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2018.02.14  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

ロボットづくりのこだわり

──ロボットはいつもどうやって作っているのですか?

吉藤健太朗-近影3

基本的にコンセプトづくりからプロトタイプ制作までを1人でやっています。その理由はみんなで作ると新しい物が生まれないからです。新しい物というのは、みんなにまだ理解されていない物なんですよ。例えば、私が「こんな物を作りたい」と言うと、必ず社員たちからは「そのよさがわからない」という反応が返ってきます。それは逆もしかりで、私も他人がいいと言った物に対してどこがいいんだと思う。

自分が「ものすごくいいぞ」と思った物は間違いなく新しい物なんですが、それを他の人から「ここをこうすればいいんじゃない?」とアドバイスされて、「わかった、やってみよう」と変えていって、理解されうるものになっていくにつれ、新しさがどんどん減っていくんですよね。これでは絶対に世の中を変えるような尖ったものは生まれません。

だから新しい物をみんなで作ることは絶対に不可能で、みんなに理解される物はすでに世の中にあると考えていい。自分が本当にいいと思った新しい物を実現できるのは自分しかいないと思った方がいい。だから基本的に新しいロボット開発は1人でやってるんです。


──では新製品の企画会議みたいな物はやらないんですか?

もちろんやりません。それをやっても通らないので。基本的に大企業もベンチャーも同じで、新しい物、理解されていない物は会議なんかやっても通らないに決まってるんですよ。会議に通るなんて思ってる方が間違いです。


──ではどのように製品化するのですか?

大学時代、OriHimeの構想が浮かんだ時、教授や周りの人にいくら話しても理解されなかったのですが、実際に作って形にして見せると、「ああ、なるほどこういうことね」と理解してもらえました。この経験から、まず自分がこれはいいと思った物は自分のポケットマネーで勝手にプロトタイプを作るんです。そしてユーザーに使ってもらい、その感想を元に改良を重ね、使えるとなったら商品化するという流れですね。

自費で制作したロボットで優勝

──具体的な事例を教えてください。

吉藤健太朗-近影4

例えば今から4年前(2013年)に「みんなの夢アワード」というビジネスコンテストに出場したことがあります。順調に審査を通って、決勝ステージの7人に残って日本武道館で1万人の前でプレゼンできることに。こんな機会はそうそうないから、新しく2足歩行のOriHimeを1体作って、ALSの患者さんに目だけで動かしてもらって、1万人の観衆の前で挨拶してもらおうと考えました。これが実現できたら時代が変わるぞと奮えましたね。これなら優勝して賞金2000万を手にいれることができると確信したので、この時に初めて一緒に創業した結城と椎葉の2人に「みんなの夢アワード」の決勝に残ったことを伝え、ついては「新しい二足歩行のOriHimeの開発費として60万円を使いたい!」と言いました。

2人は決勝に残ったこと自体は喜んでくれたのですが、「どうして二足歩行をさせる必要があるのか。今あるOriHimeでは勝てない理由はなんだ?」「それを作ったことによる勝率の変化は何%なんだ?」と問い詰められて。そんなことわかるわけがないじゃないですか。そして、「そもそもそんな金、どこにあるんだ」と却下されてしまいました。

でも私はどうしてもやりたかったので、2人には内緒で、自分のお金と時間を使って作ることにしました。日々の業務時間外に、土日も使って、インターンたちも協力してくれて3ヵ月で完成。その頃には預金残高が4000円くらいになっていました。

「みんなの夢アワード」で優勝。見事2000万円を獲得

「みんなの夢アワード」で優勝。見事2000万円を獲得

本番では不具合も発生して焦りましたが、結果的には大成功、優勝して2000万円を獲得できたんです。この結果には当初反対していた2人も喜んでくれましたが、「会社に2000万円入れたんだから、制作費の60万円を返してくれないか」と言ったらまたしても却下され回収できませんでした(笑)。余談ですが、当時はまだ会社を立ち上げたばかりで、社員が私を含めてその2人しかいなくて、お金がなかったんです。でもその2000万で2人にも給料が払えたし、オフィスも構え、社員も1人増やすことができました。その時にわかったんですよ。これはいいと思ったものは1人でもやる価値はあるよと。

OriHime eyeの開発

もう1つ、1人で開発したのがOriHime eyeという製品です。そもそもは2013年3月、友人からOriHimeを使わせたい人がいると紹介されて、YさんというALS患者さんと知り合いました。ALSとは徐々に筋肉の萎縮と筋力低下が進行し、発症から3~5年で身体がほぼ一切動かせなくなって寝たきりになる筋萎縮性側索硬化症という難病。最後は自分で呼吸ができなくなり、人口呼吸器をつけないと死んでしまいます。今の日本の法律では呼吸器は1回つけたら外せないこともあり、約7割のALS患者さんがすごく葛藤し、悩んだ末に呼吸器をつけないで死を選んでいます。

当時はALSという病気自体、あまり知られなかったし、こんな病気があるんだと衝撃を受けました。OriHimeを提供すると本人もご家族も喜んで使ってくれて、お花見やバーベキューなどにOriHimeで参加してくれました。その過程で、眼球の動きだけでOriHimeの首を左右に動かせるシステムも開発しました。その後も頻繁にYさんの元に通い、実際に使ってもらいながら改良を重ねました。YさんのおかげでOriHimeをさらに進化させることができたのです。でも病気が進行し、いよいよ呼吸器をつけるかどうかの選択を迫られた時、Yさんは呼吸器をつけない方、つまり死を選択しました。

吉藤健太朗-近影5

Yさんが亡くなった後、一緒に開発していたメンバーはそれぞれ自分の仕事に戻っていきましたが、「眼球の動きだけでもう1つの身体を動かす」というコンセプトは私の個人的な研究として継続することにしました。もし目の動きだけでできることがもっと増えれば、Yさんは呼吸器をつける選択をしたかもしれないと思ったし、身体を動かせないことで生きることを選択しないということは、私の解決したい孤独問題そのものでもあったからです。

我々健常者は生きるか死ぬか選べと言われたら当然生きる方を選びますよね。でも、ALS患者は簡単には選べない。なぜならば眼球くらいしか動かなくなって、自分がしたいことができなくなるから。だったら眼球の動きだけでできることを増やせばいい。もし、それが可能となるツールを開発することによって、ALSの患者さんがまだまだ私はできることがあると感じたり、お金を稼げて人や社会の役に立てると思えれば、生きる希望を感じて呼吸器をつける選択をするかもしれない。そういう思いで1人でも開発をしようと決意したのです。

それから研究のため、ALS患者でOriHimeユーザーの藤澤義之さん(元メリルリンチ日本証券会長)のご自宅に、毎月1人で通うことにしました。その時、毎回必ず新しい物を作って持っていって、使っている反応を見て、ここをこうすればいいんじゃないかなと思ったらそのまま近くのカフェに行ってプログラムを作成。2日後には完成させてご自宅に持って行って「どうですか?」と感想を聞いて、それを元にまた作る。これをひたすら繰り返しました。

藤澤さんの元に通い続けOriHime eyeを開発した吉藤さん

藤澤さんの元に通い続けOriHime eyeを開発した吉藤さん

そして2015年9月、目の動きだけで文字を入力できる「デジタル透明文字盤」(OriHime eye)を発明することができたのです。その後も藤澤さんはOriHimeを通して私にアドバイスをしてくださるようになり、オリィ研究所の顧問を務めていただいています。

目の動きだけで文字入力が可能なOriHime eyeを開発

ALSの患者がOriHime eyeを使用して描いた絵。とても目の動きだけで描いたとは思えない
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ALSの患者がOriHime eyeを使用して描いた絵。とても目の動きだけで描いたとは思えない

このOriHime eyeを他のALSの患者さんに使っていただいて、このおかげで呼吸器をつける、つまり生きる選択をしましたという声をいただいた時はすごくうれしかったですね。今ではOriHime eyeを使って、目の動きだけで絵を描いている人やDJをしている人もいるんですよ。しかもすごく上手なんです。ALSという難病のために目しか動かせない身体になっても、こんなふうに働ける、社会参画できることを自ら証明することで、多くの難病患者に希望を与える人たちが少しずつ増えているんです。


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吉藤健太朗(よしふじ・けんたろう)

吉藤健太朗(よしふじ・けんたろう)
1987年奈良県生まれ。ロボットコミュニケーター/株式会社オリィ研究所代表取締役所長

小学5年生から中学2年生までの3年半、学校に行けなくなり自宅に引きこもる。奈良県立王寺工業高等学校で電動車椅子の新機構の開発を行い、国内の科学技術フェアJSECに出場し、文部科学大臣賞を受賞。その後世界最大の科学大会Intel ISEFにてGrand Award 3rdを受賞。高校卒業後、詫間電波工業高等専門学校に編入し人工知能の研究を行うも10ヵ月で中退。その後、早稲田大学創造理工学部に入学。2009年から孤独の解消を目的とした分身ロボットの研究開発に専念。2011年、分身ロボットOriHime完成。2012年、株式会社オリィ研究所を設立。青年版国民栄誉賞「人間力大賞」、スタンフォード大学E-bootCamp日本代表、ほかAERA「日本を突破する100人」、米国フォーブス誌「30Under 30 2016 ASIA」などに選ばれ、各界から注目を集めている。2018年、デジタルハリウッド大学大学院の特任教授に就任。本業以外でも19歳のとき奈良文化折紙会を設立。折り紙を通じて地域のつながりを生み出し、奈良から折り紙文化を発信。著作『「孤独」は消せる。』(サンマーク出版)にはその半生やOriHime制作秘話、孤独の解消に懸ける思いなどが詳しく書かれてある。

初出日:2018.02.14 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの