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2017.11.06  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

ビジネスコンテストで入選し起業

──それでキズキを立ち上げたのですか?

安田祐輔-近影3

いえ、まだです。自分でやるしかないとはいえ、食うために僕がもってるスキルはほとんどない。商社も4ヵ月で辞めてるわけですし。いろいろ考えて英語ぐらいしかないなと思い、「留学経験なしで英語を身に着けた元商社マンが教える」というキャッチコピーでマンツーマンの英語の塾・家庭教師を始めたんです。商社に4ヵ月しかいなかったのに(笑)。それでチラシを1000枚くらい刷って大型マンションのポストに入れまくったら何件か申し込みがあって、英語を教えることでなんとか食えるようになったんです。当時、生徒は4人で月収15万くらいだったのでギリギリの生活。当時は食っていくのに必死でしたね。

でもやりながら、「本当に英語塾をやりたかったわけじゃないよな、自分が正しいと思うことをやらなきゃ」と思っていました。そんなある日、当時の政権の内閣府が社会起業をしたい人に対して支援金を出すというコンテストを見つけました。これだ! と思い、事業計画書を作成してコンテストに応募してプレゼンしたら、運良く入選。他のビジネスコンテストの賞金も合わせると合計で190万くらいもらえたんです。その時書いた事業内容が、今運営している高校中退者やひきこもり専門の塾だったんです。


──なぜその時、そのような塾をやろうと思ったのですか?

ビジネスコンテストに応募するため、どういう事業をやるべきかと考えた時、バングラデシュで「人の尊厳を守るような仕事がしたい」と思ったことを思い出したんです。でも当時はビジネス経験がなかったので具体的にどうすればいいんだろうと悩み、結局就職しました。僕のもつスキルは人に勉強を教えることぐらいしかしかない。でも勉強を教える「だけ」であれば、本当にやりたいことではないし、人の尊厳を守るような仕事でもない......。

悩んでいたある日、ふと自分の人生を振り返ってみたら、高3で大学に行こうと思った時に本当に困ったことを思い出したんです。大手の予備校に通おうと思っても、当時不良で金髪にしてたりして派手な見た目のせいで入塾を断れられたこともあったし、体験授業を受けても中1から勉強してないから講師が何言ってるのか全然理解できないんですよ。

安田祐輔-近影4

さらに僕が授業を理解できていないということが隣に座っている子にはバレてるはずなんです。それがすごく恥ずかしかった。これらの経験で、勉強をやり直すってのはゼロから教えてもらわないといけないし、かつ人の目も気になるから大変だなと痛感したんです。

そんなことを思い出した時、僕のような学校に行ってなくて教育機会がなかった子に勉強を教える塾にはもしかしたらニーズがあるかもと思ったんです。今でこそそういう塾はありますが、当時はほとんどなかったので。

前にもお話した仕事の3つのこだわりを満たして、なおかつ食えると思ったので、不登校やひきこもり専門の塾の事業プランを書いて応募したんです。そして、その賞金を元手に2011年に起業して、始めたのが「キズキ共育塾」というわけです。

起業後の苦労

──最初から経営は順調だったのですか?

いえ、立ち上げてから1年間は生徒が1、2人しか来なくてどうしようと思っていました。


──生徒が増えたきっかけは?

1つはWebマーケティングです。最初は当社のWebサイトは適当で、むしろいろいろなところにチラシをまくことを中心に行っていたのですが、生徒数が全然増えない。そこで、ひきこもりの方にはWebでアプローチするしかないと思いました。それで取りあえずやってみようと、Webのことを勉強してひきこもりにリーチするようにしっかり作ったら、問い合わせが増えた。それが最初のきっかけです。

キズキのWebサイトには魅力的なコンテンツが多数アップされている

キズキのWebサイトには魅力的なコンテンツが多数アップされている

もう1つはPRです。立ち上げ当初は僕自身も教えていましたが、僕以外にも3、4人の大学生インターン生がいました。その子たちに「大学生たちで塾を作りました」と在京の新聞社に電話を掛けてもらったのです。スタッフは、僕1人、大学生3、4人なので、嘘ではないし、「大学生がひきこもり支援をしている塾」は新聞社としても魅力的なネタだろうと思って。そしたら思惑通り、毎日新聞と産経新聞が取材に来て記事を掲載してくれて、それから一気に入塾者が増えたんです。生徒が増えると彼らのニーズがより詳細にわかるので、それをWebサイトに反映させたらさらに入塾者が増えるという好循環で今に至っています。


──安田さん自身が不登校やひきこもりの子の気持ちがわかるとはいえ、実際にそういう子たちに勉強を教えた経験はなかったわけですよね。最初からうまく接することができたのですか?

講師をしていた頃の安田さん

講師をしていた頃の安田さん

僕もいきなり教えるのは無理だったし、始めの頃は手探り状態だったのでたくさん失敗をしました。

でも試行錯誤を繰り返すうちに、不登校・中退の方の支援って一般企業の営業職と似ているということがわかってきました。ごく一部ではありますが、いわゆる「先生」って、生徒の気持ちに寄り添わずに上からものを言う方もいらっしゃるじゃないですか。でも一般企業の営業職って自社の製品やサービスを売りに行く時、相手は何を望んでいるんだろうな、どうやったら相手の望みをかなえてあげられるかなと考えながら話しますよね。不登校・中退の方の支援も同じで、相手の心に寄り添ってコミュニケーションを取ればいいということに気づいたんです。そういう意味ではうちの塾の講師は、教育経験の有無はあんまり関係ないんですよね。実際、うちの講師は教員だった方・教員を目指されている方もいれば、全く関係のない前職・専攻の方もいます。

また、採用した講師がひきこもりの生徒にうまく接したり教えたりできなくてクレームがバンバン来た時期もありました。だから講師のクオリティを上げるために採用の仕方を変えたり、研修も取り入れました。3、4年目くらいからですかね、いい感じで回り始めたのは。その後、生徒数は順調に増えて、現在は代々木、秋葉原、大阪の3つの教室で約250人が学んでいます。11月には池袋に教室を増やす予定です。


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安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)

安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)
1983年神奈川県生まれ。キズキ代表

藤沢市の高校を卒業後、二浪してICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科入学。在学中にイスラエル人とパレスチナ人を招いて平和会議を主催。長期休みのたびにバングラデシュに通い、娼婦や貧困層の人々と交流を重ねることで、人間の尊厳を守る職に就きたいと決意。卒業後は商社に4ヵ月勤務したがうつ病で退職。1年のひきこもり生活を経て、2011年キズキを設立。代表として不登校・高校中退経験者を対象とした大学受験塾の運営、大手専門学校グループと提携した中退予防事業などを行なっている。

初出日:2017.11.06 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの