一国一城の主の夢
──宮治さんが現在のような活動をするに至った経緯についてうかがいたいのですが、宮治さんご自身も以前は東京の大手人材サービス会社に勤務していたそうですね。なぜ会社を辞めて実家に戻ったのですか?

そもそもの始まりからお話すると、僕は小学生の頃から歴史小説が好きでよく読んでいました。その影響でやっぱり男として生まれたからには一国一城の主となり天下を取らなきゃいけないと思うようになりました。しかし今の時代、隣の農家に攻め込んでここはおれんちの領土だと占領するわけにはいきません(笑)。そこで現代の一国一城の主って何だろうと考えたとき、会社の社長だなと思い、高校生の頃には漠然と起業を志すようになりました。それで起業家を数多く輩出している慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの総合政策学部に入学して経営学を学びました。とはいえ在学中にいきなり起業というわけにはいきません。なにせ、自分にはそのような才覚も具体的にやりたいこともありません。取りあえず若いうちから裁量ある仕事を任せてもらえそうなベンチャー企業に入社して勉強しようと思い、人材サービス会社に就職しました。入社後は営業、企画、新規プロジェクトの立ち上げなどに従事しながら、毎朝、出社前にカフェでいろんなビジネス書や歴史小説を読みつつ、どんな事業で起業するべきかを研究していました。このときは実家の養豚業を継ぐなんてことは全然考えていませんでした。
僕にとって起業とは、自分の命と生涯を懸けてやり遂げるもの。その強い意志と覚悟がなければとてもできるものではないと思っていたので、必死で考えました。なぜ働くのか。何のために働くのか。その過程で、自分自身が農家のこせがれであることを改めて認識しました。子の代、孫の代まで存続させていく農業は男が一生を懸けて取り組む仕事だと気づき、実家の養豚業に関心が向くようになりました。それ以来、農業関係の本を片っ端から読みあさり、日本の農業の現状と課題について自分なりに勉強した結果、2つの大きな問題にたどり着きました。
解決策を考える
1つは農家に価格の決定権がないこと。もう1つは生産物が生産者の名前が消されて流通することです。この2つの問題を解決するためには何が必要なのだろうと考えていた時、大学2年生のときに実家で開催したバーベキューを思い出しました。そのときたまたまうちで育てた豚肉が大量に自宅にあって、家族だけではとても食べきれないから友人たちを呼んでバーベキューをやりました。うちの豚肉を頬張った友人たちは口々に「こんなにうまい豚は食べたことがない」と言い、やたら感動していたのを見て、20歳にして初めてうちの豚ってうまいんだと気づきました。でもその直後、友人から「このおまえんちのうまい豚肉はどこに行けば買えるんだ?」と聞かれた瞬間、頭の中が真っ白になりました。そんなことは今まで考えたことすらなかったので親父に聞いたら先ほど話した理由で親父もよくわかっていませんでした。

第1回REFARM会議で行われたみやじ豚バーベキュー
厳密に言えばどこどこのスーパーで何とか豚として売られているという程度まではわかるのですが、銘柄豚は基本的に周辺の養豚農家の豚肉が混ざっています。そのパックの中に入った豚肉の切り身が果たしてうちが生産した豚なのか、隣の養豚農家が生産した豚なのかは絶対にわからないようになっているんです。だからうちの豚はここで買えるから食べてねと自信をもっては言えないんですよ。それって仕事のやりがいを失っているということだと思ったんです。僕も4年3カ月人材会社で勤務していましたが、お客様からありがとうと言われるとうれしいし、それが大きなやりがいになっていました。でも一般的な農業の仕組みでは地域で肉を一緒にして市場にもっていって、あとはどう流通して誰が食べているのかわからないから、消費者からありがとうとかおいしいねとは絶対に言われないわけですよ。それでは仕事のやりがいが得られないですよね。
<$MTPageSeparator$>農業を6Kから3Kへ

そこで、今までは生産して出荷するまでが農家の仕事だったけれど、その後の流通も考え、マーケティング、営業、販路の拡大、商品開発といった生産からお客さんの口に届けるまでを一貫してプロデュースできれば価格決定権を自分で持ち、消費者の声を直接聞くことができる。そうなれば、農業がとても魅力的な仕事になる。従来の、きつい、汚い、かっこ悪い、臭い、稼げない、結婚できないという6K産業を、かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にできる。そうひらめいたとき、会社を辞めて実家に戻り親父の後を継いで養豚農家になろうと決意したんです。
しかし、すんなり実家に戻れたわけではありません。昔ながらの養豚農家である父に自分の考えを話しても「お前の言っていることは地に足がついていない」「理想論だ」などと反対されました。ですが、盆や正月などことあるごとに実家に帰って説得していたら「そこまでいうなら勝手にしろ」と言ってくれたので2005年、会社を辞めて実家に戻ったんです。実家に戻って驚きました。僕より2カ月先に弟が勤めていた外食チェーンを辞めて親父を手伝っていました。兄弟2人分の給料はうちでは支払えないなと思って途方に暮れました。
バーベキューマーケティング
──そこから具体的にはどうしたのですか?
生産現場は弟に任せて、実家に戻るきっかけとなった学生時代にやったようなバーベキューをやろうと思いました。うちの肉のおいしさを直接お客様に伝える一番いい方法だし、お客様からの喜びの声も直接聞くことができる。さらに自分で価格も決められます。当時の実家が抱える2つの問題点が一気に解決できると思ったんです。そこでそれまでに知り合った友人800人にバーベキューをやりますというメールを配信したところ、大勢の人たちが参加してくれて、学生時代の友人と同じようにとてもおいしいと感動してくれました。丹精込めて作った豚肉を目の前でおいしいと言いながら食べてくれるお客様の笑顔を見て、うちの親父もとてもうれしそうでした。毎月開催したバーベキュー大会はその後口コミでどんどん広がり、今や3カ月待ちという状況にまでなったのは先にお話した通りです。
バーベキューは思わぬ効果も生み出してくれました。バーベキューを通していろいろな人と知り合いになり、レストランを紹介してもらって肉を卸す話が決まったり、イベントを開いてうちの豚を食べる機会を作ってもらったり、メディアに紹介してもらいました。うちの名前をとって「みやじ豚」と命名し、売り方もこれまでの作り手の顔も買い手の顔も見えない売り方から、オンラインショップを開設して直接インターネットで販売したり、飲食店に卸したり、銀座松屋で販売を開始しました。こんな感じで僕はプロデューサーとしてみやじ豚のブランド化を図り、流通経路を変えて販路を広げ、取り引き先を増やすということをしていったのです。とはいえありがたいことに、ほとんど紹介紹介で僕自身ほとんど営業はしませんでした。
バーベキューをはじめてすぐに「これはいけるな」という手応えを掴みました。1年後の2006年に株式会社みやじ豚を設立。2008年には父や弟がおいしい豚を育てる努力が実って、農林水産大臣賞を受賞。同業者からも「神奈川のトップブランドはみやじ豚だな」と言われるようになりました。そして2009年には売り上げが株式会社化する前の5倍になりました。みやじ豚をはじめて5年目でやっと、サラリーマン時代3年目の給料を越す収入を得られるようになりました。とはいえ、同期は僕よりももっと高い給料をもらってるはずですが(笑)
だけど僕の夢はあくまでも日本の農業を変革し、かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にすることなので、うちだけが成功しても不十分。それで2009年に農家のこせがれネットワークを立ち上げて、これまでお話してきたような活動をしているというわけです。
──これまですべて宮治さんの思い描いた通りになっているという感じですごいですね。
いえいえ。僕はこれまで戦略的に物事を考えて実行してきたというわけではないんですよ。いつも行き当たりばったりで、何となくこういうことをやればいいんじゃないかなと思ってやってきたことが運良くはまってるという感じでしょうか。
<$MTPageSeparator$>全国を飛び回る日々
──いろいろな活動をしている宮治さんですが、日々、どんな感じで働いているのですか?

日によってやることは全然違いますが、だいたい毎日朝6時くらいに起きて、読書をします。それから7時に朝ご飯を食べて、8時くらいから自宅で事務仕事を始めます。以降はカフェでWeb制作会社の人やみやじ豚を扱いたい飲食店の人と打ち合わせをしたり、農家のこせがれネットワーク関係でこせがれや農業で何かやりたいという人の相談に乗るなど、とにかくいろいろな人とお会いします。
講演の依頼もよくいただいていて、全国各地で多い年だと年間50~60本の講演をしています。月の半分以上、関東圏以外に行くこともあります。最も依頼が多いのはやはり農業者の集まりですね。あとは中小企業の経営者の勉強会や官僚の新人研修の講師として呼ばれることもあります。その他は教育機関も多いです。キャリア教育の一貫で中学校や高校などでこれまでの取り組みなどについて話をしたり、大学で講義のゲストスピーカーとして呼ばれて話すこともあります。これまで慶應義塾大学、早稲田大学、明治学院大学、高千穂大学、名古屋大学、大阪大学などいろいろな大学で講義をしてきました。
──講演ではどのようなことを話しているのですか?
例えば農業系の学校でよく話しているのは、学校を出てすぐに実家の農業に従事するんじゃなくて、就職活動して一度会社勤めを経験した方が絶対にいいということです。僕自身の経験からも、会社に入って学んだことや経験したこと、身につけたスキルは農業をやるときに絶対に生きます。逆にそれらは学校を卒業してすぐに家業に入ると絶対に身につきません。家族同士だとお互いに甘えも出るし、父親もビジネスの経験がないので変化を嫌い古い仕組みを押し付けたり、こうした方がいいんじゃないかと意見を言っても半人前のくせに偉そうなことを言うな、お前はおれの言うとおりに農作業をやっていればいいんだとそれこそ理不尽なことを言われます。そうなってもすぐに実家に入ると逆らえないんですよね。
だけど一回外の世界でビジネスを経験したら、父親がもっていないスキルやノウハウ、ネットワークを得られるので、それらを武器にすれば父親よりも優位に立てます。新しいことをやるときでも、親父はインターネットの使い方も知らないんだから、そこはおれに任せろとか言えるわけです。だから一度外の世界に出るのは遠回りのように見えて実はそうじゃないんですよね。農業技術以外で父親より優れた能力を身につけて初めて農業もできると思った方がいいということを話しています。

農家のこせがれネットワークでのイベントの様子
──みやじ豚と農家のこせがれネットワークでは仕事の割合はどちらが多いのでしょう。
現在はみやじ豚の方が多いです。意識的にそうしていて、自分が若い農業者の手本にならないといけないという意識で農業に従事しているので、みやじ豚がきちんと成功してないと、僕の話に説得力をもたせられないからです。だからまずはきちんと利益が出るように自社の経営をしっかりやって、それと平行して全国を回って悩める農家のこせがれや農業者のみなさんと交流をもち、講演会や経営相談会を行っているんです。
理想のライフスタイルを実現
──そのビジネスの感性というかセンスがすごいと思いますが。仕事の魅力、やりがいはどんなところにありますか?

農業の最大の魅力は自分の理想のライフスタイルを実現できることです。法人化して株式公開を目指すこともできるし、田舎で自給自足的な暮らしも実現できるし、僕のように農作業は一切せず、全国に仲間をつくりながら農業経営もできます。
──宮治さん個人の理想のライフスタイルとは?
夢を掲げて実現するために働くことが理想のライフスタイルです。僕の夢は先にも話したように、一次産業をかっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にすること。それを実現するために、みやじ豚の代表と農家のこせがれネットワークの代表の二足のわらじを履いているんですよね。それが僕の理想の働き方でもあるんです。
学校に行って講演するときには、「夢=職業じゃないよ」という話をよくしています。生徒に将来の夢について作文を書かせると、自分の夢は医者になること、警察官になること、プロ野球選手になること、歌手になることなどと、ほとんどの生徒が職業を書きます。でも夢って職業じゃないんですよね。僕の夢は一次産業を3K産業にすること。この夢を実現するためには職業は政治家でも、先生でも、八百屋でも、農業者でも何でもいい。たくさんある仕事の中から最も自分がやりたい、自分に合っている仕事を選べばいいんですよ。
<$MTPageSeparator$>ワークとライフを一致
──職業は夢を実現するための手段、ツールであるという考え方ですね。ワークライフバランスについてはどう考えていますか?

僕は基本的には仕事とプライベートは一致できた方が幸せだと思っています。なぜなら、仕事って1週間のうち5日会社で働くとすると、人生の約7分の5もの時間を費やすことになるでしょう? だとすると会社での生活が不幸だと人生の7分の5が不幸になってしまうということですよね。それでいいわけがない。仕事とプライベートを分けるからそうなるわけで、だから僕にとってはワークとライフをいかにバランスさせるかじゃなくてどう一致させるかが重要だし、それを考える方が幸せだなと思いますね。その理想となる最適な形が家族経営なんです。
激務の会社員の場合、平日は子どもと全然顔を合わせられないという話をよく聞きますが、農家の人と午後3時くらいに家の前で立ち話していると子どもが学校から帰ってきてただいま、おかえりと言い合える。そういうのを見ると農家って幸せだなと思いますよね。子どもが興味をもてば仕事の現場を見せることも体験させてあげることもできますしね。それは幸せなことだなと思いますよね。
──確かに家族経営だとまさにワークもライフも一致しますよね。奥さんも株式会社みやじ豚の一員として仕事をしているとのことですが、夫婦で働くというのはいかがですか?
もちろん幸せなことだなと思っています。常に一緒にいられますからね(笑)。

第1回REFARM会議にて
──今後の目標や展開は?
うちの核である父と母はもう高齢なのでいつまでも働けるわけではありません。彼らが引退した後も、これまで通りに養豚業を継続していくにはどうするべきか。今から新しい体制を考えておかなければなりません。あとはまだまだ肉の販売先が足りないので、どうやってうちの豚の認知度を上げて、扱ってくれる取り引き先を増やすか。これが永遠の課題ですね。
よりよい世の中をつくるために
──世の中の人びとに訴えたいメッセージがあればお願いします。

規模は小さくてもいいものを作って顧客と直接対話する農家が増えればいい世の中になると思っています。豊かな暮らしをするためには、多様な選択肢があることが大切だと思います。地方が東京のものまねをしても魅力的な地域にはなりません。その地域ならではの独自性があるからこそ若者のIターン先や観光地として選ばれるのです。日本の中にそうした多様性や独自性を担保するためには、生活者がお金の使い方を変えることです。例えば、子どもたちのために国産のおいしくて身体にいいものを食べさせたいと思ったら、安さだけを基準にするのではなく、少しばかり高くても、国産のものを買う。できれば、顔の見える生産者から買う。そうすれば私も含め日本の生活者は、国産のおいしい食材を今後も購入することができます。世の中を変えるのは、政治家や革新的な商品を創出する起業家だけではありません。私たちが何に対してお金を使うかによって変わるのです。