として長崎の離島「池島」へ赴任。2014年8月まで「産業遺産で地域再生」を目標に地域おこしに従事。池島の認知度向上、来島者大幅増加に貢献。2014年9月からは長崎大学大学院工学研究科インフラ長寿命化センターの研究員として勤務。テレビ、新聞、雑誌などのメディア出演・登場多数。著書に『社会科見学に行こう! 』、『ニッポン地下観光ガイド』、『見学に行ってきた。』などがある。

初出日:2014.10.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの