まずはADからスタート
──大学卒業後、テレビ番組制作会社に入社したわけですが、実際に仕事をやってみてどうでしたか?

僕が配属されたのは「ASAYAN」という番組制作チームで、シャ乱Qのつんく♂さんが「モーニング娘。」をデビューさせようとしていた頃。そんな時にテレビの世界に足を踏み入れたんです。
まずはアシスタントディレクター、ADとしてスタートしたのですが、毎週全国各地で開催される地方オーディションに行って、応募してくる何千人という女の子を最初にふるいにかけるのが僕に最初に与えられた仕事でした。すごく楽しくて、働くっておもしろいと思いましたよ。バブルの余韻が続いていて、テレビも元気な時代でしたしね。でもADって雑用全般を行う一番下っ端なので、仕事はめちゃくちゃ忙しかったですね。入社して3ヵ月くらいは家に帰れず会社に泊まり込んでましたし、半年間くらいは休みが1日もありませんでした。
──ADだと理不尽なことも多かったのでは?
それはもうたくさんありましたよ。まず現場で立ってたら怒られるし、座ってても怒られるんです。つまり、1日中ずっと動いてなきゃいけないんですよ。止まったら怒られるっていうのはすごくおもしろかったなあ(笑)。
──つらかったことは?
つらかったことは多すぎですが、例えば盆暮れ正月など世間一般の人が休んでる時も普通に仕事していました。ご存知の通り、テレビは年末年始に特番を組むんですが、AD時代は番組の立ち会いで、局にいて視聴者の問い合わせやクレームに対応しなきゃいけなかったので大変でした。だからテレビ業界といっても現場の仕事は全然華やかじゃなくてめちゃめちゃ地味でしたよ。だからみんなあっという間にいなくなるんです(笑)。同期入社の社員が20人くらいいたんですが、1年後は僕以外に1人か2人くらいしか残っていませんでしたね。それでも僕は全然嫌じゃなかったですよ。むしろ、そういうテレビ業界の、常識では考えられないめちゃくちゃなところがおもしろかった。毎日がお祭りみたいな感じで楽しかったですね。
入社翌年にディレクターに
──ADは何年ほどやったのですか?

それが僕はすごくラッキーで、たまたまADをやり始めて1年半くらいの時に誰もディレクターをやりたがらない通販の番組があったので、やりたいですと手を挙げたらディレクターをやらせてもらえることになったんですよ。普通はADを3、4年経験しないとディレクターにはなれないので、奇跡のようなラッキーでしたね。もしADを3年もやらなきゃいけない状況だったら辞めていたかもしれません。
その後、ニユーテレスに勤務して6年が経った頃、番組制作部がなくなるというので、ネクサスという「開運!なんでも鑑定団」や「美の巨人たち」を作っていた番組制作会社に転職しました。そこでもディレクターとして6年ほど勤務しました。辞める直前にはカフェをやりたいと思って物件をいろいろ探していたのですが、なかなかイメージに会う物件が見つからなかくて。でも「ひなぎく」と出会ったので退職し、2008年12月にディレクター時代の後輩と6次元をオープンしたんです。(※現在の場所で6次元を運営することになった経緯については前編を参照)
でも、いきなりカフェ1本で生計を立てるのは難しいし、ネクサスを辞めた後、NHKから声がかかったので、フリーのディレクターとして引き続き番組制作の仕事をすることにしました。最初はNHKの国際局で4年ほど海外向けの番組を担当し、その後Eテレの番組を担当しました。6次元のオーナーもやりつつだったので、ものすごく忙しくて毎日ドタバタでした。合計で20年近くテレビ業界にいたので、僕の人生の中ではテレビの仕事をしていた間の方が圧倒的に長いんですよね。
──ディレクター時代はどんな番組を?
情報、ワイドショー、旅、ドキュメンタリー、バラエティ、ドラマなどあらゆるジャンルの番組の制作に携わりました。
──一番好きだったジャンルは?
やっぱり旅番組ですかね。世界中の未知の土地を自分の価値観で選んで取材して紹介するのが超楽しかったですね。いろんな国に行けることも魅力でした。これまで訪れた国は約40ヵ国。世界中を車で旅する番組では女優さんと一緒に3、4週間海外ロケに行ったりしてたのですが、あまり公言できないハプニングもたくさんあってすごくおもしろかったですよ(笑)。
──テレビディレクター時代に得たことは?
あらゆるジャンルのテレビ番組の制作を通じていろんな知識やノウハウを得られたことですかね。それが今の6次元の活動にすごく役立っています。働くことのよさって、その時はわからなくても後々わかるんだなと、今頃気づきましたね(笑)。
あとは、会社に泊まるときはいつも床で寝ていたので、固い床でも平気で寝られるし、椅子が3つあれば熟睡できるし、10分あれば移動中でも寝られます。1ヶ月くらい監禁されても平気ですね。ごはんを食べる時間もなかったから忙しい時は5分で食べることもできます。どんな状況でも生きていけるように鍛えられたことも大きいですね(笑)。
<$MTPageSeparator$>テレビ業界を離れた理由
──テレビ業界から離れようと思ったのはなぜですか? ディレクターの仕事が嫌になったとか?

いや、そんなことないですよ。ディレクターとしてうまくやれてたと思うし、仕事そのものは楽しかったです。ただ、先程もお話しましたが、とにかくテレビ番組を作る仕事は超激務で、1年360日くらい働くわけですよ。1ヵ月ほど会社に泊まることもあるし、突然明日から海外にロケに行けと命じられることもよくある。それでも若い頃は平気だったんですが、30代も半ばを過ぎるときつくなってくるんですよ。そしてあるとき気付けばほとんどのプロデューサーが自分より年下になっていて、やりにくさを感じるようになります。そもそもフリーのディレクターなんて立場的にはものすごく弱いですから。
そしてあっという間に40歳を過ぎ、そしてその先のキャリアが見えなくなる。テレビ局の正社員ならまだいいのですが、僕みたいな制作プロダクション上がりのフリーランスだと特にそうなんですよね。だからこのままずっとテレビの仕事をしてたら、50歳くらいになった時にある日突然会社からいらないって言われて、あるいは燃え尽きちゃって、人生が終わるんじゃないかという危機感は常にありました。実際に、僕の先輩とか身近でそういう人をたくさん見てきましたから。これは切ないですよね。そのときになって、こんなにこの仕事に人生を捧げてきたのに......と思っても遅いわけですよ。そこを反逆したい。だったら自由に生きてやると、人生のあるとき自然と気持ちが切り替わったんです。
もう1つは、マスコミ特有の体質にも違和感を抱いていた部分も大きいですね。特にテレビは数百万、数千万の人々に情報を発信できるという強い影響力をもつ媒体なので、実力以上に自分はすごいと勘違いしている人がいました。やたらと偉そうで、周りを見下しているような人も多くて、自分もそうなるのが嫌だった。
それで徐々にテレビ業界からフェイドアウトしようとネクサスを退職してフリーランスでディレクターをやりつつ、2008年末に6次元をオープンしたというわけです。

──カフェの仕事は未経験だったわけですよね。
その点に関しては何の不安も疑問もなかったですね。やればできると思っていたので。でも実際にやってみたらやらなければならないことが多すぎて大変でした。開店から3年間くらいは週5日間、12時から0時まで営業していて、食事も出していたので本当にしんどかったし、ちょっと無理かなと思ったこともありました。でもオープン時間を不定期にして、食事を出すのをやめて、イベントメインにすることで、今、カフェとしてようやく落ち着いてきたという感じですね。
──並行してフリーのディレクターの仕事はいつ頃までやってたんですか?
つい最近までやっていました。やっぱりテレビ業界も人手不足だし、僕みたいなディレクターって重宝がられるんですよ。扱いが非常に難しい女優を使う番組や突発的なトラブルの解決とか、難易度の高い仕事が好きで得意だったので、そういう依頼が多かったです。でも6次元が軌道に乗り、年々本関係の仕事など他の仕事も増えてきて、テレビの仕事をやらなくてもやっていけるというか、やる時間がなくなったので、去年(2015年)の始めからは一切受けてないです。
等身大の自分に戻った
──テレビ業界から完全に離れた今の心境は?

先日、テレビ局に行って入館証を返却した時、ついにテレビ業界から完全に足を洗ったんだなと思って感慨深いもの、一抹の寂しさもありましたね。ああ、もうここは僕のいる場所じゃなくなったんだなと。でも、その一方ですっきりしました。今、やっと映像の方は終わった感があるので、必死に他の仕事を増やしているところです。何でもやりますという感じで、テンションは高いですよ。今、第2の人生が始まったばかりというか、1年生のような新鮮な気持ちですね。
あとはやっぱり自由な感じがいいですよね。時間や仕事に追われず、平日の昼間に優雅にいろいろ好きなことをできるってのは幸せですよ。だからこそ気付けるいいことってあるんです。こうやってコーヒーをゆっくり飲むってすごくいいなあとか、絵をのんびり鑑賞する時間ってすごく重要だなと感じます。
それから、テレビ業界から離れて今やっと等身大の自分に戻ってきた感があります。働くというのはこういうことかと。店のテーブルを拭いたり、コーヒーを淹れたりすること一つとっても楽しいんです。
──それは自分で手を動かして働くことが楽しいということですか?
そうですね。単純にそれもありますが、もっと言うと、自分の力でお金を稼ぐ実感がより得られるというんでしょうか。1つひとつの仕事の値段がわかるのも新鮮で楽しいんですよね。「この記事、1本5000円なんだ」とか「1日これやってこれだけもらえるんだ」とか。(笑)。「小商い」を始めた感じがおもしろくて。
そういうの、今なかなかないでしょ? 自分で手を動かして額に汗して働いて、お金をもらう。それは働くということの原点だし、忘れちゃいけないと思うんですよね。会社員だと、だいたい毎月決まった給料で、営業職でもフルコミッションでない限りはもらったお金を全部自分だけの力で稼いだ感覚ってないじゃないですか。個人事業主になると、もらった分は自分だけの力で稼いだ感が強いし、その日働いた分をその日にもらえるみたいなのがすごい楽しいですね。それが5000円でも1万円でもすごくうれしいんですよ。
50万より5000円の方がうれしい
──でもフリーのディレクターとしてテレビ番組を1本作ったら比較にならないほどのお金がもらえるでしょう? それこそ桁が違うというか。それでも1本5000円の方がうれしいんですか?

うれしいですね。テレビは大勢の人たちでつくりますが、書いたりイベントを企画するのは自分1人ですから。自分でお金を稼ぐ実感が得られるので、満足度が高くてすごく幸せなんですよ。だから50万円のテレビの仕事の依頼は全部断って、5000円の書き仕事の方を受けているわけです。こちらの方が今の自分にとって価値があるんです。
あと今は自分が企画したことがそのまま形になる、考えたことがダイレクトに実現することが多くなっていて、それが何よりおもしろいんです。こういうことって今までなかったんですよ。テレビのディレクター時代は、自分で書いた番組の企画書が滅多に通らなくて。ディレクターを20年くらいやった中でも実際に自分の企画といえるものって数えるくらいしかないんです。
それに規模的にも、ディレクターとして3ヵ月に1本くらいの頻度で、大規模な番組を担当してたのですが、作り終えてもそれほど達成感や幸福感ってなかったんです。何ていうんでしょうね、ただ仕事に追われちゃってるみたいな。でも今は小さくてもたくさんのプロジェクトを同時に走らせて、確実に達成しているので、満足感が高く、日々が幸せなんです。そんなに大儲けはできないけれど、それでもこっちの方が断然いいと思っています。

あともう1つ、やりがいという意味で大きく違う点は、極端な話、自分が作ったテレビ番組を数字の上では数百万とか数千万人の人が視聴していても、次の日に「見たよ」とか「おもしろかったよ」と言ってくれる人なんて誰もいないわけですよ。作った人の名前すらほとんど認識されないわけだから。自分がこんなに一所懸命やっているのに全く手応えが感じられなかった。でも今は観客が20~30人程度の小さなイベントでもすごくたくさんのリアクションがリアルに受け取れる。それがすごくうれしいんです。今はマスコミよりも6次元のような小さいメディアの方に可能性があると強く思っているんですよね。6次元という"ミニコミ"を使ってマスコミに逆襲したいというのが今の活動のモチベーションとしては一番大きいですね。
──それが6次元のようなカフェをやろうと思った動機なんですね。
カフェというよりもこういう「スペース」ですよね。カフェという名の自分の「村」をもちたかったんです。といっても村長とかリーダーをやりたいというわけではなくて、いろんな人が集まる村を作って、うまく運営していくことに興味があったんです。
<$MTPageSeparator$>人との出会いが一番の財産
──6次元を立ち上げて一番よかったと思うことは?
僕が好きで会いたいと思っていた憧れの人が、向こうからお客さんとして来てくれることですかね。中には親しくなって個人的に付き合うようになった人もいます。テレビのディレクター時代にも有名人や芸能人にはたくさん会いましたが、あくまでも仕事上の付き合いで、ロケが終われば関係も終わりだったのですが、6次元みたいなレトロで家庭的な店をやっていると信頼してくれるんでしょうか、すぐ仲良くなっちゃうんですよね。

外国から6次元に来た村上春樹ファンたちと
また、例えば出版のイベントをやったとき、担当編集者にこの人の本もすごく好きなんですよと話したり、twitterでこの作品が好きとかこの人に会いたいとかつぶやくと、何日後かに「じゃあイベントやりましょう」という連絡が来るんですよ。だからこの6年間くらいで憧れの人にほぼ全員に会えました。やっぱり一番よかったのはこれですね。人との出会いが僕の一番の財産になってます。
カステラの法則
あと、人だけじゃなくて仕事もそう。テレビの仕事をしていた頃は対外的にあんまり実名、顔出しはしてなかったんですが、フリーランスになってtwitterを本名、顔出しでやり始めたら急に仕事が来始めたんです。ロケついでに海外の本屋さんの写真をいっぱい撮ってきたから連載したいなとつぶやいたら、すぐ朝日新聞の記者から連載しませんかとtwitterでリプライが来て「世界の本屋さん」という連載が決まったんです。こんなふうにtwitterで仕事が来るんだ、おもしろいなあと思いましたね(笑)。

ソウルの書店でロケ中のひとコマ
だから自分の好きな物やしてほしいことを自分からガンガン発信することが大事なんです。そうすれば向こうの方からやってくる。「カステラの法則」って知ってますか? カステラが食べたいって毎日会う人会う人に言っていると、絶対何日か後にカステラが確実にやってくるんです。これ本当なんですよ(笑)。日々実感していて、今はかなり意識してやってます。
これを僕の言葉で「好き好きマーケティング」って言っているんですが、好き好きって言い続けると絶対プラスに働いていくと確信しています。だって好き好きって言い続けると相手の人も絶対嫌な気はしないし。そのおかげでいいことがいっぱい起きているような気がします。こういうふうに日々働きながらうまいやりかたを学んでいってる感じですね。
結果よりもプロセス重視
──今の仕事の喜びはどういうときに感じますか?

僕はそもそも結果には興味がなくて、そこに至るまでのプロセスが好きで、途中で試行錯誤している時が一番幸せなんですよ。特にあえて困難なことにチャレンジして、クリアしていくのが好きなんですよね。テレビ時代からそうで、あえて取材拒否のところに何度も通って交渉して口説いて、取材許可を得られたとき、無常の喜びを感じるタイプなんです(笑)。でも取材と編集が終わったらもう興味がなくなる。
だから6次元もその困難をクリアしていくライブ感が楽しいんです。例えば以前、苔の本というすごくマニアックな本を作った編集者から、この本を売りたいんだけど何とかしてくださいって頼まれた時、うわ~苔か~これは集客難しいなあと思いながら、同時にどうやって売ってやろうかなってどこかでワクワクしている自分もいるんですよ。そういう無茶振りされるとうれしくなって、しかもそれが難しければ難しいほど燃えるという(笑)。厄介事や問題を解決することそのものが楽しいんです。

大盛況だった苔ナイト
それでお客さんを集めて苔の本を売るためのイベント企画をいろいろ考えて仕込んで、知り合いのメディアの記者に今、苔ブームが来てるから取材に来てくださいと告知。事前にお客さんに苔っぽい服を着てきてくださいとお願いして、イベント当日、緑の服を着た人たちが用意しておいた苔ドリンクや苔スイーツを食べて苔を愛でてるというシーンを作りました。そういう絵はインパクトが強いから新聞も喜んで記事にしてくれるんですよね。その結果、イベントもすごく盛り上がったし、その記事が新聞や雑誌に載ったことで苔の本が2万部も売れたんですよ。そうやって苔ブームを作ったわけですね。
ときめきが大事
──働き方で大事にしていることは?
今は仕事は楽しくないと続けられないと思うので、自分がその仕事に対してときめくかどうかが重要ですかね。ときめきスイッチみたいなのってあるじゃないですか。その仕事に出会ったとき「来た!」みたいにときめく。それがあればいくらでも続けられるので、直感みたいなものを大事にしています。
そもそも働くこと自体、しんどいことの方が多いので、自分に合わない仕事をするのはつらいと思うんですよね。だからいかに早い段階で天職を見つけられるかが大事。テレビの仕事は天職だと思っていましたよ。でももう1つくらい一生を懸けられる仕事がしたいなと思ったので、今の働き方にシフトしたわけです。今の僕がやっている仕事も間違いなく天職ですね。特に金継ぎなんかは(笑)。(※金継ぎに関しては前編を参照)
──今は好きなことしかやってないという感じなんですね。仕事とプライペートの境は?
今はないですね。金継ぎのように元々趣味だったことが今仕事になっていますし。趣味を仕事化していくことにも興味がありますね。そういう働き方もできるんだということがわかりましたよね。こういうことって、会社員時代は考えたことすらなかったんですよ。仕事って上から降ってきて、有無をいわさずとにかくやらされるみたいな感じだったので。でも今は自分でいくらでも開拓できるんだって思いますね。
自分で仕事は創れる
──ナカムラさんは自分で仕事を創っていますもんね。

完全に自分で仕事は創れますね。仕事そのものを創るのっておもしろいじゃないですか。そういう仕事クリエイター、「創職系男子」を目指しているんです(笑)。これまでにない肩書きだって勝手に作っています(笑)。例えば、僕は出版業界の人間じゃないのに、最近本について取材を受けることが多くて、『フィガロ』という雑誌でも僕が本屋さんの未来予想について語っているんですよ。そういう依頼がものすごく多くなったのは、僕が本屋さんが大好きで詳しいという設定で今、いろんな媒体で連載をしているから。そういうことをしているから本屋さんが大好きで詳しいという設定になったともいえるんですが、そういう設定になると誰も疑問を抱かないのがすごくおもしろいなと(笑)。最近、勝手に肩書きを作れば何とかなるんだと思っているんです。
──自分で仕事を創るってすごいですよね。なかなかできない。どうすれば自分で仕事を作れるようになるんでしょうか。
本当に好きなことを貫き通すのが大事でしょうね。嫌いな仕事は創れませんから。
──好きなことをとことん極めるってことですか?
それが大事ですね。そして発信していく。例えば金継ぎでは、器のことに関して誰からどんなことを聞かれてもだいたい答えられます。極めていてそういう自信があるから金継ぎのワークショップをどんどんやれるし、多くの人たちが参加してくれるんだと思います。
<$MTPageSeparator$>現状における課題

取材に来たタイの国営放送のスタッフと一緒に
──では今の働き方や仕事に関して課題や問題は?
今は手を広げすぎちゃってやることが多すぎなので、正直もうちょっと絞っていきたいと思ってます。特に今は出版関係だけでも5、6冊同時進行でもういっぱいいっぱいで(笑)。何も考えずに来た仕事を全部受けるというのはフリーランスの初心者ならではの失敗ですよね。
ともすると働き過ぎちゃうんですよね。確かに並行してどこまでやれるか、自分の限界を探るというのも大事だけど、逆に失うものもあるなと最近、気づきました。だから、最近ようやく仕事を断ることができるようになったんです。例えば村上春樹について語ってくださいという取材や執筆依頼が毎日のように来るので、今は半分くらい断ってます。あと、去年はオシャレ雑誌のカフェ特集の依頼もすごく多かったんですが、勇気を振り絞って断ったんですよ。そしたらすごく楽になったんですよね。
──仕事を増やすことで失うものとは?
増やし過ぎると1つひとつの仕事の質が保てなくなりますよね。書く仕事も本来は1つに集中してじっくり作って、終わったら次に取り掛かるというのが理想ですよね。でもなぜかいつもある時期に仕事が集中するんですよね。イベントも異常に集中する週があるんですよ。おもしろいくらいリズムってありますよね。だからその辺をうまくコントロールしてやっていくのってすごくたいへんだと思います。まあ、それを乗り切るのが楽しいことではあるんですけどね(笑)。仕事の分量ってすごく重要なので、適度に仕事の量を配分するというのは今後の課題としてありますね。
もう1つは自分のモチベーションのコントロール。これも非常に重要ですよね。組織に属さず個人で働いている人は出勤の義務もないし上司や先輩もいないのでお尻を叩いてくれるような人は誰もいません。やる気の出ないときでも、時には自分が上司になって自分を動かさなければならない。いかに自分自身を操作するかが大事ですよね。例えばこれが終わったらご褒美にこれをやると、自分の鼻先にニンジンをぶら下げたりしてます(笑)。
第3の場所で第2の顔を持つ
──現在の人びとの働き方について感じていることは?

毎日6次元から中央線を眺めてるんですが、働き方は考えさせられることが多いですよね。朝夕のラッシュ時はものすごい人で、しかもよく止まってるんですよ。おそらく人身事故で。そういうのを見て、みんな働き過ぎだよなというのは日々実感しています。
あと、平日の昼間は堅い会社でサラリーマンをやっていて、休日や夜は6次元を使って何かをしたいという人が今、すごく増えているんです。家でも会社でもない第3の場所で第2の顔をもって活動するみたいな。昔はあんまりいなかった。それもすごくおもしろいなと感じています。
例えば、よく店に来る某デパートの社員はコーヒーを入れるのが趣味で自宅焙煎していて、それを人々にふるまいたいんですよ。だからカフェの1日店主になって自分が焙煎したコーヒーを淹れる会をやりたいから6次元を使わせてくださいとか。そういう人がすごく増えていて、会社員の夢を叶える場にもなっているんです。みんな、仕事とは別に何か好きなことをやりたいんだなと。生きがいを得るために、本職以外のもう1つの顔をもって生きるというのがこれからのトレンドになるんじゃないですかね。
もう1つは、最近みんなお金とか物に対する欲望、執着がどんどんなくなっていると実感しています。僕らが若いときは就職したら車や家を買いたいというのが普通でしたが、今の若い子たちは全然そんなこと思ってないんですよね。僕自身もだいぶ変わってきました。テレビディレクター時代は車もマンションも買いましたが、車は手放したし、いまさら不動産もほしいとは思いません。それより日々の暮らしが楽しい方が重要ですね。今テレビの仕事を受けた方が収入は何倍にもなるけど、テレビに戻りたいと全然思わないというのはそういうことだし、専門学校で教えているのもお金じゃなくて学生と触れ合うのが楽しいからやっているんですよね。収入軸じゃなくて好きとか楽しいという軸で仕事を選ぶというふうに、生き方、働き方をシフトしている人が多いんじゃないかなと感じています。
ニュータイプの寅さんを目指して
──生き方に関するポリシーはありますか?

僕は変化していくのが好きなんですね。以前、6次元に来た外国人に「ここは毎日来るたびに違うのはなぜだ? カメレオンカフェだね」と言われたことがあって、それがうれしくて。どんなに環境が変化してもそれに合わせて順応して生きていくことが重要で、それ自体が楽しいと感じる。だから一生変化し続けたいと思っているんです。
何かの本で読んだのですが、人には2種類いると。土の人と風の人。土の人は1ヵ所に定住したい人で、風の人は常に移動するのが好きな人。僕は完全に風タイプで移動して変化することに快感を覚える。一生ずっとふらふら移動、変化しながら生きるというのが一番自分に合ってると思うんです。常に新しい仕事を作りながら活動領域を広げていく。そういうふうに生きていければいいかなと思いますね。
理想にしているのがフーテンの寅さんです(笑)。トランク1つで全国を旅して生きていくというスタイルは、今流行りのミニマリストの理想形なんじゃないかなと。そういう生き方ができればいいですよね。だから僕も最近、荷物をものすごく減らしているんですよ。先週も、最小限の荷物だけを持って、金継ぎのワークショップで地方を転々としてました。そういう次世代型、ニュータイプの寅さんを目指していて、ここ数年でかなりイケるという手応えを感じてます(笑)。
リアルな村を作りたい

スペインから来た村上春樹ファンと
──これからやりたいこと、目標は?
会社員でもフリーランスでも働き方や生き方について悩んでいる人たちが、6次元のような場所を使って自由に小商いができるようなシステムを作りたいですね。6次元で何かをしたいという人がいたらすぐに受け入れてイベントを開催して、その企画者にもお金をちゃんと払える仕組みができればいいですよね。こういった雇用を生み出すイベントを増やして、もっとみんなにメリットがある働き方を開発していきたいんです。「内職ナイト」みたいな、何かを創る系のイベントで、みんなで一緒に創ってお金をもらえるようなイベントもあってもいいですよね。そういう小商いをうまくビジネス化していくことをどんどん実験的にやっていきたいと思っています。
また、コミュニティをゼロから創ることに興味があります。6次元は村みたいなもので、それを運営するのが楽しいんですが、その村を地方にリアルに作りたいと思っているんですよ。秋田にそういうことを実験的にやっている人がいて、お金を寄付すると村民になれて、いつでもそこに行けるというシステムなんです。これはおもしろいなと。

僕も東京で6次元をその第1号としてやってみて、うまくいったらそのノウハウを活かして地方とか海外でリアルな村を作ってみたい。特に国内には人口激減で廃村になりかけている村がたくさんあるから、行政や住民の皆さんと組んでうまく一緒にやれればなと。実際に、今、山形、八戸、大阪などで実験的に種まきをしているんです。数年後にはできるかなと踏んでます。どのみち6次元はもうかなり築年数が経っているので、この先何十年も使えるわけじゃない。数年後にはもっと発展した形で別の場所でやることになるでしょうね。
もう1つの夢としては、学校を作りたいと思っています。今でも6次元のイベントは学ぶ系のものが多くてお客さんもすごく集まるんですよ。今、多くの人の学ぶことに対する欲求がすごく高まっていて、お金を払うことをためらわない。だから大人の寺子屋的なものを作るのは今の自然の流れかなと。いわゆるカルチャースクールじゃなくて、6次元のようなゆるい空間で1回2000~3000円くらいで気軽に、楽しく学べる「夜の学校」みたいな感じがいいかなと思っています。今後、「大人の寺子屋」をどんどん発展させていきたいですね。