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2017.07.03  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

大きなショックを受けた2016年・ガザ

──白川さんは国境なき医師団の看護師として7年間で14回も派遣されているわけですが、これまでで一番印象に残っている出来事を教えてください。

白川優子-近影1

どこも過酷な現場なので派遣先それぞれに忘れられない思い出はあります。ただ、紛争地ではないけれど、世の中でこんなことがあっていいのかというほどに非人道的なことが行われている地もあります。例えば去年(2016年)パレスチナのガザ地区に初めて行きました。当時は戦闘状態ではありませんでしたが、爆撃機や戦闘機は常に上空を飛んでいて時々空爆が起こります。それだけでももちろん恐怖ではありますが、町の人たちは慣れてしまっていてまるで何事もないかのような生活を送っています。180万人ものパレスチナ人を四方から完全に閉じ込めてしまっているエリアで起こっているこの現実を見て、とても大きなショックを受けました。

ガザ地区での任期は4ヵ月間だったのですが、その短い時間でも閉鎖された地域にいることにものすごい閉塞感を感じて精神的に支障をきたしそうになりました。私は任期が終われば出られますが、そこに暮らす人々は出られません。数年おきに激しい戦闘があり、たくさんのミサイルや爆弾が飛んでくるにもかかわらず、四方を囲まれているためどこにも逃げ場なんかない。その恐怖とストレスたるや想像を絶するものがあります。

戦闘のたびに町中がめちゃめちゃに破壊されていますが、直近の2014年の紛争で破壊された建物やインフラはまだ全然復旧されていません。発電所が破壊されると上下水の処理もできないので、シャワーの水も口に入るとしょっぱかったり苦かったり、髪の毛もボロボロになりました。ここにいる人たちはそんなひどい状態の中で何十年も生活を余儀なくされています。普段は明るい人々ですが、みんなが深い悲しみと絶望を抱えていることが、少し接するだけでも明白にわかりました。

ガザ赴任初日。現地の人も普段は笑顔を見せているのだが...(©MSF)

ガザでは2つのクリニックの看護部長の役割で、合わせて50人ほどの現地スタッフを指導・育成していたのですが、深く関わる彼らや患者さんはじめ、道端で知り合ったおじさん、おばさん、子どもたち、みんながみんな紛争で家族・友人を亡くして悲しい思いをしていたり、自分たちはいったいいつここから出られるんだという閉塞感を抱えて暮らしていています。

特に若者たちが不憫でした。高い教育が受けられる大学があるにもかかわらず、そんな大学を出ても就職先がなく、当然占領区域の外にも出られません。だから若者たちがよくイスラエルに対して抗議デモをするんですが、そのたびにイスラエル軍に銃で撃たれるんです。そういった若者たちをクリニックに収容して治療やケアするのですが、病院から送り出した後にまたデモに参加して撃たれてクリニックに戻ってくる。そんなことを3回も繰り返している若者も実際にいました。

もちろんこういったパレスチナ問題はニュースなどで知ってはいましたし、何十年も前から起こっていることではあります。しかし、実際にガザに行って2016年のこの時代にいまだにこんなことが続いていて、占領区域内から届かない叫び声を上げ続けている人たちがいるという世界を見てしまったときに、今までの紛争地で感じたこととは違う重いものを抱えてしまいました。それはいまだに胸の奥に感じ続けています。

大きなジレンマ

──患者を治しても治してもまた撃たれて病院に戻ってくることに無力感に襲われたりはしないのですか?

2012年イエメンでの手術の様子(©MSF)

2012年イエメンでの手術の様子(©MSF)

手術室看護師として、国境なき医師団から派遣される先が紛争地ばっかりだったわけですが、やっぱり治しても治しても患者は来る。治している最中にも空爆や銃撃の音が聞こえる。こういう経験を重ねるうちに、こういう絶対に許されないことを止めるには、その根本的原因である紛争を止めなくてはいけないと考えるようになりました。そのためにはやはり看護師ではなくてジャーナリストのように、こういう非人道的なことが行われているという現状を世界に伝えなくてはいけないなというところに行き着いてしまったことは確かにあります。自分が国境なき医師団の看護師として従事している医療活動は紛争を止めるための根本的な解決にはつながっていないということにすごいジレンマを感じた時期もありました。

白川優子-近影2

この思いはいまだにあり、現場で見てきたことを伝えることはすごく大事だとは思います。だからこういう取材や講演で伝えてるわけです。もちろん私たちの使命は現地で傷ついた人を治療したり医療スタッフを育成したりすることですが、国境なき医師団には、世界で起きている人道危機について証言するという事も使命の1つにしていますので、私が現地で見てきたものを世に伝えることも大事な任務の1つだと思っています。戦争や紛争を止めたいというのが一番の思いではありますが、でも伝えることで本当に争いが止まるかといったらわからない。その辺で確かに無力感に襲われることもありますが、発信して知ってもらわないことには始まらないなとも思うので......。


──戦争を止めるためには看護師じゃなくてジャーナリストになる方がいいと思いつつも、いまだに看護師として活動し続けているということはやっぱり看護師の方がやりたいということなのでしょうか。

そうですね。そもそも国境なき医師団に入ったのは紛争を止めたいからではなく、看護師として人道援助をしたいと思ってたからです。今従事している活動もとても大事だと思い直しましたし、看護師だからこそ伝えられる事もたくさんある事に気づきました。

白川優子(しらかわ ゆうこ)

白川優子(しらかわ ゆうこ)
1973年埼玉県生まれ。国境なき医師団・看護師

7歳の時にテレビで観た国境なき医師団に尊敬を抱く。高校卒業後、4年制(当時)の坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学。卒業後、埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として働く。2003年、オーストラリアに留学し、2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部入学。卒業後は約4年間、オーストラリア・メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年、国境なき医師団に参加し、イエメン、シリア、パレスチナ、イラク、南スーダンなどの紛争地に派遣。またネパール大地震の緊急支援にも参加。2010年8月から2017年7月までの派遣歴は通算14回を誇る。

初出日:2017.07.03 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの