落語のやりがい
──落語をやっててよかったと思うことは?

やっぱり私の落語がお客さんにウケたとき。お客さんの笑顔を見られたときが一番幸せですね。最近は外国人のお客さんも多くなっています。子どもから年配の方まで、外国人と日本人が一緒に笑うのはすごくいいことですね。
あと、終わった後にみなさんのアンケートを読むのが楽しみです。「ダイアンの落語はとてもおもしろかった」「勉強になりました」「これからもっと落語を見に行きたい」という感想をもらったとき、特に「日本人なのに生で初めて落語を観ました」というのがうれしい。その人が初めて見たのが私の落語、それはすごいうれしいですよ! 海外公演でも、日本の落語を見たことない人が来てくれて、「すごく楽しかった。また見に行きたい」とか「次はいつ来るの?」とか言われたらすごいうれしい。よかったよかったと思います。
私は常々いい立場にいるなと思っています。イギリスと日本の2つの文化を知っているから。日本に来る前は日本のこと全然知らなかったけど、日本で勉強したことをイギリスに持って帰れる。とてもラッキーなことです。
──逆に難しい点、たいへんな点は?
習い始めの頃は、古典落語に出てくる言葉や落語の作法を覚えるのがたいへんでした。あとはやっぱりネタを覚えることとネタ通りに演じることがすごく難しかった。
それと落語は男の世界。ネタも男性が書いていたので、登場人物もほとんどが男性。女性は芸者、奥さんくらいでとても少ない。それが物足りなかったし、女性の私が一人で複数の男性を演じ分けるのもすごく難しかった。おじいちゃんとか侍だったら声色や座り方、言葉遣いで演じ分けられるけれど、同じような年齢の人は難しかったですね。演じながら、見る人はちゃんと分かってるかなと不安でした。もっと女性を入れたいと思っていろいろな落語家に相談したら、古典落語なら本当は男性だけど女性に変えていいし、ネタ自体も自由にアレンジしていいんだよと言ってくれたので、楽になったし、演じ方も広がりました。

英語落語を披露するダイアンさん(ドバイ公演にて)
──落語をしているときにたいへんだったエピソードはありますか?
これまでいろんなハプニングが起こりました。例えばお客さんが急に倒れて救急車で運ばれたり、携帯電話が鳴ってそのまま喋り続ける人がいたり、赤ちゃんがずっと泣き止まなかったり。高座が崩れたこともあります。テーブルの上で喋っていたとき、会場のスタッフが脚をちゃんとロックしてなかったから片方の脚だけロックが外れてがくんと傾いて、座布団の上に座ったまますーっと滑り台みたいに床まで滑り落ちちゃった(笑)。お客さんはネタだと思って大爆笑。違う、違う、ネタじゃないよと(笑)。後でビデオを見たらきれいに滑ってて自分でも笑いました(笑)。
好きなことだから耐えられた
──では落語をやめようと思ったことはないのですか? 外国人でしかも女性ということで、かなりつらいこともあったのではないかと思うのですが。
確かにこれまでいろいろな壁がありました。今から16年前くらい、私が落語を始めたとき、「外国人は日本人の心がわからないから落語は無理」とか「女性は落語ができないからやらない方がいい。生け花とか三味線をやった方がいい」とか、落語の関係者やお客さんなどからネガティブなことを言われたこともありました。私だけじゃなくて他の女性落語家も同じようなことを言われていたようです。
それと、落語は日本の文化の中でもすごく歴史のある世界で、私がこれまで全然知らなかった世界。だから偉い師匠と楽屋が一緒になったら敬語の使い方を間違わないか、きちんと礼儀作法ができるか、粗相をしないか、緊張してドキドキしていました。また、当時外国人で落語をやってる人がいなかったから、言葉の問題で壁にぶつかったときに相談できる人がいなかった。それもつらかったですね。

でも私は落語が好きだったから、落語をやり続けたかったから、どんなにつらいことがあってもやめたいとは思わなかった。それと、続けるうちに何百人ものお客さんが私の落語を聞きに来てくれるようになったことで、責任感が持て、ネガティブな声を気にしないようになりました。お客さんからの「今日のダイアンの落語はよかった、おもしろかった」というメッセージが私に落語を続ける力をくれました。つらいこと、たいへんなことはたくさん巡ってきたけど、今はとても楽しいからあきらめなくて本当によかったと思っています。また、なかなか入れない落語の世界に入れてとてもラッキーだったと思います。
──そういう意味では枝雀師匠との出会いは大きいですね。
本当にそうですね。もしあのとき、枝雀師匠の落語を見なかったら落語家になっていないかもしれません。今何をやっているか、日本にいるかどうかもわからない。私の人生は枝雀師匠との出会いで完璧に変わりました。運命だったと思います。
おかげで今、落語を仕事にしているから毎日すっごい楽しい。いつもいろんな人に会ってるし、退屈な日は全くありません。新しいネタを考える時間がないとか、忙しくてあまり寝られないこともありますが、落語はネタさえ覚えれば世界中どこでもできるから、いい生活をしてるなと思っています。
<$MTPageSeparator$>落語以外のさまざまな活動
──落語以外の活動についてももう少し詳しく教えてください。

はい。落語の次に多いのが講演会ですね。落語と講演会を同じイベントですることが多いです。講演は日本語だけど落語は英語ですることもよくあります。テーマは「ダイアンから見た日本」とか、働きたい女性に送るアドバイスなど、いろいろです。あとは東日本大震災のとき、被災地でボランティア活動をしていたときの話もよくします。
呼ばれるのは学校が一番多いです。高校や大学、最近は中学校も増えてきています。企業や国際交流のイベントに呼ばれることもあります。これから外国に行く人のためにダイアンの経験談を話してくださいというオファーで、外国に住んでて困ったこととか心配してたこと、外国語を覚えるテクニックというテーマも多いです。また、バルーンアーティストとしても活動していて、幼稚園や保育園、ショッピングモールなどでショーをやったりしています。
それから、いろんなワークショップ・講習会も行っています。子どもたちにステージに上ってもらって落語を体験してもらう落語のワークショップをはじめ、バルーンアート、着物・ゆかたの着付け教室、ラフターヨガ、風呂敷活用術、生け花教室、即興劇などバラエティ豊かです。
──着付けや生け花、風呂敷など日本の文化を教えているのが興味深いですね。
着物に興味をもつ女性が増えているせいか、着付け教室を開いたらたくさん集まります。たぶん私が外国人だから参加しやすいんだと思います。英語でも日本語でもOKなので英語を習いたい人や英語で遊びたい人も来ます。「英語で着付けを覚えましょう」とか「落語で英語を覚えましょう」とプラス英語のテーマをつけたら2つの勉強になるから興味を持つ人が多いですね。
風呂敷は個人的に好きなんです。日本人はみんな風呂敷を使えると思っていたのですが、今は使っている人、とても少ないですね。だから風呂敷教室を開いたらたくさんの人が集まりました。生徒さんはみんな日本人です。みなさん、「日本人だけど風呂敷を使えなかったからこれから使いたい」と言っていました。いい話だなあと思いました。
永住権を取得
──日本の永住権を取得しているそうですが、相当日本が気に入ったってことですよね。どういうところが?
いろいろあります。先にもお話しましたが、私は古くて歴史あるものが好きで、日本には何百年もの歴史と伝統を誇る文化財がたくさんあります。これまで京都や奈良にはたくさん行きました。また、私は変わってることが好きで、日本で初めて体験することがたくさんあったから退屈な日は1日もなかったです(笑)。
それから人がいいです。みなさんやさしくて親切でフレンドリーで楽しい人ばかり。日本人のすごくいいところは質問したら丁寧に深くまで説明してくれる点。日本の文化のこと、歴史のこと、マナーのこと、全部一生懸命教えてくれる。それはすごくありがたいですね。
──日本は暮らしやすいですか?

はい。日本に来たばかりの頃は言葉の問題でわからないことやたいへんなことがたくさんあったけど、今はとても住みやすいと感じています。大阪ですごくいい場所を見つけたことが大きいですね。今私が住んでいるのは、すごく長い歴史があって昔ながらの長屋がたくさん残されている貴重な地区です。昔は落語家も何人か住んでいました。街の雰囲気もいいし、みんな古いものを守ろうとしています。近所の人もみんなやさしくて、家の裏は着物屋さんで、近くには生け花の先生や茶道の先生もいて、みなさんすごくいろいろ教えてくれます。とてもいい人に囲まれてます。
大阪城の近くで、自転車でどこでも行けるからとても便利。近くに空堀商店街という古い商店街があります。活気にあふれている大好きな商店街です。商店街を歩いていると「ダイアン、これ持ってってー」とか「ここ座ってちょっとお茶して行きー」とかみんな私に話しかけてくれます。だから一人で散歩しても全然大丈夫。すごいいい人ばかり。そういう意味でもすごくいい生活しています。
ここに引っ越ししたばかりのとき、友だちに「ダイアン、今どこに住んでるの?」と聞かれて「カリフォルニア商店街の近くよ」と答えました。「カリフォルニア? それ、どこにあるの! アメリカ?」「違う違う、日本の大阪」って(笑)。最初はカリフォルニア商店街だと思ってたんだけど、よく調べたらカリフォルニアじゃなくて空堀(からほり)だった。あははは(笑)。当時はまだ日本語がよくわからなかったからね。
<$MTPageSeparator$>ダイアンさんから見た日本
──ダイアンさんは今の日本についてどのように感じていますか?

私が来た頃(1990年)と比べてだいぶ変わった、ちょっと国際的になってきたね。日本人は柔らかくなってきたと感じます。来日した当時、日本人は仕事や会社が1番大事で家族は2番というイメージでした。最近は家族が1番になっているような気がします。
景気もだいぶ変わったから、大学を卒業して会社に入ったらそのまま30年、40年働くのが当たり前だったけれど最近はそうじゃないですね。「どこの会社で働く」じゃなくて、自分でやりたいことを探して仕事にしている人、例えば起業したり、デザイナーやカメラマンになる友だちが増えてきました。それはすごく変わったと思います。もっとも私自身が個人事業主なので、周りにそういう友だちが多いからかもしれませんが。
日本人の生活も変わったと思いますね。働く女性が増えました。昔の日本人女性は結婚する前に生け花や茶道や着付けを習っていました。でも最近はみんな仕事で忙しいから習う時間がない。それと核家族が増えて昔みたいにお爺ちゃん、お婆ちゃんと一緒に住んでいないから、子どもの頃に家で日本文化やマナーを教えてもらうということが少なくなっています。着物の着付けも昔はお婆ちゃんに教えてもらっていたけど、今はそんな機会もずいぶん減っています。一人暮らしでは着物を持ってても着る機会も滅多にないですよね。そういう人たちから着物をもらうこともよくあります。住宅も洋風化が進んで和室がどんどん減っているように感じています。ちなみに私の家には畳の部屋が2つあります(笑)。
あとですね、日本の人は自分の国の文化に対してもっと自信をもっていいと思います。日本の文化は世界中ですっごい人気なんですよ。世界の多くの人がかっこいいと思っているし、あこがれています。だって世界中のどこに行ってもみんな日本のことを知ってるし、勉強したいという人もたくさんいるんですよ。でもそれに気づいている日本人はとても少ない。だから日本人は自分の国の文化にもっと自信や誇りをもっていい、自慢してもいいと思う。若い人たちにはもっと日本の文化を勉強してくださいと言ってます。
2つの大震災を経験
──1990年から現在まで日本で暮らしているということは阪神淡路大震災も東日本大震災も経験しているということですよね。特に阪神淡路大震災は大阪在住ということもあり、たいへんだったのでは?
地震が起こったとき、すごく大きく揺れて、大パニックになりました。2階で寝ていたのですが飛び起きて、階段を使わずに1階まで飛び降りました。足がちょっと痛かったけど大丈夫でした。家の壁の音もギシギシ鳴って、すごく怖かった。
──その時はイギリスに帰ろうとは思わなかったんですか?
さすがに悩みました。ショックで1カ月くらいはあんまり寝られなかったね。また地震が来るかもととても心配でした。イギリスの両親は帰ってくるかと聞いたんですが、まだ帰りたくなかったので大丈夫、帰りませんと答えました。
──東日本大震災ではボランティアもされていたんですよね。
はい。神戸の地震のときは、みんなすぐ手伝いに行けたけど、東北は行きにくいし、年配の人が多くて手伝える若い人が少ないと思ったので、震災発生後2週間後くらいに被災地に入りました。言葉では言えないほどひどい状態でした。雪が降ってすごく寒かった。最初に行ったときは2週間くらい滞在しました。
──被災地ではどんな活動を?


避難所では落語やバルーンアートで被災した方々を元気づけた
子どもたちは学校が避難所になってたから学校に行けないし、外で遊べないし、退屈していてとてもかわいそうでした。親たちも疲れとストレスが溜まっているようでした。みなさんに苦しみや悲しみを少しでも忘れてもらいたい、元気になってもらいたいと避難所で落語をやったりバルーンアートをやったりしました。すると、みなさん、笑ってくれました。うれしかったし、あんなひどいことがあったのにすごいなあと思いました。そういうことを4回ほど被災地に行ってやりました。
──印象に残っていることは?
いろいろありましたね。被災した人たちは、周りの大勢の人も家をなくしたり、肉親を亡くしたりしていたから、自分が苦しんでいてもその悩みを他の人に言えませんでした。だからみんな相当ストレスがたまっていたと思います。
でも私は部外者だったので、たくさんの人が私に個人的な悩みや困りごとを打ち明けてくれました。それが驚きでもあったし、うれしくもありました。私のことを信じてくれてるんやろなと思って。私は何にも言わない。聞いてるだけ。悩みは人に話すだけでストレス発散になるでしょう。だからセラピストみたいな感じだったと思います。たくさんの人から悲しいこと、苦しいことを聞きました。そんなとてもつらい状況の中でも私の落語を見て笑えるみなさんの強さに感動しました。
この東日本大震災でボランティアをしたことが私の人生を一番大きく変えたターニングポイントになりました。
<$MTPageSeparator$>東日本大震災が人生のターニングポイントに
──それはどういうことですか?

ボランティア「アウトドア義援隊」のスタッフと一緒に
実は、2011年は個人的にもとてもつらい年でした。母が心臓の大きな手術をすることになったので、1カ月イギリスに帰りました。心配で心配でとても大きなストレスでした。幸い手術は無事成功してほっとして日本に帰って、また仕事頑張ろうと思った矢先に東日本大震災が起こりました。その影響で半年先まで決まっていた仕事が全部キャンセルになってしまったんです。こんなことは日本に来て初めてでした。
さらに、私のパソコンがハッキングされてハードディスク内の15年分のデータが全部消えました。その上、フリーメールのログインパスワードを乗っ取られて、アドレス帳に登録していた約1000人の知人に「マドリードで強盗に襲われて、お金を取られてしまいました。このままでは出国できないから○○銀行にお金を振り込んでください」という嘘のメールが一斉に送られたんです。中には落語の師匠たちもいて、すごいショックでした。とても恥ずかしかった。
ちょうどそんな一番つらいとき、家族から、母が今度は肺の手術をしなければならなくなったからイギリスに戻ってきてくださいという連絡が来たんです。そこでストレスはもうマックス。ほんまに私が病気になりそうなくらいストレスで全然寝られませんでした。
そんなとき、東北で出会った人たちの顔が心の中に浮かんできたんです。あの人たちはもっとつらくたいへんな目にあっているのに生きるために必死で頑張っていました。彼らに比べたら私の問題なんてめちゃめちゃ小さいよ、ダイアンは大丈夫よ、と自分に言い聞かせていたら段々と気持ちが落ち着きました。そして乗り越えようという気力が湧いてきました。すごく助かりました。
その後もハプニングや悲しいこと、つらいことがあっても平気になりました。私自身、すごい変わったと思う。これからどんなことがあっても大丈夫でしょう、乗り越えられるでしょう(笑)。東北で会った素晴らしい人たち、一人ずつ全員にありがとうと言いたいです。
好きなことが仕事になるのはとても幸せ
──落語を含め全部好きでやり始めたことが仕事になっているということがすごいと思います。

そうですね。全部自然にこうなりました。最初から何にも決めていなかった。何かになるためにこんなことをした、というのがないんです。落語にしても落語家になりたいなんて全然思っていなかった。おもしろそうだなと思って始めたのがあっという間に仕事になりました。バルーンも同じです。
──好きなことで生活するというのはいいものですか?
とてもいいですね! 今の仕事は大好きでパッションがあるから、それで生活できるのはすごく幸せ。ありがたい、ラッキーだと思います(笑)。それに自分が好きでやりたいことであればすごい努力するからスキルアップにもつながりますしね。
仕事とプライベートのバランスは大事
──働き方についておうかがいしたいのですが、これだけたくさんの種類の仕事をもっていれば毎日すごく忙しいんでしょうね。
はい。本番以外にも打ち合わせや練習や新しいネタを考えるとか、毎日何かしら仕事をしています。でも仕事とプライベートのバランスはすごく大事ですね。私はついつい働き過ぎてしまうタイプだから。毎日働いていたら新しいアイディアが生まれてこないし、しんどくなります。ちょっとだけでも休憩したらリラックスできてパワーや新しいアイディアが湧いてきます。だからすごく忙しいときでも無理矢理にでも時間を作って友だちと食事をしたり、1日だけ海に行くなどしてリフレッシュするように心がけています。あとは大好きな海外旅行に行くことも大事ですね。絶対に年に何回かは行くようにしています。遊びと仕事のバランスを取るのは難しいけど、最近できるようになってきました(笑)。
──今後の夢、目標を教えてください。

夢はいっぱい持ってますね! まず今いい感じで増えている英語落語の海外公演をもっともっとやりたいです。もっとたくさんの人に落語を紹介したい。それと今、日本の古典落語や創作落語を英語でやっていますが、逆にイギリスの物語を落語にして日本人に紹介したいとも思っています。子どもの頃に聞いていた物語を落語にしたらおもしろいと思う。文化エクスチェンジですね。
また、子どもが大好きだから、落語やバルーンアートなど私ができるパフォーマンスで、将来子どもの番組をやりたいです。あとは元々デザイナーで物を作るのが好きだから、着物と帯の生地を使って、洋服や帽子やリュックサックなどを趣味で作っています。それらの作品をみんなが売ってほしい、もっと作ってほしいと言うから、いつかダイアンズブランドを立ち上げたいと思っています。
そして、将来の大きな夢として、自分の本を出したいです。かなり前から、いろんな人に今までのダイアンの経験を知りたいと言われているので、少しずつメモを書いてるけど、なかなかまとめて書く時間がありません。私にとっても、本を書くことで忘れていた自分の思い出が戻ってくるから、いずれは書きたいと思っています。