予想以上の成果
──その後その地区はどうなったのですか?
「自宅開放・訪問型写真館」プロジェクトの成功で2004年、台湾政府文化局がトレジャーヒルを「歴史的文化・建造物」として認め、保護されることになりました。何より一番大きかったのはニューヨーク・タイムズに「必ず行くべき観光地」のひとつとして選ばれたことです。これで一気に世界中から観光客が押し寄せるようになり、政府も文化的資本としてもっと投資する価値があると判断し、2007年台北市が一度完全封鎖し、アート村として本格的に再開発に着手。2009年から「寶藏巖國際藝術村(トレジャーヒル・アーティスト・ビレッジ)」となり、世界中のさまざまなアーティストが作品を展示するアート地区に生まれ変わりました。以前は高齢者が多くてひっそり住んでいたところだったのに、今は若者を中心にいろいろな人が訪れる観光地になっていて、映画のロケ地にも使われたんですよ。
──すごいですね。今でもそこに人々は住んでいるのですか?
はい。もともと高齢者が多かったため、だいぶ住民の数は減りましたが、アート村になった今でも引き続き住んでいます。我々にとって最終的にトレジャーヒルがアーティストビレッジになったということももちろんですが、何よりも人々がそこに住み続けられる状態をつくったということが大事なことなのです。単純にそこに建つ家の数を増やしたことではなく、そこに住む人々が以前よりももっと具体的に自分の住んでいる場所についての会話をする理由を作ったというのが我々の成果だと思うんです。それを物ではなくアートで成し遂げたということが私にとってはすごく大事で、そこに彫刻やモニュメントなどの何かの象徴になるような物を立てることだけがアートではないということです。
──この仕事で得たものは?
このときの経験で改めてわかったのは、いわゆるホーム、故郷というような魂の中にあるものは他人からどう言われようが決して変えられないということです。これは国を越えた共通の、理屈ではない部分なんですよね。また、この仕事を通してただ物をつくるということだけでは得られないおもしろさ、楽しさ、充実感が得られたので、この頃からはこのときのような人と人とをつなげるコミュニティデザインをより積極的に手掛けるようになりました。
はかないものを可視化する
──人と人とがつながっているようなコミュニティをつくる上で大事にしていることは何ですか?
まちづくり、コミュニティづくりの中に人々の思いをいかに取り入れて、具体的に機能させるかということです。まず、人の思いをきちっと汲み取るために心理カウンセラーの手法を取り入れて、人によってどういう聞き方をすれば答えやすいか、どのタイミングでもう一歩踏み込むかということも考えながら聞いています。しかしそれだけでは不十分で、一見、人と人は一緒にいればつながっているように思いますが、地域をつくるにはただ思いを分かち合っているだけではだめで、どうすれば思いを実際に戦略に変えられるか、そこを機能させるために働きかける必要があります。人と話すときも、これだけ大勢の人を結束させているそれぞれの思いがあるのであれば、その思いを実現させるためにどことどこをつなげて動かせば全体としてうまく機能するのか、ここが大事。その考え方をコミュニティエンゲージメントというのですが、私が一番興味があるのはまさにそこなのです。
もうひとつ大事にしていることは、はかないものをいかにして可視化するかということ。どこの地域にもリーダークラスの人が言ったことをおかしいと思っていても黙って聞いてしまう傾向や、何か言いたことがあっても私の意見なんて大したことはないと思って発言しない人はたくさんいます。しかし、実はそういう一人ひとりが心に秘めているところにその地域ならではの生々しい現状があります。そういう人たちから拙い言葉でも話が聞けるだけで現状がもっと明らかに見えてきます。そういう人たちの気持ちを敏感に感じ取ること、そういった「はかないもの」を可視化して残すことがコミュニティデザインにはとても大事だと思っているんです。そうやって私が見えないものを汲み取って、一緒に動くチームのメンバーがそのために必要な物理的な環境というハード面を考えてくれます。まさに適材適所で、私はこういうソフト面で地域づくりに貢献していきたい。今後も物ではない豊かさを継続して徹底的に追求したいと強く思っているのです。
でも人とのつながりっていいときもあれば悪い時もありますよね。だから1回きりではダメで繰り返し継続していくことが大事。街づくりってみなさん簡単に言いますが、そこに街がある時点で街づくりは一生しなきゃいけないわけです。そういうスパンで街づくりを考えないとダメなんだと思います。
──仕事の喜びややりがいを感じるのはどんなときですか?
すごく単純なことなのですが、私の関わった仕事で人が喜んでくれている姿を見たときです。そこに尽きますね。ありがとうという言葉をもらえるか否かということは全く関係なく、その地域に住む人が活力を得たと感じられるととてもうれしいですね。
それはどんな仕事でも同じで、私がこれまで手掛けてきた学生を対象にしたワークショップでも、彼らからの反応の中で泣きそうになるくらいうれしいものがあります。その瞬間、人前で話すことなどあまり好きな方ではありませんが、自分らしく遠慮せずに、誠心誠意相手と接しながら、このワークショップをやってよかったなと思います。
菊池宏子(きくち ひろこ)
1972年東京都生まれ。コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表
1990年、高校卒業後渡米。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了(芸術学修士)後、マサチューセッツ工科大学・リストビジュアルアーツセンター初年度教育主任、エデュケーション・アウトリーチオフィサーやボストン美術館プログラムマネジャーなどを歴任。美術館や文化施設、まちづくりNPOにて、エデュケーション・プログラム、ワークショップ開発、リーダーシップ育成、コミュニティエンゲージメント戦略・開発、アートや文化の役割・機能を生かした地域再生事業や地域密着型の「人中心型・コミュニティづくり」などに多数携わる。2011年帰国。「あいちトリエンナーレ2013」公式コミュニティデザイナーなどを務める。現在は、東京を拠点に、ワークショップやプロジェクト開発の経験を生かし、クリエイティブ性を生かした「人中心型コミュニティづくり」のアウトプットデザインとマネージメント活動に取り組んでいる。立教大学コミュニティ福祉学部兼任講師、NPO法人アート&ソサエティ研究センター理事なども務めている。
初出日:2014.04.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの