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2017.07.18  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

飛び上がって喜ぶ

──幾多の困難を乗り越え、ついに夢が叶ったわけですね。合格した時の気持ちは?

白川優子-近影1

国境なき医師団の面接試験に合格するのはかなり自信があったのでその結果を知った時よりも、国境なき医師団のTシャツが郵送で届いた時が一番うれしかったですね。国境なき医師団のロゴがプリントされたTシャツに袖を通した瞬間、体中に電流が走ったような感動と喜びで自分の部屋で叫びながら飛び上がりました。これまでの人生でこんなにうれしいことはないといってもいいくらいで、すぐ外に出て母に写真を撮ってもらいました。この時のうれしさはいまだに昨日のことのように思い出すことができます。まさに長年の夢が叶った瞬間でした。


──初めて国境なき医師団の看護師として派遣された時はどうでしたか?

初めての派遣はその4ヵ月後の8月、スリランカでした。実は派遣の要請は登録後すぐ来たんですが、当時のスリランカはビザの取得に3ヵ月以上かかっていたので少し間が空きました。

初回派遣なので行く前からどんな世界なんだろうと好奇心で胸を膨らませていました。任期は当初は6ヵ月の予定だったのですが8ヵ月に延長。その間、手術室の機材の片づけや洗浄、オペ後の掃除、リネンの消毒・洗濯などを担当する看護助手のサポートを中心に、病棟では衛生管理の改善指導、さらに薬剤・物資の管理まで行いました。初回なので最初は戸惑う場面もありましたが、こういう世界に私は足を踏み入れたんだなと思うと同時に、本当にこの道を選んでよかった、この先も続けられると思いました。

2010年、初めての派遣先となったスリランカにて。チームのメンバーとも楽しく過ごすことができた(©MSF)

2010年、初めての派遣先となったスリランカにて。チームのメンバーとも楽しく過ごすことができた(©MSF)

1番よかったのは新しい自分を発見できたことです。長年夢見ていた国境なき医師団で実際に活動できたことで、何でもやればできると自信がつき、私自身が大好きになりました。語学の壁にぶつかった時、あきらめなくて本当によかったと思いましたね。

先ほどもお話しましたが、スリランカの時は、オーストラリアの病院のお言葉に甘えて籍を残したまま参加していました。でも派遣中、やっぱりこれからも国境なき医師団で活動を続けていきたいと思い、病院に正式に辞意を伝えました。それから7年間で14回、主に紛争地で医療活動に従事しています。

2016年イラクにて。国境なき医師団の同僚たちと一緒に(©MSF)

2016年イラクにて。国境なき医師団の同僚たちと一緒に(©MSF)

白川優子(しらかわ ゆうこ)

白川優子(しらかわ ゆうこ)
1973年埼玉県生まれ。国境なき医師団・看護師

7歳の時にテレビで観た国境なき医師団に尊敬を抱く。高校卒業後、4年制(当時)の坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学。卒業後、埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として働く。2003年、オーストラリアに留学し、2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部入学。卒業後は約4年間、オーストラリア・メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年、国境なき医師団に参加し、イエメン、シリア、パレスチナ、イラク、南スーダンなどの紛争地に派遣。またネパール大地震の緊急支援にも参加。2010年8月から2017年7月までの派遣歴は通算14回を誇る。

初出日:2017.07.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの