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2018.02.07  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

人工知能の研究を開始

──高校卒業後はどうしたのですか?

高専時代の吉藤さん。「黒い白衣」はこの頃に開発

高専時代の吉藤さん。「黒い白衣」はこの頃に開発

当時、「愛・地球博」が開催されて、会話ができる人工知能ロボットが注目されました。それを見て、私が引きこもっていた苦しい時期を思い出し、「もしあの時、話し相手になってくれる友達のようなロボットが部屋にいてくれたら、あんなに孤独に苦しまなくてよかったのではないか」と思いました。それで人工知能を研究をしようと、香川県の詫間電波高専の情報工学科に4年生時から編入。人工知能の研究に夢中になり、毎日アルゴリズムの仮説とプログラミングに没頭しました。

しかしそんなある日、授業で先生が話したことに強烈な違和感を覚えました。「人工知能は人のよきパートナーになり、人を愛し、慰め、癒やす。それにより癒された人間は幸せだ」という話だったのですが、確かに人を癒やすロボットは実在するけど、それが本当にベストな状態なのだろうかと疑問を抱いたんです。それで改めて自分の経験から孤独や癒やしとは何かについて考えました。孤独とは「自分は一人ぼっちでつらい」と自分が思ってしまう状態です。それが解消されるのは、人がすごく苦手で嫌いという状態から脱却して、自分を肯定することができる状態になることだと思いました。つまり「自分が必要とされていない人間であるという状態」から脱出するというのが私の考える孤独を解消する方法です。

吉藤健太朗-近影3

そう考えて自分の過去を振り返った時、つらい孤独から救ってくれたのは家族、友人、先生などの"人"だった。確かに人工知能は人の生活を便利にはするだろうけど、人の孤独は癒せないのではないか。それができるのは人しかない。人工知能で都合のいい新しい友達を作るのではなく、人と人のつながりこそが孤独の解消に繋がるのではないかと思ったのです。

このまま人工知能の研究を続けるか、孤独を癒せる人と人とをつなぐ新しいシステムを開発するかですごく悩みました。でも最終的には、「何のために生まれてきたか」「残りの人生で何をしたいか」に立ち返った時、あくまでも私がしたいのは孤独の解消なので、後者を選んだのです。ちょうどその頃、JSECで知り合った方からロボット工学で有名な早稲田大学への入学を勧められたので、詫間高専は10ヶ月ほどで中退し、早稲田大学創造理工学部総合機械工学科に入学しました。

コミュ障克服大作戦

当時、私はまだ人とのコミュニケーションが苦手でした。でも孤独の解消には人と人の繋がりしかないと確信している人間がいわゆる"コミュ障"というのでは話になりません。そこで何とかコミュ障を克服しようとサークルに入りまくり、人と接する機会を増やしました。しかし、自分からうまく話しかけることができず、会話も続かない。人の気持ちも、その場の空気の読み方も、何を言ったらダメかも、社交性とは何かも、すべてわからなかった。だから飲み会に参加しても全然おもしろくないし、雑談してもちっとも楽しくない。

ちなみに、その時に入ったあるサークルで新入生全員にあだ名をつけていたのですが、当時、ハンカチ王子が大ブレイクしていたのと、折り紙が得意だったので「オリガミ王子」というあだ名をつけられそうになりました。それは嫌だったので拒否すると、「オリガミ王子」を縮めて、「オリィ」になったんです。以来私の愛称になり、現在の会社名にまでなっています。

吉藤さん作のオリジナル折り紙。引きこもり時代に磨いた折り紙の腕がコミュ障克服に大いに役に立った

吉藤さん作のオリジナル折り紙。引きこもり時代に磨いた折り紙の腕がコミュ障克服に大いに役に立った

話を元に戻すと、このままコミュ障ではまずいと思ってどうすればいいかいろいろ考えました。知らない人に自分からは話しかけられないけど、話しかけてもらったら、話せる。そこで、話しかけてもらえるようなツッコミどころを用意しておこうと考えました。高専時代に「黒い白衣」を作ったのですが、肩に穴を開けたり、折り紙や傘やノートPCが入るポケットをたくさんつけるなどしてカスタマイズして、パーティーなどに着て行くことにしたんです。すると思惑通り、出席者が「その服、変わってますよね」「なんで肩のところに穴が空いてるんですか?」と話しかけてくれました。それをきっかけに得意の折り紙を披露するなどして、自然と相手から話しかけられる状況を作ったんです。つまり、自分から話しかけられないから考案したのが、全力で待ち受けるというスタイル。こういうことを繰り返していくうちに、大学3年生くらいからコミュニケーションが苦手ではなくなったんです。

孤独を解消するツールの考案

──大学で孤独を解消する新しいツールはどうやって考案したのですか?

私はずっと、自身の経験からどうして身体は1つしかないんだろうと疑問に思っていました。1つしかないから私は学校に行けなかったし、難病にかかっている人や生まれつき身体が不自由な人も大きなハンデを負ってしまっているんですよね。でも多くの人はそんなことは当たり前だ、常識だろうと言うでしょう。でも私はどうしてそれが当たり前なんだろうと思うんですよ。考えてもみてください。今、常識になっていることでもひと昔前は常識ではありませんでした。例えば今、飛行機で移動することは当たり前になっていますが、100年前は人が空を飛べるなんて誰も思っていなかった。飛べないことが常識だったわけです。

そう考えるとこれまで常識だと思っていることはいくらでも変えられるんですよね。ゆえに、身体が1つしかないというのだって、人類としていまだかつて実現していないだけで、たぶんこの先、身体を複数持つことが可能だと思うんです。

吉藤健太朗-近影4

少なくとも自分の身体はその場所に運べないけれど、その場の情報が見られて、そこにいる人たちの話が聞けて、自分からも喋れる。そして、その場にいる人たちもその人が身体はなくてもそこの場に確かにいると感じる。この2つのインタラクティブな状況をちゃんと作ることができれば、その人はその場に実在することになるのではないか、身体を運べないのであれば心を運ぶことによって通学・通勤ができるじゃないかと考えたわけです。つまり、私は自分の身体は自分の意思を実行するためのツールであって、身体は心を運ぶための乗り物だと考えたんですね。だとすると、それを身体以外の何かに拡張することによって、心の行ける場所を増やすことは十分可能だなと。

そう考えた時、もう1つ重要な要素があります。私が引きこもっていた時期、学校に行けなかった理由は生身の人間と直接対面して会話するのが恐かったからです。そんな私でもオンラインゲームでキャラクターというアバターを通してなら普通に会話できた。私はこれを「対人クッション効果」と呼んでいます。さらに長く引きこもりが続くと、家から出るということがものすごく高いハードルになります。でもアバターを使えば家から出ることなく、その世界に没入できる。つまり、心の移動が可能になるんですよ。

この実体験からリアルな世界で使えるアバターを作ろうと考えました。つまり、同じロボットでも人工知能じゃなくて、人と人のつながりを感じるシステムを考えた時、離れた場所からでも遠隔操作で人と会話でき、周りの人もその場にその人がいると感じられる人型のロボットが孤独の解消には最適だという結論に達したのです。どこでもネットが使えて、しかも高速に情報をやり取りできる現代なら、自分の分身をインターネットを接続したロボットという形で作ることは可能だろうと考えました。

つまり私はロボットが作りたかったわけではなくて、ほしかったもう1つの身体を体現したものがたまたまロボットだったというだけなんですよ。バイオテクノロジーなど、インターネット以外の謎の技術によって意識の転送や脳の移植が可能なのであれば、そちらに行っていたでしょうね。

本格的にロボットの研究開発を開始

──リアルアバターとしてのロボットを作る場合、重視した点は?

大学時代。ロボットを開発中の吉藤さん(左)

大学時代。ロボットを開発中の吉藤さん(左)

ロボットという、いかに人ではないものを人だと感じさせるかが重要なので、まずは自分の身体を自由に制御する訓練をした方がいいと思いました。その技術を習得するため、パントマイムサークルや演劇サークルに入って身体表現を学びました。これは後にロボットの造形や動きを作る上でとても役に立ちました。

3年生になった時、このような分身ロボットが作れそうな研究室に入ろうと思っていろんな研究室を見て回ったのですが、入りたい研究室はありませんでした。どの研究室の教授も研究開発しているのは福祉機器として有効だと言っているのですが、研究の前に実際に車椅子を使う高齢者の人の声を聞くというプロセスを全く踏んでいなかった。つまり自分たちの作ったものが実際にどう使われるかという視点が完全に欠落していて、研究のための研究になっていた。私はそれを高校時代にすでに経験して世界3位の賞を獲得したのですが、それでも製品化できなかった。いくらハイテクな車椅子を作って高齢者の方のところに持っていっても、彼らが欲していたのはもっと違うものだった。それを実際に体験していたので研究のための研究はもうやらなくてもいいかなと思ったんです。

吉藤健太朗-近影5

私がしたかったのは、用途から入る研究。要はどういうものを作ればユーザーの生活を変えられるかというところからものづくりがしたいとずっと思っていたんです。そういう思いを研究室の教授に話したら、「君がやりたいのは研究じゃなくてものづくりだ。ものづくりは研究がわかってからやるべき。博士まで進んだら好きな研究・ものづくりができるから、それまでは基礎の勉強をしなさい」と言われたんですね。そうなると28歳まで学生をしなきゃいけない。私には13年しかないからとても無理だなと思ったんです。

それで大学で実用的な研究ができる研究室がないのなら、自分で作ろうと思い、2009年に当時住んでいた6畳一間の自分の部屋を勝手に「オリィ研究室」と名付けて、遠隔人型分身コミュニケーションロボットの開発を本格的に始めたのです。


インタビュー第3回はこちら

吉藤健太朗(よしふじ・けんたろう)

吉藤健太朗(よしふじ・けんたろう)
1987年奈良県生まれ。ロボットコミュニケーター/株式会社オリィ研究所代表取締役所長

小学5年生から中学2年生までの3年半、学校に行けなくなり自宅に引きこもる。奈良県立王寺工業高等学校で電動車椅子の新機構の開発を行い、国内の科学技術フェアJSECに出場し、文部科学大臣賞を受賞。その後世界最大の科学大会Intel ISEFにてGrand Award 3rdを受賞。高校卒業後、詫間電波工業高等専門学校に編入し人工知能の研究を行うも10ヵ月で中退。その後、早稲田大学創造理工学部に入学。2009年から孤独の解消を目的とした分身ロボットの研究開発に専念。2011年、分身ロボットOriHime完成。2012年、株式会社オリィ研究所を設立。青年版国民栄誉賞「人間力大賞」、スタンフォード大学E-bootCamp日本代表、ほかAERA「日本を突破する100人」、米国フォーブス誌「30Under 30 2016 ASIA」などに選ばれ、各界から注目を集めている。2018年、デジタルハリウッド大学大学院の特任教授に就任。本業以外でも19歳のとき奈良文化折紙会を設立。折り紙を通じて地域のつながりを生み出し、奈良から折り紙文化を発信。著作『「孤独」は消せる。』(サンマーク出版)にはその半生やOriHime制作秘話、孤独の解消に懸ける思いなどが詳しく書かれてある。

初出日:2018.02.07 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの