プロダクトデザインの道に入ったきっかけ

細谷らら(以下、細谷) そもそも玉井さんがデザインに興味をもたれたきっかけは何だったのですか? 武蔵野美術大学を卒業されていますが、高校生の頃からデザイナーを志していたとか?
玉井美由紀(以下、玉井) いえいえ、私の時代はデザインに対する認識がほぼなくて、デザイナーという職業があるということすらも知られていませんでした。ちょうどバブルで女子大生がチヤホヤされてる時代に、美大に進学するって言ったら「え、画家になるの?」みたいな感じですごい迫害されてましたよ。変わってるよね~とか言われて(笑)。
細谷 そんな時代に美大に進もうと思ったのはなぜですか?

玉井 私、元々すごく変な人なんです(笑)。子どもの頃からいろんなものに馴染めなくて、自分がこの世に生きている実感がないというか、すごく引いた感じで世の中を見ていたんです。みんなと騒いでいても自分だけ冷めてるというか違和感があるみたいな。高校までそういう状態が続いていたのですが、仲のよかった友だちが美大に行きたいから予備校に行き始めたと聞いて、私も試しに一回行ってみたらすごく楽しくて。元々絵を描くことが好きだったということもあり、私も絶対行きたいと思って予備校に通って、美大に入りました。実際に行ってみたら全然違和感ない! ここが私の居場所だ、やっと見つけた! と思いました(笑)。私より変な人が周りにいっぱいいたのがうれしかったんですよ。そこで水を得た魚のようになってピチピチと。そこから人生が楽しくてしょうがなくなったんです(笑)。
細谷 (笑)卒業後はホンダにデザイナーとして入社されるわけですが、やはり昔から車が好きだったのですか? 学生時代、私の周囲では、車に興味がある女子が少なかったように思います。
玉井 車は今も大好きなんですが、プロダクトとしてというよりは、移動手段としての道具、空間として車が大好きなんですよ。特に自由に動き回れる点が。それでどうせなら好きな車に関わりたいとホンダに入ったんです。ららさんはどういうきっかけでプロダクトデザインの世界に?

細谷 私の場合は中学生の頃にすでにデザインという言葉は周囲で普通に使われていて、デザイナーという職業があることも知ってました。そもそも私は母がデザイナーだったのでデザインは少し身近な存在だったんです。その影響は確かにあるとは思うのですが、小さい頃はデザイナーだけには絶対になるまいと固く心に誓っていたんです(笑)。
玉井 なぜですか?

細谷 母はメーカーに勤めた後、独立して自宅で仕事をしていたのですが、毎日忙しくしていました。あれは私が小学3年生のとき。友だちとローラースケートで遊んでいて転んでケガをしてしまいました。家に帰ると珍しく母がいて、「腕が痛い」とアピールしたんですが「明日締め切りだから!」と何にもしてくれなくて。でも本当に痛かったので一晩中「痛いよー」とアピールしたんですがそれでも放置で。さらに朝起きても痛かったので「痛いよー!」と訴えたところ、母もこれはさすがにやばいかもと思ったらしいんですが、それでも仕事に行っちゃったんですよ。その後病院に行ったら腕の骨が折れてて。その時子ども心に「この状況はデザインという仕事のせいか!」という思いを抱き、以来、私はデザイナーにだけは絶対にならないぞ、とずーっと思ってたんです(笑)。
玉井 それはかわいそう(笑)。それなのにデザインの道に進んだのはなぜですか?
細谷 私は小さい頃から物を作ること、学校の教科では図工が大好きだったんですね。高校に上がって「将来何がしたいんだろう」と考えた時、モノのカタチをを考えるプロダクトデザインという世界があるということを知り、何となくおもしろそうだなと思ったのがそもそものきっかけです。まぁ結局...母の影響を受けてますね(笑)。
<$MTPageSeparator$>公共的なプロダクツに興味

玉井 なるほど。やっぱり最初から二次元じゃなくて三次元、立体系のデザインに興味があったんですね。
細谷 そうですね。でも当時から色とか素材とか表面を意識してたわけじゃ全然ないんですよ。もちろん当時はCMFという言葉もなかったですし。でも、学生時代に手掛けた作品で、色や素材の力で空間がこんなに変わるんだと感じたモノがあるんです。大学3年生の時、大学近くの病院に行ったときに、白基調で緊張感があって、少し寒々しい空間だと思いました。それで人にとって心地よい空間にするための家具を数人で考えて、提案しました。
玉井 どんなふうに提案したんですか?
細谷 寒々しいスチール製のベンチを温かみのある木製にして、単色でキチッとした規則正しく張られた張りぐるみをやめ、ベンチの上にすべての形の異なるカラフルなクッションをたくさん並べました。
玉井 学生時代からパブリックな家具、個人の家よりも公共性のあるものに興味があったんですね。
細谷 そうですね、当時は何も意識していませんでしたが。うれしいことに、医師や患者さんに好評で。人が留まる空間になりました。こういう、その空間に漂う緊張感を少しでも和らげるようなデザインを通して、私がやりたいのはこういうことかもと考えるようになったんです。
玉井 それで数あるプロダクトの中で家具のデザインをしたいと考えるようになったのですか?
細谷 当時同級生の多くは家電のデザインを志望していました。私もいくつかのメーカーのインターンに行ったのですが、モノによっては3ヶ月で新しいデザインに変えることを知り......それよりは人に長く愛着をもって使ってもらえる製品サイクルの長いモノを作りたいなと思い、今の会社に入社しました。最近では、素朴な素材感を追求した化粧板や触り心地のよいデニム調のニット布地をデザインしました。

細谷さんがデザインに関わったオフィスシステム「PRECEDE(プリシード)」

クリエイティブファニチュア「Alt Piazza(アルトピアッツァ)」
女性ならではの葛藤
細谷 玉井さんの前回のインタビューを読んで、会社を辞めるときにすごく悩んだというお話(※)がありましたが、女性特有のものですよね。
※詳しくはこちら→https://www.okamura.co.jp/magazine/wave/archive/1306tamaiA_4.html

玉井 そうですね。やりたい仕事に打ち込んでいる女性って、30代の前半までは自分のキャリアアップに一所懸命でそこにすごく集中するんですよね。でもある程度キャリアが積めてきて、そろそろ次のステージに行こうというタイミングで「あれ? 次どうしよう」みたいになるんですよ。私も30歳くらいのときはとにかく覚えたいことがいっぱいで仕事に集中して、仕事が楽しい! みたいな感じで、毎日が楽しくて先のことなんて全然考えてなかったのですが、35歳前後で突然「あれ?」ってなったんですよね。女性に組み込まれてるんじゃないですか、そのタイミングが。子どもを産むならそろそろだよ、みたいな。
細谷 ふと周りを見渡したら、みたいな?
玉井 いえ、周りの人がどうしようが全然関係ないんですよ。次のステージに行こうと思ったらまた4~5年かけて新しいことを覚えないといけない。そうすると40歳を過ぎる。そうなったら子どもを産むタイミングなど色々難しくて。子どもを育てながらこの会社でキャリアを積むことは、当時はロールモデルもいなかったし考えにくかった。それで本当にいいのかということですごく悩んだんです。ららさんはまだ29歳だから実感はないでしょうね。

細谷 私はまだ全然考えられないですね。結婚も出産も、リアリティが全然ないです。今はデザイナーとしてレベルアップしながら、日々楽しむことしか考えていません。
玉井 そうでしょうね。30歳くらいのときの私と同じです。女性はいろいろな適齢期もありますし、結婚して例えば夫が海外転勤になったりすると、大体の人は自分が好きでやりがいを感じて仕事をしていても辞めてついていきますよね。そういうことも含めて結婚、出産、キャリアというのが30代中盤から後半になるタイミングで考えだすんじゃないですかね。
細谷 なるほど......。
玉井 私はその辺を考えて、会社を辞めて独立という道を選びましたが、子どもを産んで育てようと思ったら会社に残るのもいいと思いますよ。産休や育休という手厚い制度を利用した方がいいに決まってますから。だけど、フルタイムで働けないために、能力は高いのに会社でのキャリアが伸びなくなってしまう。それはちょっと違うなと思ったんですよね。
<$MTPageSeparator$>独立・起業に悔いはなし

細谷 それで玉井さんは独立・起業という道を選んだわけですが、やはりその選択をしてよかったと思いますか?
玉井 はい。少なくとも後悔は全然ないですよ。もともと後悔はしないタイプなので。やっとここ1年くらいで会社も少し大きくなりましたしね。でも同時に苦労も増えました。会社が成長するにしたがって経営のことなど、これまでやったことのない仕事もやらなければなりません。できないことがたくさんあって、毎日が試行錯誤で、戸惑いだらけですごくたいへんですが、でもそれらを1つずつクリアしないと前に進めないので、頑張るしかないですよね。
細谷 自分の専門外のことを一からやっていくのは大変なことですね。同時に、やりたいことに割ける時間も限られてきますし。
玉井 でも私は変わることが好きで、常に何かに挑戦してクリアしていくことが楽しいしやりがいを感じます。それを自分自身で主体的に選んでできるから、今はたいへんなことも含めてすごくいい状況だと思っています。
仕事のやりがい
玉井 ららさんは仕事のやりがいや喜びはどんなときに感じますか?

細谷 元々プロダクトデザインをやってきたので、デザインした製品が形として完成したとき、すごく喜びを感じますね。もちろん最初のデザインの段階から完成形をさんざんイメージしてきて、たくさんの案の中から考え抜いて作るわけですが、それが最終形になったときは感動しますよね。それは初めて担当した製品のときにも強く感じたのですが、CMFデザイナーに変わってもイメージしていたものに近い製品ができたときの感動は同じですね。
玉井 それはデザイナーとしてすごくよくわかります。私も自動車メーカーで働いていた頃はデザインした製品が工場のラインを流れてきた時、「うわー! 来た来た!」というような喜びと感動がありました。でも今は企業の外にいる立場で、その現場は見られないのですごく寂しいですね。
細谷 なるほど。では玉井さんの現在の仕事の喜びややりがいは何ですか?
玉井 私の仕事でお客様が喜んでくれたときですね。その中でも難易度が高い仕事をクリアしたときが一番うれしいし、やりがいを感じます。もっとも、難易度が高い仕事ばかりなんですけどね(笑)。私は自分で自分を極限まで追い込むのが好きなんですよ。自分で設定したハードルが高ければ高いほどクリアしたときにとてつもない達成感を得られるのでどんどんハードルが高くなって苦しくなってしまう。でもそれが楽しいんですよね。
クリエイターには海が有効
細谷 クリエイターにとってONとOFFの切り替えが非常に重要だと思うのですが、玉井さんは休みの日は何をしてますか?

玉井 私は海が大好きで、真冬の1月から3月以外は通年サーフィンをしによく海に行っています。最近気がついたんですが、海には治癒力があって、海に入ると心身ともにすごく癒されるんですよね。長年気のせいかなと思っていたんですが、タラソテラピーというのを知って、今まで知らず知らずにそれを毎週してたんだと(笑)。実際、仕事が忙しくてしばらく海に行けなくなると悪いものがたまってる感じになって具合が悪くなるんですよね。
細谷 その感じ、よくわかります。私も一時期ディンギーヨットをやっていたのですが、海に行くと心が一回リセットできますよね。癒やし効果があるからまた新たな気持ちでものづくりに取り組めるのでしょうか。私も海は大好きですね。最近は登山にもはまっていますが、サーフィンにも是非挑戦してみたいですね。
<$MTPageSeparator$>死ぬまでCMFでやっていく


玉井 ららさんは今、夢や目標はもってますか?
細谷 今は毎日目の前のやるべきこと、楽しむことに夢中というか、10年後、こういうふうになっていたいと明確に語れるものがないんですよね。夢がないというとネガティブに聞こえがちですが、目の前のことをしっかり一所懸命やってたら、私の望む未来に繋がっていると思っています。
玉井 それで全然いいと思います。私も10年後の自分の理想像なんて一切ないですよ(笑)。
細谷 それを聞いて安心しました(笑)。玉井さんの夢や目標は?
玉井 人生の夢はハワイに移住することです。毎日サーフィンをして暮らしたい(笑)。仕事の目標はいろいろありますが、CMFで世の中をよりよく変えていくことが究極の目標です。もう少し具体的に言うと、CMFでものづくりを変えていったり、人の心を豊かにして幸せにするお手伝いがしたいと思っています。死ぬまでCMFでやっていくと肚をくくっているんです。
細谷 現時点でそれはどのくらいの達成度ですか?

玉井 1~2割の感覚ですね。2割は超えてないです。独立当初はCMFの認知度を上げることが目標だったのですが、それもまだまだで、思った以上に知られていないし、理解もされていませんしね。
細谷 そうなんですか。思っているより低くて、意外ですね。私は認知度が上がってきたかなという感覚はあるんですが......でも確かに開発、デザイン業界以外の例えば営業の方々にはまだ知られていませんよね。自分がやるべきことは多いなと日々思います。
玉井 そもそも日本で感性価値やCMFのような概念が理解されることはかなり厳しいと思うのですが、そこに挑戦したいんですよね。
カラー系職業の地位向上を

細谷 今の話とも関連するのですが、私、玉井さんに聞きたいことがあって。CMFって数年前より少しずつ認知度も上がってきて、玉井さんの影響を受けてCMFデザイナーになった人も少しずつ増えていると思うんですね。
玉井 そうなんですね。ありがとうございます。
細谷 そう思います。世の中にCMFデザイナーが増えてきたと感じているとか、同じような事業を始めた人が出てきたよ、とかご自身の他者に与える影響みたいなことを感じられることってありますか?
玉井 今のららさんのお話を聞いて思ったんですが、私が昔勤めていた自動車メーカーではデザイナーってそんなに地位が高くないんですね。その中でも一番地位が低いのがカラーマテリアルでした。そういう業界の中で、もし私がCMFの重要性を広く社会に訴える活動をすることで、大勢の人びとがCMFって大事だなと思ってくれる世の中になればいいなと。今まで一番下で軽んじられていたカラーマテリアルの仕事が見直されて重要だと認識され、そこで働く人たちが仕事に誇りをもてるようになればいいなと思ったんです。自分の仕事は重要だと思えることはすごく大事で、みんながそう思えるように、プロフェッショナルとしていい仕事ができるように、環境を作れたらいいなと思っています。
細谷 ああ、そうなればいいなと私も思います。

玉井 直接ものづくりに関わるだけではなく、CMFの講演やセミナーで話すことで、多くの人びとがCMFはやっぱり重要なんだとか、CMFデザインに関わっている人びとがこのまま頑張っていていいんだと思ってくれることがすごく大事だなと思っています。さらに企業の上層部の人たちにもそれを伝えてCMFの重要性を理解してもらって、現場の人たちにどんどんやってくれとかCMFのプロに任せたいという感じになってくれればいいなと。

細谷 そうですね、そこにCMFの未来がある気がします。私自身、ものづくりや働くということの意識が少しずつ変わってきたと感じています。今後、CMFをもっと盛り上げたいと思いますのでよろしくお願いします。
玉井 ありがとうございます。一緒に頑張りましょう!