最初の夢は教師だった
──みなさんがミュージシャンを志した理由と経緯を教えてください。

わたなべだいすけ(以下、わたなべ) 「僕は最初からミュージシャンを目指していたわけではありません。最初の夢は小学校の先生でした。その原点は小学校1、2年生のときの担任の先生にあります。朝、教室に入るなりギターを弾いてみんなで一緒に歌うというちょっと変わった男の先生で、それがとても楽しかった。その先生にあこがれて僕も中学3年生のときからギターを始めて、高校3年生のときに曲を書き始め、将来は僕もギターを弾いて子どもと一緒に歌える先生になりたいと思っていました。僕はうたを作るとき、1回聴いただけで子どもにもわかるようなうた、意味がわかるようなうた、すぐ覚えられて一緒に歌えるようなうた、そしてちょっとしたメッセージが込められているようなうたを作ることを心掛けているのですが、それは確実にその担任の先生の影響です。それが僕の音楽スタイルのルーツですね。
それで大学受験では教育学部を受けたのですが、落ちてしまって。あのときもし受かっていたら、今はきっとどこかの小学校の先生をしていると思います。
──教育学部の大学に落ちてからミュージシャンを目指そうと思ったのですか?
わたなべ いえ、放送の仕事にも興味があったので、日本大学芸術学部(日芸)放送学科へ進学し、テレビやラジオの制作について勉強しました。こちらの方がおもしろければ放送の道に進もうと思っていたのですが、やっぱり自分で曲を作って歌うのが一番楽しいなと改めて思ったんですよね。それで就職活動を一切せず、卒業後、アルバイトをしながら音楽活動を開始。曲を作って1人でギターを抱えてライブハウスなどで歌い始めました。それがスタートですね。
──大学を卒業して就職せずにミュージシャンを目指すと言ったとき、ご両親は反対しなかったのですか?
わたなべ 実は大学は日芸ともう一つ、神奈川県にある大学の経済学部にも受かっていて、親としてはそっちに入学して将来は普通にどこかの企業に就職して会社員になってほしいと思っていたらしいんですね。でも僕が日芸を選んだ時点であきらめて、お前のやりたいようにやれと言ってくれたんです。入学してから日芸の友だちを実家に連れて来たとき、母がその友だちをすごく気に入って、こういういい友だちができたんだから日芸に行かせてよかったと喜んでくれました。父は大学に行くときに「他人に迷惑をかけることだけは絶対するな。あとは好きにしろ」と言ってくれました。それはいまだに心に留めていて、「何をするにしてもまず親に言えないようなことはしない。他人に迷惑をなるべくかけない」ということは根っこの部分にもっています。そんな両親だったので、就職せずにミュージシャンを目指すと話したときも全く反対されませんでした。
──すごくいいご両親ですね。
わたなべ 僕もそう思います。ただ、僕自身としては両親に対して、大学まで行かせてもらったのに申し訳ないという後ろめたい気持ちをいまだにどこかにもっています。だからこそ、両親がそろってライブを観に来てくれたことがすごくうれしかったわけです。
余談ですが、先ほど小学校の先生になりたかったという話をしましたが、実は今、それに近いことをしていて、知人のつてで小学校に行って夢を叶えることについて子どもたちに話したり、一緒にうたを歌ったりしているんです。それは僕のライフワークだと思って取り組んでいて、僕1人でも、ニコルズとして行くこともあります。
大学卒業後、プロを志す

鈴木健太(以下、鈴木) 僕は栃木県の鹿沼市出身で、中学生のときにギターを始めました。きっかけは本当に何となく、ですね。父が趣味でフォークギターを家でよく弾いていたり、両親が音楽好きで家でよくレコードをかけていたりと、音楽が身近にある環境で育ちました。でもずっと僕はゲームばかりやっていたので、あるとき両親に何か趣味を探したらと言われたんです。それで、家にギターがあるしやってみるかなと、そういう軽いノリでギターを始めました。でもギターを始めてみたらおもしろくて、それまで夢中になっていたゲームもパタっとやらなくなり、どんどんギターにのめり込んでいきました。
僕は元々1つのことをやり始めたらとことんハマる性格で、中学のときにすでに「ギターのようなすごくおもしろいことを見つけたから、できれば将来は音楽を職業にしたい」と作文に書いているんです。高校に入ってからは友だちとバンドを組んで、ライブハウスで演奏していました。高校卒業後、一緒にバンドをやっていた友だちの多くはプロのミュージシャンを目指して東京に出て行きました。でも、僕はそんな勇気も度胸も自信もなくて、地元の国立大学に進学したのですが、結局4年間ひたすらバンドをやっていました。当時はこの4年間を猶予期間ととらえ、将来の身の振り方を決めようと考えていました。
でもいろいろ考えたのですが、やっぱり音楽以外にやりたいことがなくて、僕も就職活動を一切せず、卒業後はアルバイトしながら地元で音楽活動をすることにしました。将来、音楽で何とか身を立てたいと本気で思い始めたのはこの頃ですね。それまでは自分なんかがプロになんてなれるわけない、プロの世界で通用するわけがないと思っていました。ずっと自分のギターのレベルの低さを身に染みて感じていたので。でもとにかく音楽が大好きだったので本気ではやっていました。

──就職しないでプロを目指すと言ったときのご両親の反応は?
鈴木 僕の親も全く反対しませんでした。「あ、そう。やっぱりね」みたいな(笑)。自分で生活費を稼いでやるなら好きなようにやれと言われました。ただ、覚悟は問われたような気がします。大学では工学部の電気電子工学科に通っていたのですが、単位をそろえれば教員免許やいろいろな資格が取れるんですね。そのことを親に話したら「そんな保険をかけるようなずるいマネはするな。やるなら覚悟を決めてやれ」と逆にハッパを懸けられたんです。
──鈴木さんのご両親もすごい人ですね。
鈴木 そうですね(笑)。それで大学卒業後も地元でバンド活動を続けたのですが、そのバンドが解散してしまうことになり、そのタイミングで、2005年、25歳のときに上京しました。それから東京でアルバイトをしながら音楽活動を始めていたところ、まなんに声をかけられたんです。
高校時代からプロを目指す

千葉真奈美(以下、千葉) 私は子どもの頃からバンドが大好きで、自分でもやりたかったので、高校では軽音楽部に入って3年間ベースを弾いていました。在学中から、卒業後もずっとバンドをやりたいと思っていたので、受験勉強も就職活動もしませんでした。両親にもその気持ちを早い段階で話したのですが、私が音楽しかできないことを知っていたので、「どうせ勉強しないんだから大学なんて行かなくていい、好きにしなさい」と言ってくれました。それで高校を卒業後、音楽の専門学校に進学して、アルバイトをしながらバンド活動を始めました。
岡田梨沙(以下、岡田) 私は中学3年生のときにバンドに入ってドラムを叩き始めました。高校に入っても同じくドラムをやっていたのですが、進学校だったので高校2年生のときには受験勉強に専念するため、バンドを辞めざるをえませんでした。大学は横浜にある国立大学の教育学部に進学、当時は何となく数学の教師になりたいなと思っていました。ちなみに小中高の教員免許をもっています。でも結局、大学でロック研究会に入部してドラムを叩いているうちに、この先ももっとバンドでドラムをやりたいと思うようになりました。大学を卒業する時点で本気で続けて行きたいバンドがあったので、卒業後は就職せずに派遣社員をやりながら、そのバンドで音楽活動を続けていました。でもしばらくして解散してしまっていろんなバンドのサポートをしていたある日、ニコルズでドラムを叩かないかと声をかけられたんです。
──そもそもは先生になりたいと思っていたということですが、その夢は簡単にあきらめられたのですか?
岡田 私の母はピアノの先生、兄は数学の先生と教師の家系だったので、先生になりたいというより、何となく自分も将来は教師の道に行くのかなと思っていたんです。でも、大学に入って教師になるための勉強をしてみたところ、自分は教師にそれほど向いていないことがわかり、それなら音楽の方が好きでやっていて楽しいので音楽の道に進むことにしたんです。
両親の反対を押し切って
──ご両親は反対しなかったのですか?

岡田 「大学にまで行かせたのに音楽なんて」と反対されました。最初から反対しているのはうちの親だけですね(笑)。実はずっと「いつまで音楽をやるつもりなんだ」と言われていたんですよ。その割にはライブを観に来て「だいちゃん、かっこいい」とか言ってるんですけどね(笑)。私が一度やると決めたら折れないのは知ってるので、最終的には「あなたが決めたんだからやりなさい」とは言ってくれています。やっと最近は「いつまでやるの」とは言わなくなりました。
鈴木 口では反対していてもライブを観に来てくれてるんだからまだいいよ。りっちゃんと同じく音楽を志していてもどうしても家の事情や親の反対で音楽を辞めていった友だちは本当にたくさんいるからね。どうであれ音楽活動を続けられている時点でラッキーだと思う。
千葉 本気で反対する親はいつまでも絶対ダメだって言うしね。ライブなんて絶対来ないし。
わたなべ まあそれが普通だと思うけどね。
<$MTPageSeparator$>プロを目指すことの不安・葛藤
──メンバー全員、就職活動を一切せずに高校や大学を卒業後、アルバイトをしながら音楽の道に入ったわけですが、将来に対する不安はなかったのですか?

わたなべ もちろん不安だったし、今も常に不安ですよ。そもそも生きてくこと自体に不安があるので、生きていて不安じゃないときはないですね。それがその時期によって大きいか小さいかの違いだけ。ましてや音楽でメシを食って行こうと思っていたらずっと不安だし、メジャー契約をしたり、CDを出したり、ライブに何百人もの人が来るようになっても、常に不安はあります。でも多分、他の仕事をしている人も同じだと思いますよ。どんな仕事をしている人でも不安なんて全然ないという人はなかなかいないんじゃないでしょうか。
──とはいえ、プロの音楽バンドとして成功する可能性は確率から考えてもかなり低いと思うのですが、例えば何歳までにものにならなければあきらめるといった線引きはしていなかったのでしょうか。
わたなべ さっきも話したように、僕は30歳までにメジャーデビューすることを目標にしていました。それが叶っちゃったから今まで続いちゃったということなんですよね。その後の線を引くのを忘れたという(笑)。ただ、今35歳なので40歳まで続いたらそのままこのバンドでずっと行けると思うので、この5年が勝負だと思っています。この間にプロとしてこの先もやっていくために、地盤をしっかり固めたいなと。
鈴木 僕は27歳をひとつの目安にしていました。僕が上京したのが25歳のときなので、上京してから2年でなんとかプロのミュージシャンとしてやっていけるというめどをつけたいと漠然と思っていました。でも実際は、27歳のときにはもうニコルズの一員になっていて、全力で打ち込めるいいバンドでやれていたから、年齢での線引きなどということは考えなくなったんですよね。すでにメンバーみんなが向いている方向が一緒で、ニコルズで何とかしたいとみんな思っていたので。もしそのときに思うように音楽をやれていないとか、メンバーが固まっていないというような状況だったらどうなっていたかわかりません。
音楽活動の魅力・やりがい
──では、音楽をやっていてよかったなと思う瞬間は?

わたなべ おお、今までそういうことは考えたことはないですね(笑)。通常僕らが受ける音楽媒体のインタビューでは主に作品について聞かれるのですが、今回は僕ら1人ひとりという人間について質問していただいているのですごく新鮮で楽しいです。本題に戻ると、先ほどお話した通り、そもそも僕は教師になって子どもたちにいろいろなことを教えたいと思っていたんですが、今、それを音楽を通してやれているような気がするんです。僕が、ふと気づいたことをうたにする、あるいは、明るくて楽しいうたを作って多くの人に音楽の喜びを感じてもらうことで、人生の不安が少し軽くなるということもあると思うんですよ。教師になってやりたかったことを、曲を作ることやライブ活動を通して、少しかもしれないけれどできているような気がするので、音楽の道を選んでよかった、D.W.ニコルズというバンドで音楽活動ができてよかったと心底思っているんです。
鈴木 僕は、音楽をやっててよかったと思うのはライブをやってるときかなあ。ニコルズというバンドでギターを弾くことそのものが楽しいし、ライブに来てくれた大勢の人たちが泣いたり笑ったり盛り上がったりしているのを見るとさらにうれしい。自分がこんなに楽しいと感じることを何百人もの人たちと共有できる、一緒に感動を分かち合える。こんな素晴らしいことってないなとつくづく思うんです。
生きている意味をリアルに感じられる

岡田 私もライブですかね。観に来てくれたオーディエンスたちが本当に楽しそうで、私の前で演奏している3人のメンバーもいつも楽しそう。それを見てると私もうれしいしテンションが上がります。私がニコルズでドラムを叩くことで大勢の人びとが喜んでくれる、つまり、人のために生きている実感を得られて、私の生きる意味はここにある、生きててよかったとすら思えるんです。それを最も感じられる場がライブなんですよね。音楽をやっててよかったと思える瞬間ですね。
──そんなことを感じられる職業ってなかなかないですよね。
岡田 そうなんですよね。世の中のすべての仕事は誰かのためになっているのは確かなことなのですが、それをリアルタイムで実感できるのはすごく稀で幸せなことだなと思います。
このバンドに救われた

千葉 私はそもそも暗い人間で友だちもあんまりいなくて、ちょっと心の闇みたいなものを抱えていたんですが、まずだいちゃんに出会って歌を聞いた時、ちょっと救われた気がしたんです。そしてだいちゃんに声を掛けて一緒に音楽を始めて、私自身も人に音楽を届けられるようになった。そしてニコルズというバンドを始めてから私自身も生きることに前向きになれたので、それ自体が音楽をやってて一番よかったと思うことなんです。
ニコルズのファンの中にも意外と私と同じような人もいて、ニコルズの音楽に救われているという声をもらったりすると本当にうれしいんですよね。ああ、昔の自分とおんなじだって。だから自分のためになってるし、誰かのためにもなっているということが実感できるのがすごくうれしいし、そんなときニコルズで音楽をやっててよかったとすごく思います。それがリアルに感じられるのが、みんなの顔が観られるライブなので、私もすごくいい場所だと思います。
──何百人もの人が自分たちのパフォーマンスを観に集ってくるというのはすごいことですよね。
千葉 そうなんですよね。ニコルズを求めてそこに来てくれるというだけでもすごいことじゃないですか。その上盛り上がったり喜んでくれたり感動して涙を流してくれるわけですからめったにあることじゃないですよね。
岡田 そんなこと、10年前にはとても考えられなかったのでやっぱりすごくうれしいです。音楽続けててよかったなと一番思う瞬間ですよね。
<$MTPageSeparator$>曲の作り方
──ニコルズの曲の作詞作曲はすべてわたなべさんということですが、曲はどのようにして作るのですか?

わたなべ 曲は高校3年生の頃から書き始めたのですが、曲と歌詞のどちらを先に書くかはそのときどきによって違います。常にメロディの断片は探してストックしているし、歌詞として使いたい言葉のストックもたくさんあります。しいて言うなら歌詞を書く方が好きですかね。いかにその歌詞を多くの人にちゃんと伝えるか、そのために曲を書くので、優先順位としては歌詞の方が上ですね。
──バンドのためだけではなく、企業から依頼を受けて曲を書くこともあるのですか?
わたなべ ありますよ。一番有名なのは「日本和装」の着物の歌です。あと「誰だって波瀾爆笑」というトークバラエティ番組(日本テレビ系列で毎週日曜朝9:55‐10:55に放送中)のエンディングテーマも番組のために書き下ろしました。僕は誰かに求められて曲を書くのが好きなんですよね。相手の構えているミットの真ん中に球をズバッと投げられたとき、すごくうれしいんです。作曲のヒントはもちろんあって、その企業が人びとにどう映っているのかを考えれば自ずと曲のイメージが浮かんできます。そういうこと自体も楽しいので、今後もどんどんやっていきたいと思っています。あとはメンバーからもこういうタイトルでこういう曲を書いてみてと言われて書くこともあります。
決して埋まらない溝
──曲を書けるってすごいと思います。普通の人にはできない、特殊能力ですよね。
わたなべ よくそう言われるんですが、そう難しいことではありません。みんなやればできると思いますよ。ただ、不思議だなと思うのが10年やってていまだに埋まらない「溝」があるんです。
──どういうことですか?
わたなべ 自分が書いたうたと他人が書いたうたの間にある溝です。それが一向に埋まらない。例えばお米なら、もちろん農家や作り方、品種によって味は大きく違いますが、お米はお米ですよね。でも僕の場合、自分のうたと他人のうたではお米とパソコンくらい違う。完全に別物なんです。だからCDショップでニコルズのCDと他のバンドのCDが一緒に並んでいるのを見るとすごく違和感を覚えるんです。それが不思議なんですよね。自分でもなぜそう感じるのかわからない。いつになったらその溝が埋まるのか楽しみにしているのですが、10年やってても一向に埋まらないんです。
──その溝というのはもう少し具体的に言うとどんな感じなのですか?
わたなべ 決して嫌な溝じゃないんですよ。ただそこに溝があるというだけで。どっちの曲が上とか下とかじゃなくて、水と油みたいなもの。それはカラオケに行ったときに如実に出てくるのですが、カラオケで自分のうたを歌っているときにも違和感を覚えるんです。他の曲と全く乖離した世界にあるものが同じ空間にある不思議。うまく説明できないんですが......。
千葉 だいちゃんが自分で曲を書いてるからそう思うのかな。

わたなべ そうだと思う。
岡田 確かに私にとってもニコルズの音源は他のバンドのものとは別物で、同じようには聴けないな。溝は埋まらないと思う。
千葉 私はどっちも普通に聴けちゃう(笑)。
わたなべ 単純に曲だけじゃなくて、ライブでもそうで、例えばフェスに出演したときも自分と他の出演者との間にやっぱり超えられない溝を感じるんですよね。
──同じ土俵に立つミュージシャンとは思えないということですか?
わたなべ そうですね。別に「自分たちは他のバンドとは違うぜ」と斜に構えてるということではなくて、一緒に楽しく喋っていてもどこか別の世界にいるみたいな感じなんです。不思議ですよ。特にデビュー前からずっと個人的に好きなミュージシャンに対しては、同じステージに立っているという実感は10年やってもまだないですね。でもみんなそうなんじゃないかな。
鈴木 確かにその実感はないね。いつまでたっても仲間入りできないという。
千葉 それはわかる(笑)。何か壁があるのかな。
岡田 一緒に音を出したらその溝は埋まるんだろうか。
わたなべ 埋まらないと思う。
千葉 難しいね。
わたなべ でもみんなそんなこと感じないで音楽を楽しんでいるから、別に考えなくていいんですが、ふと僕らと彼らは別だなあと感じるときがあるんですよね。
好きなことを仕事にするということ
──みなさんは10代の頃から音楽が好きで、目指していたプロのミュージシャンになっているわけですが、好きなことを仕事にするということはどうですか?
わたなべ すごくいいことですね。
千葉 毎日楽しいし、幸せだよね。

岡田 仕事なのでもちろん楽しいことばかりじゃなくて大変なことやつらいこともあるのですが、自分が好きなことだから頑張れるんですよね。ニコルズにはこの先もっと大きなバンドになるという夢があるので、そのためならどんなに大変でも頑張れる。その先にはきっと楽しい結果が待っていると信じられるから。
わたなべ 好きなことを仕事にするというのは簡単なことじゃなくて、ある種の覚悟を決めてやっているわけです。その時に大事なのは、好きなことを仕事にすることで嫌いになったら本末転倒なので、そうならないようにすること。
──本当に好きなことはあえて仕事にしないで趣味にするという人も多いのはそのリスクがあるからですよね。
わたなべ そうですよね。音楽なんて特にそういう人が多いです。だから僕は好きなことを仕事にすると決めた時点で、それを嫌いにならないようにどうすればいいかを考え、好きなことを楽しんでできることが大事だと思いました。楽しければ嫌いにならないですからね。じゃあそのためにどうすればいいかと、一つひとつ考えてひたすら実践していった結果、好きな音楽が嫌いになったことはこの10年間で一度もなく、楽しく音楽活動を続けることができているんです。
──具体的にはどういうことをしたのですか?
わたなべ 例えば、「○○をしなければならない」という義務のようなことはどんどん排除していきました。何日までに曲を書かなきゃいけないと思うと義務感がどんどん強くなってつらくなるので、なるべくそうは思わないようにする。日頃の考え方や発言含め、こういう細かいことを1つひとつやっていくと、好きなことをずっと好きなまま楽しく続けられると思うんです。
他のメンバー (深く頷く)。
<$MTPageSeparator$>生きていることすべてが仕事
──働き方についてお伺いしたいのですが、仕事とプライベートのバランスはどんな感じですか?

鈴木 結局好きなことを仕事にすると、仕事とプライベートの境目がなくなるんですよね。ちょっとでも時間ができたらいろんな音楽を聞いたり、ギターの練習をしているのですが、それは仕事ともいえるし、プライベートともいえる。1日でもギターを触らないと不安になるんですよね。
わたなべ 僕の場合は、確かに音楽を生業とはしていますが、自分のことをミュージシャンだとは思ってないんですよね。僕の仕事は曲を作って歌って人びとに届けることですが、生きている中で思ったり、気づいたり、伝えたいことを歌詞にして歌っているわけなので、どうやって生きて生活しているかが重要になってきます。そこがちゃんとしてないと聴く人の心に響く曲や詞が生まれてこないんですよね。僕の曲を聴いてくれる人も同じようにこの世界で生きて生活しているわけですからね。作品づくりやライブだけでなくラジオで話すときも、普段思っていることや日常の出来事をリスナーに伝えているので、そう考えると、音楽を仕事にしているというよりも、生きていることそのものが仕事になっているという感じなんです。その辺はおもしろいなと思います。
鈴木 そうだね。仕事がプライベートになっているというよりは、プライベートが仕事になってるという感じだよね。
千葉・岡田 うんうん、そうだよね。
音楽に対する思い
──みなさんはどういう気持ちで音楽に取り組んでいるのでしょう。

わたなべ バンドとしては、自分たちの音楽でたくさんの人を元気にしたいという思いが大前提としてあります。僕らの音楽を聴いて元気になる人が1人でも増えてくれればこれほどうれしいことはありません。僕個人としては、曲を書いて歌っていく上で身の丈というのをすごく意識して、そこからはみ出ないように意識しています。それだけは音楽を始めたときから唯一変わらないことですね。
──具体的にはどういうことですか?
わたなべ 例えば変にかっこつけたような言葉やきれいな言葉を使ったり、パフォーマンスをしたりしない、つまり自分を実物よりも大きく見せないということです。
岡田 私はこのバンドにおける私のドラムスとしての役割、目的は自分のテクニックを見せつけるためではなく、だいちゃんの書いた曲を人びとにちゃんと届けること。そのためにドラムを叩いているので、そこは絶対忘れないようにしています。
千葉 私は初めてだいちゃんに出会ったときの気持ちを忘れないようにという......。

わたなべ 恋人か!(笑)
他のメンバー (大爆笑)。
岡田 あはは、ほんと恋人みたいだねー(笑)。
鈴木 びっくりしたわ~(笑)。
千葉 そこだけ聞いたらそうだよね(笑)。でも初めてだいちゃんに出会ってだいちゃんのうたを聴いた時に感動した気持ちを忘れないで、これからもニコルズで音楽活動を続けていきたいなと本当に思ってるんです。この先10年、20年経っても色褪せない音楽をたくさんの人に届けたいというのはいつもみんなで話していることで、バンドとしても一番モットーにしてるところです。だいちゃんとバンドを始めて10年経った今でも一緒にバンドをやれているのはすごいことだなと思うし、同時にこれまでできたんだからこれから10年先もできるだろうという自信もあります。
鈴木 僕の言いたいことはあらかたまなんとりっちゃんに言われちゃったな(笑)。それ以外のことで言うと、僕なりのこだわりを忘れないように心がけています。胸を張ってやれることをするというか、ここまできたからには何かに媚びたりせずに、自分のやりたいことをやっていく。例えば、僕は昔からあるようなオーソドックスでシンプルな音楽が好きなので、そのよさをちゃんと伝えたい。大きいことを言うと、日本の音楽シーンによい音楽を残していきたい。それはニコルズの一つの大きな使命なのかなとも思っています。流行りものにとらわれずによい音楽をメジャーのポップシーンの第一線でずっと奏でて、ちゃんと人びとに届けていく。そう思いながら音楽に取り組んでいます。
小さいことからコツコツと
──バンドとしての目標を教えてください。
わたなべ わかりやすい目標としては武道館でライブをやるというのがありますが、まずはこれまで10年やってきたので、さらにこの先10年続けていくことですね。さっき話したように、好きでやってる音楽を嫌いにならないためにはどうしたらいいか考えながら、楽しく続けていくことが日々の目標です。その先にすべての大きな目標がある。根っこの部分をちゃんと固めて、小さい目標を一つひとつクリアしていかないと、大きな夢を描くことはできません。どんな仕事でも同じだと思いますが。
他のメンバー (深く頷く)。
──メンバーそれぞれの個人的な目標があればお願いします。

岡田 先日、まなんがブログに「メンバーみんなの親孝行がしたい」と書いていたんですが、私も本当にそう思います。例えば大晦日の紅白歌合戦への出場とかも、それが最終目標ではないけれど叶えば親孝行になりますよね。1度でもいいから自分の娘が紅白に出たよと言わせてあげたいですね。
鈴木 僕はニコルズの認知度をもっと上げたいというのが一番の目標です。これはよくだいちゃんも言っていることなのですが、みんな僕たちのことを話題に出すとき、「D.W.ニコルズというバンドがさ...」と言うのですが、その"という"を取りたい。トップレベルに売れなくてもいいのですが、バンド名を聞けばほとんどの人がわかるようなバンドになりたいですね。
千葉 確かにお茶の間層にもっと浸透したいというのはあるよね。携帯でバンド名を打つとき、dと打ったらD.W.ニコルズって変換予測で出てくるようにいつかなれればうれしいなと最近思いました(笑)。
わたなべ 僕は飛び上がってやった! と叫ぶような、スポーツ選手が感情を爆発させて喜ぶような瞬間を迎えたいということ。それに匹敵するくらいうれしいことはきっと起こってるはずなのに、年を取るとなかなかそういうことってないので。
千葉 よし、今年中にだいちゃんを胴上げするようなことを起こそう(笑)。
とにかくライブに来てほしい
──最後に読者に伝えたいことがあればお願いします。
わたなべ このインタビュー記事を読んで僕らのことがちょっとでも気になった人はニコルズのWebサイトにアクセスして、メールマガジンに登録してください。そこから僕らとの関係をスタートさせましょう(笑)
岡田 ぜひ私たちのライブに来てほしいですね。きっと楽しんでいただけると思うので。

鈴木 そうだね。だいちゃんのうたは聞き取りやすいしわかりやすいので、曲を知らなくても、初めての人でも、普段ライブに行かない人でも、老若男女問わず楽しめます。それに関しては絶大なる自信があります。とりあえずだまされたと思って気軽に来てほしいですね(笑)。
千葉 最近のライブでは小学生以下は無料にしていて、子どもたちが増えているので、お子さん連れでもお気軽にどうぞ(笑)。
──なぜ小学生以下は無料にしているのですか?
わたなべ 多くの子どもたちに僕らの音楽を聞いてほしいと思ったからです。ライブ会場内にはなるべくキッズエリアを作るようにもしているので、親御さんも子どもを連れてきやすいと思いますよ。
千葉 初めて観るライブがニコルズだったら一生忘れないんじゃないかなと(笑)。子どもたちがたくさんいるライブっていいねと言ってくれるファンもいます。会場全体がいい雰囲気になっていて、私たちのライブは大人も子どもも入りやすいんです。
岡田 10月11日に赤坂ブリッツで開催するライブは入場料1000円なので、ぜひ気軽に観に来てください!