国内大手の印刷会社から築地の世界へ
──河野さんは元々水産業界の人間ではなく、印刷会社という全くの異業種から築地の世界に入ったとのことですが、現在の仕事・活動をするに至ったこれまでの経緯を教えてください。

僕は大阪生まれの大阪育ちで、就職を機に上京しました。就職先は大日本印刷という総合印刷会社だったのですが、最初から印刷業界に強い関心があったわけではありません。大学も理工学部建築学科ですし。ふとしたきっかけで興味を持ち調べていくうちに印刷だけではなく多岐にわたる事業を手がけていたのでおもしろそうだなと思ったのが志望動機です。
23歳で入社して35歳で退職するまでの12年間、営業、企画、開発などあらかたの仕事を経験しました。毎年仕事の内容が違うのでおもしろかったですね。仕事をゼロから作るということも何度も経験し、手がけた仕事で億単位の売り上げを上げていたのでやりがいもむっちゃありました。
──それなのになぜ魚の世界に?
ちょうど35歳になった日、僕の妻の父親、つまり僕の義父から電話がかかってきました。おめでとうのメッセージとは思えないし何だろうと思って話を聞くと、「竜太朗、築地で魚屋をやらないか」と。突然の話でびっくりしましたが、義父の経営する会社の秘書の実家が尾辰商店で、跡継ぎがいないから廃業すると家族会議で決まった。でも潰すのはもったいないから、跡継ぎにならないかという話だったんです。
──そのときはどんな気持ちだったのですか? 印刷会社での仕事はおもしろかったから辞めるのは嫌じゃなかったのですか?

確かに仕事はおもしろかったし、やりがいも感じていました。最初は「なんで俺なん?」とも思いましたが、そもそも僕は小学校6年生の卒業文集に「将来は大企業の社長になる」と書いていて、印刷会社に入社後も毎年人事に提出する書類に1年目から「40歳までに役員」と書いていたくらい、経営者になるのが人生の夢やったんですね。それに尾辰商店は明治元年創業の老舗の鮮魚仲卸店だし、築地場内で商売する権利ってなかなか取得できないようなので、確かに潰すのはもったいないと思いました。
でもすぐに引き受けたわけじゃなくて、築地のことも魚屋のことも全く知らなかったので、1ヶ月間、毎週土曜日に築地に見学に行きました。働いている人の中でも自分は若い方だったのでこの世界でも勝てるんちゃうかなと感じました。また、築地もメディアに頻繁に取り上げられてるほどおもしろい場所ですし、しばらく修行させてもらって将来的に尾辰商店の社長になったら、めっちゃおもろくなるかも。そう思って、よっしゃ、一人で築地に飛び込んだろと2004年に大日本印刷を退職して尾辰商店に入ったというわけです。
生活スタイルが真逆に
──印刷の世界と魚市場の世界は全く違うと思うのですが、違和感はなかったのですか?
もう最初からすんなり馴染めました。築地の人たちってめちゃめちゃやさしいんですよ。僕も毎日関西弁でしゃべってるからツッコミも多いし(笑)。築地のみなさんがとても仲良くしてくれました。

活気あふれる築地市場
──しかし市場の仕事は朝が早いですよね。生活スタイルが激変するのはつらくなかったのですか?
確かに最初のうちは夜中の1時頃に起きて2時に出勤してましたから、朝が早いのはしんどかった。サラリーマン時代とは生活が真逆で、その時間はまだ飲んでる日も少なくなかったですからね(笑)。
でもそれ以外は何の問題もなかったです。印刷会社に勤めているときは常に10から15くらいのプロジェクトが同時並行的に走っていて仕事の切れ目がなく、ひとつ納品しても別の会議が山ほど待っているという生活でひと息つけるということがなかった。それが築地の仕事は昼頃に魚を冷蔵庫にしまったら終わりでそれ以降の10時間ほどは自由な時間。慣れさえすればつらいどころかむっちゃ楽しかった。昼間に英会話を習いに行ったりジムに通ったり、当時はまだ子どもが幼かったので保育園に迎えに行ってその帰りに買い物して家で夕飯作って嫁はんの帰りを待って、一緒に夕飯食べて何にもなければ20時くらいには寝るみたいな。そんな生活だったのでなんていい仕事なんだろうと(笑)。
まずは魚の名前を覚えるところから
──修行に入って、具体的にはどんな仕事から始めたのですか?

さまざまな鮮魚が並ぶ尾辰商店
魚屋は魚の名前を知らなければ話にならないので、まずはそこから始めました。2時に築地の店に出社して当時の尾辰商店の社長にくっついて社長が買っている魚をひたすらメモしながら覚えました。鯵や鯖ひとつとっても何種類もあるので、最初はたいへんでしたね。社長はほとんど何も教えてくれないので自分で覚えるしかなかった。
<$MTPageSeparator$>わからないことは人に聞けばいい
──魚の仕入れや目利きなども難しそうですが。

競りの模様
仕入れに関しては築地の中で大きく2種類あります。ひとつはよくテレビなどで放映されている、ひとつの魚に対して大勢が入札するオークション形式の競り。もうひとつが仕入れ先に「この魚いくら?」と直接聞いて仕入れる相対(あいたい)取引。競りに出るのはマグロ、活魚、エビ、ウニといったもので種類は限られており、当時の尾辰商店ではそれらを扱っていなかったので相対取引だけでした。魚の目利きも最初はどうすればいいのか全然わからなかったけど、仕入先の人にいろいろ聞いたり、仕入れたものを自分で実際に食べたりを繰り返して段々わかるようになってきました。今でもわからないことは多いですが、周りに魚のプロがたくさんいますからね。わからないことは彼らに聞けばいいのでなんとかなるんですよ。
また、魚の切り方の練習もしました。お客さんの料理人と親しくなって、そのお店に昼間だけ修行させてとお願いして、魚のおろし方や、切り方、シメ方などを教えてもらってました。
──サラリーマン時代から料理はしていたんですか?
いえ、食べるのは好きでしたが、料理は全く興味がなくて自分ではめったに包丁を握ることはなかったです。でも毎日魚を切ったりシメたりすることも仕事としてしなければならないじゃないですか。必要にかられると人間、何でもできるもんですよ(笑)。
人のやらないことをやる
──ほかに修行時代に取り組んだことはありますか?

築地の人たちは朝がめっちゃ早いから夜はお酒を飲みに行ったりしないんです。尾辰商店の先代の社長も買いに来てくれるお客さんの店に行ったことがなかった。だから僕は他の人がしないことをしたろと思って睡眠時間を削ってお客さんの店に飲みに行ったんです。そしたらみんな「今まで店に来てくれるような仲卸の人はいなかった」と大喜びで、「1時起きなのにこんな遅くまで飲んでていいの?」と言いながらとてもサービスしてくれるし、1回飲みに行ったらその後も絶対うちに魚を買いに来てくれるんです。これは売り上げも上がるしおもしろいと、その後もお客さんの店に通い続けました。
そしたらどこでも、築地の魚屋がこんな時間に店におる、めずらしい、しかもめっちゃ元気やいうて、いろんな人がいろんなおもしろい人を紹介してくれて、その人たちと一緒に全国各地のいろんな漁場に行くようになったり、こんなイベントできないかなという相談を受けて、焼肉屋を借りきってさんまパーティーやったりライブハウスを借りきってポン酢のリリースパーティーやったりするようになりました。そうやって仕事しながら遊んでたら、「俺、魚屋イケるかも」という手応えを感じるようになったんです(笑)。
──やっぱり素人がプロに追いつこうと思ったら人のやらないことをやるというのは大事ですよね。築地の世界に入ってみて感じたことは?
魚屋ってやってみたらこんなにおもしろいのに、ほかの業者は商売に対してネガティブだなという印象を受けました。その大きな原因のひとつは儲かってないから。でもそれは安く売るとか営業に行かないからで、儲からない原因は自分たちにもあったんですよね。その結果、築地の場内で働きたいという人も滅多に出てこないし、跡継ぎもいなくなる。
だから仕事を楽しんで儲かってる、めっちゃかっこいい魚屋を作ったらもっと人が集まるはずや。漁業の問題もあるけど、若い人たちが望んでやりたいと思う仕事のスタイルにせなあかんなと思うようになりました。これは今も僕がもっている不変のテーマです。そのためにいろんな業界から相場よりも少し高いギャラでおもしろい人をうちの会社に引っ張ってきています。最初に引っ張ったのは住友電工で働いていた3歳からの幼なじみです(笑)
すべての人がお客様
──魚屋のどんなところがおもしろいと思ったのですか?

印刷会社にいたときもそうなんですが、印刷会社の営業という仕事は誰でもお客さんにできるんですよね。身の回りには印刷物があふれているじゃないですか。名刺や年賀状、チラシ、冊子、写真アルバムなど、お客さんが作りたいものがあれば何でも売り込めた。それが魚屋はもっと広くて、すべての人に営業できるなと思ったんです。誰でも1日2回か3回、食事をするでしょう? 3回のうち1回でもその人の胃袋を取りに行こう、つまり魚を食べてもらおうと考えたら、日本全国で1日3億9000回のチャンスがある。そう考えたら甚大なマーケットやなと。これはおもろいしやりがいあるなと思ったわけです(笑)。
──なるほど。業種ではなく、人に何かを売り込むという行為が好きなんですね。
めっちゃかっこつけると、人を笑わせるとか楽しませるということが好き。「この魚ええでっせ」と勧めて買ってもらったお客さんがまた店に来て「あの魚おいしかった~」「でしょ~あんな高いもん買ってったらそらおいしいでっせ」みたいなやりとりが好きなんです(笑)。
<$MTPageSeparator$>法人化し、代表取締役に
──単に人にものを売り込んで買ってもらうことではなく、会話などそのプロセスが好きだということですね。河野さんは築地の仲卸店だけじゃなくてデパートにもお店を出していますが、それも仲卸店としては珍しいですよね。この経緯は?

尾辰商店に入って1年が経った頃、義父に「尾辰商店は商売としてうまくいってるのか」と聞かれました。やっぱり仲卸だけでは儲からなかったので、「普通にやってたら絶対あきませんわ」と意見を述べました。多くの消費者は高くていい魚はなかなかスーパーで買わない。でも少々高くてもいい魚を食べたいというニーズは必ずあるはずなので、例えばデパートなら売れるかもしれない。でもそういういい魚を売ってるのは都内でも2、3しかない。だからそういうところを狙って店を出した方がいいと思うと。
そうしたら義父も同意してくれて、2日後、そごうの社長と引きあわせてくれたんです。社長も最近百貨店もスーパー化してるからもっと専門店化したい、築地みたいな店構成にしたいと、向こうからぜひ出店してほしいとオファーを受けたんです。
こんな感じで1本新しい事業が見えたので、2006年、個人商店だった尾辰商店を法人化して株式会社尾辰商店にして、僕が代表取締役社長になったわけです。その後まず千葉そごうに、次いで横浜そごうに「つきすそ」という鮮魚と惣菜を販売するお店をオープンさせました。
また、去年(2013年)の11月には魚料理の店「銀座 尾辰」をオープンさせました。そもそもの開店動機は、魚を売るというのは最終的に料理してお客さんに食べさせるところまでやらないとあかんと思ってたからです。おかげさまで連日予約で埋まっていますが、水産業界はもちろん、いろんな業界・業種の人がこの店に来ていろんな話をするようになりました。つまり、最初の思惑とは別に副次的な効果として、店を作ったことで情報が集まるようになり、そのネットワークはどんどん広がっています。この場で、リフィッシュで行ういろいろな企画やこれから魚食を世界に売り込んでいくための企画が生まれることも多々あるんですよ。経営的にも、尾辰商店、つきすそ、銀座尾辰含め、全体的な売り上げは順調に伸びています。
──わずか2年で社長に、そして10年でここまでビジネスを広げられるのは驚異的ですね。サラリーマン時代の経験が生きていると思う点はありますか?
いろんな面ですごく生きてますね。例えば営業や企画をやっていたおかげで、魚屋ではなく、一般的な社会人としていろんな人と話ができるし、遊びの中から企画・提案ができて、ビジネスの話に膨らませられます。また、印刷会社ではコスト感覚をかなり厳しく叩き込まれるので、商売をする上でかなり役に立っています。
社長になるのは子どもの頃からの夢だったので、それが叶ってめちゃめちゃうれしかったし、今も厳しいことはたくさんありますが日々楽しく仕事をしています。
経営者としての仕事
──現在、尾辰商店の経営者としては日々どんな仕事をしているのですか?
経営者なので、主に次はこんなことやろう、こんな店出そうという経営方針や企画を考えたり、財務・経理的な仕事をしています。また、新規取引先の営業活動やお得意様の飲食店のメニュー開発、例えば680円でてんこ盛りの刺身定食作りたいんだけどどんな魚を使えばいいかなというようなけっこう無茶な相談を受けてます(笑)。昔は仕入れや仕分け、配達など全部やっていましたが、5、6年ほど前から若手に任せてます。
──おおまかな一日の流れを教えてください。

毎朝5時に起床して、6時に築地の店に出社。12時まで店で経理の仕事をします。その後は昼ごはんを食べて、13時頃から会議で社員から報告を受けたり、それに対しての指示を出したりします。その後はだいたいお得意様の飲食店を回って営業、顧客の新規開拓に出かけます。そして14時か15時くらいには仕事を終えて帰宅して仮眠を取ります。夕方から夜には銀座尾辰に出て、ホスト役として来店してくれたお客さんと一緒に飲みながらいろいろと話をします。盛り上がって夜中の3時くらいまで飲んでいることもあるし、銀座尾辰に行かないときは20時くらいには寝ています。
──早朝から魚の卸店の仕事で、夜は料理店でお客さんの相手とはかなりハードですね。
もちろん深夜になった翌日は何もなければ遅めに出勤したり早く上がらせてもらってますよ。
──経営者としての仕事の魅力はどんなところにありますか?
すべてのことを最終的に自分で決められるところでしょうね。その分責任も大きいですが。これまで自分の決断でたくさん失敗をしてきましたが、そこから学ぶことも多かったので、今は売り上げも上がっています。
<$MTPageSeparator$>魚を売って終わりではない
──仕事に込めている思い、あるいは経営ポリシーを教えてください。
単にお客さんに魚を売って利益を上げるだけじゃなくて、魚を買ったお客さんが最終的に笑顔になるところまでが僕らの仕事だと思っています。社員にはいつも「おもろい魚屋でいようや」と言ってます。それはお客さんを笑わせるという意味だけじゃなくて、おいしいものを食べたら誰でも思わず笑顔になりますやん。鯵ひとつとってもたくさん種類があって、季節や食べたい料理に合わせてそれならこの鯵でこんな料理がいいですよと教えてあげて、その鯵を食べるシーンごとに喜ばれ、おいしいと感じ、一緒に食卓を囲むみんなが食べながら笑えたら最高やなと。そういうところまで考えて、魚の売り方とか店の提案を考えていこうねと。それがこの世界に入ってから一貫してもっている僕の経営ポリシーですね。

また、社員によく言っていることとしては、経営者のつもりで動けということ。うちは今築地の尾辰商店で16人、百貨店のつきすそと銀座尾辰のスタッフ入れて全部で30人くらいの小さい会社です。小さい会社の経営者は何でもしなければならないし、社員一人ひとりが強くならないと組織は強くなりません。一人ひとりが売上げを上げられるようになると全体の利益も上がる。だから若手にも厳しく指導します。そうするようになってからみんなの意識も変わって徐々に売上げも上がって行ったんです。
──その辺も大企業に勤めていた経験が生きているという感じでしょうか。
確かにそうですね。あともうひとつは、何をするにしても絶対に頭を使えと言っています。機械的な作業はするな、今やっている仕事の意味を考えて、常に先を読めと。社員には考えることがおもしろいと思ってほしいし、考えるくせをつけてほしいですね。僕自身も印刷会社時代から何をするにしても考えてきましたし、そうした方が結果が出やすいので。例えばトヨタでもアップルでも一人ひとりの社員が毎日汗水たらして開発してるからこそプリウスやiPhoneといった画期的な商品を生み出すことができ、大勢のお客さんに喜んで買ってもらえて、結果莫大な利益を得られ、次の商品開発に資金を投入できるという好循環が生まれているわけです。大企業でもそうなんだから小さい会社の我々が頭使わなどうすんねんと言ってるんです。
──仕事の喜びはどんなところにありますか?
社員たちと飲みに行ってみんなで「尾辰をもっと大きくして行こうぜ! 尾辰バンザイ!」と盛り上がっているときが、経営者として一番楽しいし、うれしい瞬間ですね(笑)。

尾辰商店の社員たちと
誰といても仕事
──休日はどんな過ごし方をしているのですか?
決まった休日となると日曜日ですね。基本的に誰かと会ったり遊んだりしているのですが、どこかで仕事とつながってますね。誰とおっても仕事ですから。仕事とは直接関係ない友達と飲んで話してるうちに仕事につながることもたくさんあります。常に頭のどこかで尾辰商店の経営やリフィッシュのことを考えていて、それを考えてるときが楽しいんです。いろんな新しい人と出会って、「これやろうぜ、あれやろうぜ、乾杯!」と言ってるときが至上の喜びです(笑)。

リフィッシュのメンバーたちと
──ではプライベートと仕事の境目はないという感じですね。
そうですね。そもそも僕には趣味がないし、仕事が趣味みたいなもんです(笑)。
──家族に対する思いは?

現在妻と娘との3人暮らしですが、僕の人生の価値観では、家族も仕事と同じくらい大切。家族に対する責任をもつということが好きなんです。父親は家族のために金を稼がないとあかんというのは当然のことだと思うので。でもまだみんなを満足させられるほどは稼げてはないのでこれからもっと稼がなあかんと思ってますけどね。
──そういう生き方、働き方でストレスを感じるときはないですか?
基本的にないですね。あるとすれば自分の器が小さいこと。もっとデカい器になりたい。例えばある人から今度こういうことを一緒にしようと言われたときに、それおもろい!やりたい!て思っても、そのためのお金が足りなかったり人材不足とかで今すぐにはできないということが結構あるんです。今、僕らは初期的な成長途上なので、まだまだ小さいなあ、早くやりたいことがすぐにできるようにもっと大きくなりたいなあと思ってます。
──では35歳のとき、思い切って印刷業界から魚の世界に入ってよかったと思っていますか?
そら思ってますよ。でも僕自身、今は築地の鮮魚卸売の経営者という肩書はもっていますが、その肩書だけにとどまらない、リフィッシュ含めいろんな活動ができるし、これからも、今広がっているネットワークを利用していろんなことができる可能性がある。僕の役割って魚屋の社長以上におもしろいと思っているし、まだまだその枠を超えたことがたくさんできると思っています。だから社員にも、魚屋だからここまででええと思うな、魚屋の枠を超えて魚屋でもここまでできるんだというくらいになれとよく言ってるんです。

──今後の目標を教えてください。
直近の目標は尾辰商店を年商100億の店にすること。今、築地には700の仲卸店があって、そのうちの300社が黒字だといわれています。100億売ればトップ10には入れると思うのでそこを目指しています。そして先ほどお話した魚食というソフトウェアを海外に売り込み、世界を席巻することですね(※インタビュー前編参照)。この野望はどんなに時間がかかっても将来絶対に実現してみせます(笑)。