高校時代の原体験
──鯉渕さんの活動のモチベーションになっているのは、「社会にインパクトを与えることで、よりよい未来を描きたい」という思いで、その原体験を高校時代にされているそうですが、どのような体験だったのですか?

今でもすごくよく覚えているのですが、高校の文化祭での実行委員の経験が原体験になっています。文化祭のパンフレット制作の責任者をしていたときに、年々増えるコストを頑張って削減できたというのがルーツですね。実際に行ったことは、紙質や色数を制限したりすることで、印刷費を10万円も削減しながら、発行部数を増やすことでき、最後の来場者までパンフレットを配ることができました。このような小さな変化で大きなインパクトが起こせたことに大きな達成感と喜びを感じ、経営に興味をもつようになりました。そこで大学は経営工学部に進学し、統計工学や、原価計算、オペレーション工学、プログラミングなどビジネスに関することを幅広く学びました。
外資系コンサルティング会社に就職
将来は企業の10年後にインパクトを与える仕事がしたいと思っていたので、大学3年生の時に戦略系コンサルティング会社のインターンに応募し、一週間のお仕事体験をさせていただきました。徹夜の連続でとてもハードでしたが、課題について納得いくまで議論して結果を出すことにやりがいと喜びを感じ、やはりこの道に進みたいと決意。また、就職するときは、20代は好きな仕事に全力で打ち込み、30歳になったら専業主婦になろうと思っていたので、とにかくやりたいこと、つまり経営にたずさわる仕事に早く就きたいと考えていました。主にこの2つの理由で大学卒業後は、外資系コンサルティング会社に入社したんです。
──具体的にはどのような仕事をしていたのですか?
主に大企業の業務プロセス改善で、会計コンサルタントとしてお客様先に常駐することが多かったです。週6日勤務は当たり前でやはりハードな世界でしたが、体を動かすことも好きだったので、冬場は夜中の0時まで働いて1、2時間だけ仮眠を取ってゲレンデに出発、到着後は始発のリフトからまともに昼食も取らずにひたすら滑ってリフレッシュし、そして翌日からまた仕事というのを繰り返してました。
──若いとはいえすごい体力ですね。
丈夫な体に育ててくれた両親に感謝です。大学時代にテニスサークルで鍛えられたのもよかったと思います。体力をつけておくとその分動ける時間が増えるので、人生は楽しめる気がしてます(笑)。
外資系ソフトウェア会社に転職
最初に就職するときは、どんなに忙しくてもつらくても、社会人としてきちんと経験を積むために5年はとにかく仕事を頑張ろうと決めていました。その5年が過ぎたとき、今の主人との結婚が決まり、もう少し自分の時間がもちたいと、外資系ソフトウェア会社に転職しました。そこでは、今までしていたコンサルティングのいわゆるバックオフィスとして、プロジェクト管理や、請求管理、契約管理、また米国本社へのレポーティングを英語で行うなどの業務を任されていました。フロント業務から、またそれを支えるバックオフィスの大切さを学ぶことができ、いまでもいい経験になったと感じています。

転職してから2年ほどたち、新しい業務にも慣れて自分の時間もしっかりもてるようになった頃に、ふと「自分にとって仕事とは」ということを考えるようになりました。そこで、仕事が自分の人生にとってかけがえのない大切なものだと気づいたんです。まだ子どももいなかったので、自分の時間をもっと仕事を通じて成長することに費やしたい、全力で打ち込める仕事がしたいと思うようになりました。それまでシステムを通じて企業の変革を支援してきましたが、それと同時にシステムは変わっても人が変わらなければ会社は変わらないということも実感していたので、今度は人を変えることで企業の将来にインパクトを与えるような仕事がしたいと思い、人材育成コンサルティングのベンチャー企業に入社することを決意したんです。
人材コンサルティング会社へ
──転職してみてどうでしたか?

人材コンサルティング会社時代。ベトナム人の講師とともに
主に法人向けの企業内研修を提供することで社員の成長を支援し、企業の成長へと導くお仕事だったのですが、自分にとってはまったく新しい未知の分野への挑戦でしたので、日々悩みながらも、充実感がありました。はじめはマーケティング業務、その後は直接お客様に提案できる営業も経験させていただきました。また、人が変わるきっかけとなる研修の講師も自分で行うことで、企業の若手社員の方々が気づきを得ることで行動が変わっていく姿を目の当たりにすることができました。それはとてもうれしく、やりがいを感じましたね。
──プライベートも充実していたのですか?
自分なりにキャリアを築いていく一方で、プライベートでは、なかなか子どもに恵まれず悩んでいたこともありました。仕事を辞めて子どもを授かるための治療に専念するという選択肢もありましたが、結果的に子どもを授からなかったときに自分のキャリアに後悔しないよう、どちらもあきらめずに頑張ろうという思いに至りました。
大きな転機
ちょうどその頃、「グローバル人材育成」というキーワードが注目され、企業でも英語を使った研修の案件が増えてきました。英語にはあまり抵抗がなかったこともあり、積極的にそういった案件に携わる中で、自分も日本でも海外でもボーダレスに活躍できる人材になりたい、そのための経験を積みたいと強く思うようになりました。そこで、はじめは海外でMBAを取得しようと思い、会社に「休職してMBAを取るために留学したい」と相談したところ、シンガポール支社立ち上げのお話をいただきました。主人に相談したところ、「MBAよりも、実戦で経験を積むほうがいいから応援するよ」といってもらい、社内公募に応募し、2011年にシンガポールに単身赴任することになったんです。
──シンガポールではどのように支社を立ち上げたのですか?
オフィスも営業先も人脈も、本当に何もないゼロからのスタートでした。また、雇用についても会社法についても、日本とはルールが違っていたりしたので、はじめは大変でしたね。文字通り右も左もわからなかったので、とにかく会う方にいろいろ教えていただきながら、オフィスや営業先リストを作りながら進めて行きました。

しかし、ちょうど生活にも慣れてきた頃に衝撃的な出来事が起こりました。シンガポールに赴任して1ヶ月たった土曜のお昼に、父が倒れたという知らせが日本の家族から届いたんです。しかも予断を許さないという深刻な状況で......。ちょうど週末だったので、すぐに日本へのフライトを手配して父の入院した病院に駆けつけました。その後2カ月間は集中治療室からは出られない状態が続いていたので、一時は駐在を打ち切って日本に帰国しようとも考えましたが、最終的にはシンガポールに残る決断をしました。
──それはなぜですか?
やはり家族に応援してもらい、自分で決意したシンガポール駐在だったことがまず1つ。それと、自分のキャリアを長期的に考えて経験したいと思った海外支社立ち上げだったので、ここまで環境が整っている中でのチャンスなんて二度とないかもしれないと考えたからです。とはいえ、やはり父が心配だったので、せめて週末だけでもそばにいたいと、月曜から金曜日までシンガポールで働いて、その足で深夜便の飛行機で出発し、土日は父の入院している病院で看病し、再び成田発の23時の便で月曜日の朝にシンガポールへ帰るという生活を数カ月ほど続けました。精神的にも体力的にも厳しい日々でしたが、学生時代に培った体力のおかげで乗り切れました。その後、幸いにして父は日常生活が送れるまでに快復できたのでシンガポールでの仕事に集中できるようになったんです。
<$MTPageSeparator$>シンガポールでの仕事
──シンガポールでは具体的にどのような仕事をしていたのですか?

シンガポール時代の鯉渕さん。仕事だけではなくスポーツなどにも打ち込んでいた
支社設立後は現地法人ディレクターとして、シンガポール国内はもちろん東南アジア地域の日本企業の現地法人向けに、人材育成の支援を行っていました。主には、現地のミドル層やマネジメント層に対する研修プログラムを、シンガポールの大学や講師などと相談しながら実施していました。また、日本の若手社員や管理職層をシンガポールに呼んで、海外経験を積むようなディスカッション機会を提供したりすることもありました。こちらもゼロからのスタートだったので、最初はなかなか私たちの研修プログラムを導入してくれる企業はなかったのですが、地道に人脈を作っていくことで最終的には大手企業のお客様に導入いただくことができました。
この時の経験から、何かに行き詰まったり、悩んだりした時には、一人で抱え込まずに周囲に相談してみることの大切さを学びました。おかげで助けてくれるシンガポール人の友人がたくさんできました。自分から行動を起こしていればどこかで突破口が見つかる、何もしなければ始まらないというのが一番の学びだった気がします。また、新たな市場開拓と、現地に合った商品の開発が主なミッションだったのですが、これにおいては、現地のことは現地のよきパートナーを見つけることの重要性も学ぶよい経験になりました。これらの経験で得た「行動すれば何かが変わる」も今の私にとっては原体験の1つかもしれません。シンガポールに駐在していたのは1年2カ月だったのですが、私の人生においてとても貴重な時間でしたね。
「あきらめない」という選択
──帰国後はどんな感じで働いていたのですか?
シンガポールでの経験を活かして新規事業の立ち上げに携わっていました。具体的には、グローバル人材育成の1つの大きな要である、社会人向けのビジネス英語のオンライン研修を、フィリピンのコールセンターと連携しながら法人企業向けに提供するという事業でした。まだサービスを開始して数カ月であったため、プログラム開発や外国人講師のトレーニング、ビジネス英会話力を測るアセスメントの開発などです。国によって仕事の取り組み方の違いを問題視されることもありますが、一緒にどこを目指したいかというビジョンを共有した上で、互いの強みをどのように業務に活かしていくかを探るのは楽しかったですね。フィリピンのメンバーは明るく、開発段階のファジーな状況下でもコミュニケーションを上手に取っていきますが、細かいことには目が行き届きにくい。その一方で日本人のメンバーは、慎重で細かい評価をしたり仕組み化するのは得意ですが、その一方で時間を要したり、物事が決まっていないと進みにくいこともあります。互いの文化や強みを尊重しつつ、弱みは補い合って進めるおもしろさはシンガポールで学んだことですね。

その一方で、帰国をした時、すでに36歳を迎え、高齢出産は避けられない年齢になっていました。年々、出産リスクが高まることを身近に感じながら、少しでも早く子どもを授かりたいと思い、治療を再開することにしました。ただ、そのためには定期的に通院しなければならないというハードルも高く、最初は今の仕事を続けるのは難しいと思い、週3日程度で働ける派遣のお仕事を探したりもしました。
あれこれ悩んでいる中で、最終的には「仕事も、家族もあきらめたくない」という結論に至りました。そこで、会社にありのままを相談した結果、その当時のポジション、責任、業務内容のまま、週4日勤務にしていただくことができたんです。相談する前は抵抗がありましたが、何を一番大事にしたいかを考えると、その思いは自然と自分の中で消化できるようになりました。その後、いろんな苦労もありましたが、幸い子どもを授かることができたんです。
──よかったですね。でもそもそも子どもができたら専業主婦になろうと思っていたはずなのに、その後も働いていますよね。それはなぜですか?
そうですね。確かに就職当時は、自分も専業主婦であった母と同じように子育てにしっかりと向き合いたいという思いから、子どもができたら仕事をきっぱり辞めて、専業主婦になろうと思っていました。しかし、実際にキャリアを重ねていくと、プライベートだけでなく仕事を通じて出会ういろんな方からの気づきや、成長できることへの喜びを強く感じるようになりました。また仕事が大好きな自分にも気づいちゃったんですね。なので、やはり仕事も子育てもどちらもあきらめないで、同じように続けていきたいというように考えが変わっていったからですね。
でも、自分が子どもを授かり、少し先の状況を考えられるようになると、同世代のママさんたちが出産して育児休暇を取った後、職場に復帰しても元の仕事やポジションに戻りづらいという状況を知るようになりました。特に会社勤めをしながら子育てもと思うと、どうしても1週間のうち週5日は保育園に預けざるをえなくなったり、逆に子どもとの時間を大切にすると仕事を辞めてキャリアが途絶えてしまったりする。それは人生の中の優先順位が変わって、仕事よりも子どもの方が大事になるから当然だと思うのですが、私は仕事も子育てもどちらもあきらめないでいられる方法があるのではと考えるようになりました。そこで、働き方や時間の使い方をルールにとらわれずに自主的に選択する方法として、自分自身の一つの将来像であった経営者になることを決意したんです。
仕事と育児の両立のため、起業
──どういう会社を立ち上げようと考えたのですか?

妊娠中に、自然と地域のママさんや子育て中のママさんと出会う機会が増えました。妊娠を機に退職したけどいずれは再び働きたいと思っている人や、出産を機に仕事を辞めてから復職するきっかけがないまま何年も経ってしまったという人にたくさん出会い、こういう働く意欲はあるけれどきっかけを失ってしまっているママさんたちが子連れでも地域で働けるようなサポートをしていきたいと考えていました。そこで勤めていた人材コンサルティング会社を2014年8月に退職し、自分で起業する準備を進めていました。
退職して間もなく、弊社の役員メンバーの一人から「MIKAWAYA21のまごころサポート事業をもっと拡大していくために、社長になってくれないか」と声をかけられました。社長の話は別として、まずは事業についてきちんと知りたいと思い、いろいろ話を聞きました。その中で、まごころサポートは時間に縛られずに地域に貢献しながら社会との関わりをもてる仕事なので、自分が住んでいる地域の中で子連れで働きたいと希望しているママさんたちに働く機会を提供できるかもしれないと思い、事業への関心が高まっていったんです。
MIKAWAYA21の代表取締役社長に

妊娠中にMIKAWAYA21の代表取締役となり、プレゼンを行う鯉渕さん
──当時鯉渕さんは妊娠中でしかも出産間近ですよね。迷いや葛藤はなかったのですか?
声をかけていただいたのは、ちょうど出産3カ月前でした。なので、事業に関わりたいけれど、さすがに出産直前に社長を引き受けるのは難しいし、周りにも迷惑をかけてしまうと思い、最初は断ったんですよ。今までいろんなことを応援してくれていた主人からもさすがに反対されましたね。しかし他の役員メンバーと何度も話し、熱い話を聞いているうちに、徐々に気持ちが揺らいできました。
MIKAWAYA21の事業自体は社会的意義が大きく、企業ではなくて社会を変えることで世の中にインパクトを起こすことができるのではないかと感じていました。ちょっとした仕組みを変えることで社会全体が幸せになるというか、社会全体にインパクトを与えられるってすてきだなぁと。特にそのために仕組みづくりの部分に、とても惹かれました。さらに、何かにチャレンジする時は、自分一人ではなく、チームをもつ方が大きな成果につながる可能性も大きくなります。またそれぞれの強みを活かすことで、互いにカバーできます。出産や育児は確かに大変なことも多いかもしれないけれど、チームをもつことで自分が得意な部分は活かしながら、周囲の協力を得ることで、できることも広がるのではと思うようになっていきました。おそらく困難なことも多いと思いますが、この大きな壁を乗り越えることで、初めて見えてくる世界もあるのではないかと思うと、それにチャレンジしたいという思いの方が強くなっていったのです。
そして元々やりたいと思っていた、地域のママさんたちが子連れでもまごころサポーターとして活躍できれば、社会復帰のチャンスをつくれるのではないかと思い、2014年10月にMIKAWAYA21の代表取締役社長に就任することになったのです。その2カ月後、第一子を無事に出産することができました。
<$MTPageSeparator$>すぐに仕事復帰

出産前、陣痛中でも仕事をしながら笑顔でピース
──出産後はどういう働き方に?
まったく仕事をしなかったのは約一週間の入院中だけでしたね。やはりまだまだ事業に関してや組織面でもキャッチアップをしないといけないことも多く、不安な気持ちの方が大きかったので、退院した日から自宅で仕事を再開しました。スカイプで社員と会議や打ち合わせを行い、自分の仕事は娘が寝ている合間にするという感じでした。とはいえ、自分の体の回復もあったので出社するようになったのは出産から1カ月経ってからでした。その時は、母に家に来てもらい、娘の面倒を見てもらったりしていました。2カ月くらい経ってからは、娘も少しずつ外に出られるようになってきたので、オフィスに一緒に連れて来て仕事をすることもありました。なるべく母乳で育てたいと思っていたので、可能な限り一緒にいられる時間は大事にしていましたが、会議が長引いてしまったりして娘のタイミングに合わせてあげられないときもあり、葛藤もありながら徐々にペースを掴んでいったという感じですね。
──現在は幼いお子さんを育てつつ、どんなふうに働いているのですか?
まだ子どもが1歳半(取材当時)と小さいので、なるべく宿泊を伴う出張は他のメンバーに任せて、私は朝に娘を保育園に送ってから行けるような出張に止めています。普段は保育園に預けてから9時くらいに出社して夜は18時の保育園のお迎えに間に合うように退社することを目標にしていますが、なかなか実現できていません(苦笑)。一時期、忙しい時は22時頃まで会社にいることもあったのですが、そうすると娘の就寝時間も深夜になってしまいます。さすがにこれではいけないと思い、最近は遅くとも19時30分までには保育園にお迎えに行き、帰宅してから食事やお風呂など娘との時間を過ごし、とにかく21時までには子どもを寝かしつけるようにしています。
仕事と育児、両立のコツ
──もともと育児も仕事もどちらも同じレベルで頑張りたいとおっしゃっていましたが、それは今実現できていますか?
どうでしょうね。実現できていることと、そうではないところがあると思います。というのは、やはり時間は有限なので、育児と仕事の両方を100%というのは難しいですね。ただ、人生の中の優先順位は確実に変わりましたね。今までは仕事が1位で土日も含めて多くの時間を仕事に費やしたり、2つの選択があった時には仕事を優先していましたが、出産してからは子どもが1位になりました。なので、子どもと向き合う時間、子どものことを考える時間を増やそうというふうに変わってきましたね。例えば、子どもに無理をさせてしまうような夜遅くまでかかる仕事は避けたり、出張も控えたりするようになりました。自分の中での優先順位を明確にすることで、仕事の中でも優先順位を決めて効率よくこなせるようになったような気がします。

徳島でのドローン実証実験にも娘さんと一緒に
また、育児と仕事の時間配分の仕方という意味では、子どもの成長段階によっても違うということを、自分が出産、育児をして初めて知りました。というのは、子どもが0歳児で寝ている時間が多いときは自宅からスカイプで会議したり、パソコンで仕事することもできていましたが、子どもが成長して活動時間が増えてくると様子が違ってきます。
1歳を過ぎた頃からは、子どももいろんなことがわかるようになってくるので、目の前で仕事したり、携帯でメールチェックしたりするのは避けた方がよくなります。ある時、娘がインフルエンザにかかって保育園に行けなくなったので、1週間ほど自宅にいてパソコンで仕事をしていたら、子どもが抱っこを求めなくなったんです。でも主人が帰ってきたら抱っこしてとせがむんです。これを見てショックを受けましたね。また、スマホをいじっているとスマホを取って投げられたりもしました。絶対的に甘えられる存在というのは子どもの心の成長には必要で、ママにとって仕事の方が自分より優先順位が高いということを子どもに感じさせてはいけないと反省しましたね。なので、最近は、なるべく目の前で仕事したり、携帯でメールチェックしたりもしないように気をつけています。もちろん、緊急の仕事など、どうしても無理なときはありますけどね(苦笑)。それ以外の時は、子どもが寝た後や誰かが見てくれるときは、さっと仕事モードに切り替えます。限られた時間の中で、効率よくいろんなことを進めるためのその切り替えは、育児と仕事の両立のコツかもしれませんね。

生後一ヶ月の頃
今、子どもはできることがどんどん増えて、すごいスピードで成長していっているのを日々実感しています。奇跡の連続を経て産まれてきてくれた命に感謝するとともに、その成長を見守りたいというのが、今の私の人生の中での優先順位の第1位ですね。それは変わらず、そのために経営者という道を選んだわけです。まだまだ手探りですが、いろんな人に相談したりアドバイスをいただいたりしながら、なんとかここまで来られたというのが本音ですね。いずれにしても仕事においては、会社員だった頃とは見える世界が変わったのは大きいですし、育児についても何が正解かはわかりませんが試行錯誤できているので、この道を選んでよかったと思っています。
──仕事をしながら子育てをしていて大変だと思うことは?
一番は、時間ですね。子どもの成長や、一緒にいる時間を大切にしようと思うと、自分1人の時間はほとんどなくなりますし、自分のペースでの生活が難しくなりますね。例えば、土日でも子どもの生活リズムを大事に思うと7時には起きてご飯を用意しなきゃとなるので、今日はちょっと遅くまで寝ていようというのはできなくなりましたね(笑)
その一方で、仕事をしていることで、子育てが楽にできることもあると思います。私自身、出産してから今まで、子どもに対してイライラしたことがほとんどないんです。娘自身が割と育てやすいタイプということもあると思うのですが、たまに泣いたりぐずったりすることはあっても、相手を困らせようとしてやってるわけではなく、オムツだったり、お腹が空いていたりなど必ず理由があって、その時してほしいことを一所懸命、言葉ではなく泣くという方法で純粋に訴えているだけなんだと思えるんです。実際の仕事では、原因がもっと複雑なことが多く、問題が起きていてもその場では表面化しないことも多いので、そういうのと比べると泣いている姿さえかわいく思えてきてしまうんです。
また、子どもがいるからこそ、仕事でも精神的に強くなれることも多いと思います。仕事では、なかなか解決できずに難しいことも多く、気持ちがマイナスの方に振れることもありますよね。どんなにつらいことがあっても、毎日家に帰って子どもの顔を見ればリセットされるというか、この子のためにも社会人として自分のベストを尽くせるように頑張ろうと思えます。自分が戻れる場所があるのはメンタル的にすごく強くなる気がしますね。そういうことを考えると、子育てしながら、仕事を続けてこられてよかったと思っています。
多様性を認めることが大事
──鯉渕さんはこれまで複数の会社で働いてきて、コンサルタントとしてもいろんな会社を見てきたと思うのですが、今の社会で女性が子育てしながら働くということについてはどう感じていますか?

昔と比べて、全体的に晩婚化の影響もあり、社内には独身で子どもがいない女性社員が増えました。また、その一方で、女性の社会進出が進み、小さい子どもを抱える女性社員も増えました。子どもが小さいうちは熱を出すことも多く、そのたびにママ社員は早退したり、その日の朝に突然出社できないということも多くなります。独身だったり、子どもがいない社員は、頭ではわかっていても自身で体験していないと、その大変さや気持ちを理解するのはなかなか難しいですよね。さらに、その負担が彼ら・彼女らに降りかかってくるとママさん社員たちに対してどうしてもマイナスの感情をもってしまうことがあります。もちろん、助けてもらったメンバーは、それに対する感謝の気持ちも大切にしなければならないのですが、互いにそれも1つの経験として受け入れる必要があると思うんですよね。
いろいろ考えていくと、これは多様性の問題の一つで、会社には男性・女性、独身・既婚、子もち・子なしなどさまざまな人たちがいます。グローバル社会になると人種や文化、習慣などいろんな違いがあります。そもそもいろいろな違いをもっている人が共存しているのが社会ですし、そんな社会で生きていく以上、その多様性はお互いに受け入れなきゃいけないですよね。全員が100%快適という社会の実現は難しいですが、お互いの異なる環境を認めながらも、感じていることは相手に配慮しながらも率直に伝え、それぞれの解決策を模索していくことが大事だと思います。そのための許容力や、多様な環境への適応力がこれからはますます求められるでしょうし、それを実現するためのアサーティブコミュニケーション力(相手に配慮しながら、自分の考えを率直に伝える力)がより必要になっていくでしょうね。
<$MTPageSeparator$>生き方に関する3つのポリシー
──鯉渕さんが生き方や働き方に関して大切にしていることは何でしょうか。

3つのことを大切にしています。まず1つ目は、社会人として社会に貢献すること。2つ目は、親から命を授かった感謝の思いとして、受け継いださまざまなことを家庭人として今度は自分の子どもに伝えていくこと。3つ目は、女性としての心の柔らかさを大事にすること。この3つは、社会人になった頃からずっと大事にしていて、これらのバランスをうまく取りつつ生きていきたいと思ってきました。
もちろん人生のある時期は、この中の1つにウエイトが集中することもあったり、なかなかうまくいかないこともあったりしますが、その時に周囲や環境のせいにしてあきらめたりせずに、自分でどうやったらうまくいくか試行錯誤を繰り返してきました。例えば、バランスが崩れていると感じた時は、週末にお茶のお稽古で精神的に落ち着ける時間を取るようにしてみたり、仕事で行き詰まった時にはしばらく会っていなかった友人に連絡して会ってみたりと、壁にぶつかったら何かしら自ら行動を起こして突破口を探すなど、自分から環境をつくっていくことが大事なのだと思います。これまでに出産の件なども、何度も家族や友人にも相談したり、自分で行動を起こすことで前に進めてこられたのだと思います。
あとは失敗を恐れないということでしょうか。失敗しても命がなくなるわけではないので、一度しかない人生ならやりたいことがあれば取りあえずチャレンジしてみる。ダメだったらその理由を考えて、次は成功できるようにまたチャレンジしてみる。その繰り返しでこれまで来た気がします。
──基本的にポジティブですよね。ネガティブなことは考えないのですか?
いえ、考えることもありますよ。ただ考えている時間がもったいないので、「違うこと考えよう!」って、ネガティブ思考を意識的に停止させることはありますね。できない理由よりもどうしたらできるかを考えている方が楽しいですね。とはいえ、私もそんなに人間ができていないので、友人や主人にグチって発散することもありますよ(笑)。特に主人は聞き上手なので、たくさん助けてもらっています。お互いが人生を楽しむことを全力で応援し合えるのが主人であり、絶対的な安心感のある場所が主人ですね。そんな自分の強さの源がそばにいてくれるのは、ありがたいです。
仕事は人生を豊かにしてくれるもの
──鯉渕さんにとって働くということはどういうことでしょうか。

自分の人生を豊かにしてくれるものです。仕事を通じて知り合ったすばらしい友人・知人がたくさんいますし、仕事をしていなかったら経験できなかったことがたくさんあります。その経験が次の新しい道につながることも多々ありました。社会にインパクトを与えたいという今の夢も仕事をしてなかったら気づけなかったと思います。そういう意味で、私にとって仕事とは、「人生っておもしろい! と思えるたくさんの出会いをくれるもの」とも言えるでしょうね。
仕事そのものは、趣味の1つと言ってもいいかもしれません。趣味のテニス、ゴルフ、茶道、ドライブと同じように、自分の人生を豊かに、楽しくしてくれるものですね。仕事で得られる喜びと、テニスなどの趣味で得られる喜びは近いものがあります。今は環境的に土日に仕事をするのが難しくなりましたが、もともとは土日に仕事をしたりすることも多く、きっと苦ではなかったからなのだと思いますね。
──生きている間はずっと働きたいですか?
「働く」ということが「お金を稼ぐ」というのであればNOかもしれませんが、「社会と関わる活動」と考えるとYESだと思います。おそらく死ぬまで何らかの活動はしている気がしますし、社会をよりよくしたいとか人の将来をよりよいものにしたい、それに関わることで自分の人生も豊かになれば、という思いはずっともっているのではないかと思います。

徳島県でのドローン実証実験にて
幸せなキャリアの作り方
──幸せなキャリアをつくるためにはどうすればいいと思いますか?
前職で人材育成に関わってきた立場から申し上げれば、単純にやりたいことをやるというだけじゃなくて、20歳過ぎくらいから50年間仕事をすると仮定すると、まずは30年後にどういう自分になっていたいかというロングスパンの目標を設定することをおススメします。もちろん30年後というのは固定ではなく、例えば40歳とか50歳とかでもよくて、そのためにどうするべきかを考えることが大切ですね。そして、それまでの期間をいくつかのフェーズに区切って、最初の10年間は○○、そして次の10年では□□、というように少し具体的なイメージをもたせていくと、それまでにしなければならないことや、やっておきたいことが明確になると思います。
私個人的には、最初に就職してからの10年間はとにかく仕事に打ち込むのがいいと思います。というのは、それによって職業人としての土台が築かれ、社会人基礎力が培われ、その力はその後、仕事だけでなく自分の人生の前に立ちはだかる壁を突破する武器になりえるからです。最初の10年間は基礎力を身につけることで、その後の人生で達成したい目標が実現できるのだと考えられれば、どんなにつらいことでも耐えられると思います。逆に言えば、この時期にサボってしまうと後々苦労することにもなるでしょうね。
──今後の目標を教えてください。

まずは、まごころサポート事業の拠点を全国47都道府県で1000エリア以上に増やすことです。そして、2018年までに地域限定でもドローン宅配を実用化することで、日本の社会問題の解決の糸口を見出したいと思っています。大きなビジョンとしては、地域でのシェアリングエコノミーをもっと広めて活性化することで、人々の生活を豊かにしたいと思っています。そのためにもまごころサポート事業をもっと全国に広めていきたいですね。
──今後もドローン以外にもどんどん新しいことにチャレンジしていくつもりですか?
はい、おそらく5年後はまた新しいことに取り組んでいるだろうなと思います。一つ階段を登ると、また新しい世界が広がります。なので、基本的なビジョンは変わりませんが、まごころサポートの広め方が変わっていたり、ドローンだけではなくて別の新しいテクノロジーを取り入れているかもしれません。また、自分自身の環境変化ともリンクしていることなので、子どもの成長やタイミングにも合わせて変化を楽しんでいきたいですね。