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2017.05.08  取材・文/山下久猛 撮影/那須川薫(スタジオ・フォトワゴン)
取材協力/一般財団法人C.W.ニコルアファンの森財団(一部写真提供)、
宮城県東松島市、児童養護施設支援の会

震災で甚大な被害を受けた東松島市

2011年3月11日に発生した東日本大震災によって東北の太平洋沿岸部は甚大なダメージを被ったが、中でも宮城県東松島市は死者1110名、行方不明者24名という壊滅的な被害を受けた。学校も14校ある小中学校のうち8校が大津波で浸水し、特に野蒜小学校、浜市小学校、鳴瀬第ニ中学校の3校が使用不能に。多くの子どもたちが長らく仮設校舎での学校生活を余儀なくされ、さらに家や家族を失うなど過酷な経験をしたことで心に大きな傷を受けた。

被災した野蒜小学校(写真/冊子『WAVE』vol.4より)

被災した野蒜小学校(写真/冊子『WAVE』vol.4より)

この大震災による惨状を知り、長野県の黒姫の森に住む1人の男が動いた。30年近い年月をかけて森を蘇らせたC.W.ニコル氏(以下、ニコル氏)である。ニコル氏は2011年3月14日、震災のわずか3日後に東北の子どもたちを支援するべく東京でスタッフを集めて緊急ミーティングを開催。「震災で受けた子どもの心の傷を癒やすのは森しかない」とアファンの森に被災地の子どもたちを招待する「5センスプロジェクト」を企画。ニコル氏は当時の思いを「森には傷ついた心を癒す効果や生きる希望を与える力があるんです。生き物たちが命の輝きを取り戻した森は、被災地の子どもたちを必ず元気にしてくれるとわかっていたので招待したんです」と語る。

C.W.ニコル-近影02

ニコル氏が代表を務める一般財団法人 C.W.ニコルアファンの森財団(以下アファンの森財団)は各被災自治体に招待の連絡を送った。しかし当時、多くの自治体は「今はそんな余裕はない」と辞退。そんな中、唯一東松島市の教育委員会だけがその申し出を受けた。当時の教育次長は「温泉旅行やスポーツ観戦などは各方面から沢山のお誘いをいただいていたのですが、被災地の子どもたちに一番必要なのは、アファンの森のプロジェクトのような自然の力によるケアだと思ったのです」と振り返る(※詳しくはWAVE vol.4を参照

かくして2011年8月、東松島市在住の7組27人の家族が、9月にも11組31人がアファンの森を訪れた。このプログラムに参加した家族の中に、山田真理さん(母)、明日香さん(長女)、ゆうたくん(長男)、ともみさん(次女)一家がいた。震災当日、この家族は野蒜小学校の体育館に避難していた。津波に襲われて大勢の人が亡くなった場所だ。

「私もこの子たちも実際に体育館に流れ込んできた津波に流されたり、目の前で沈んでいった人たちを見たりしてるんです。運よく命は助かりましたが、心身ともに受けた傷ははかりしれません。震災後も長らく、家族全員があの日のことについては全く話せませんでした。ですので、アファンの"心の森プロジェクト"を知った時は、この森に行けば少しでも気持ちが変わるかもしれない、心に溜め込んでいるものを吐き出すきっかけになるかもしれないと思い、参加したんです」(山田真理さん)

「5センスプロジェクト」で子どもに笑顔が戻った

5センスプロジェクトに参加した山田さん一家(2011年8月撮影/前列右端から長男のゆうた君、次女のともみさん、母の真理さん)

5センスプロジェクトに参加した山田さん一家(2011年8月撮影/前列右端から長男のゆうた君、次女のともみさん、母の真理さん)

子どもたちは命あふれる豊かな森で伸び伸びと遊んだ。当時小学3年生だった山田ともみさんは「森の中でブランコに乗ったりしてめっちゃ楽しかったです。あといろんな地域から来てる子たちと交流できて、友達もたくさんできたので、参加してよかったと思いました」と笑顔で語る。姉の明日香さんも「私たち家族が元々暮らしていたのは野蒜という地区なんですが、自然がいっぱいあったので、小学生の頃から友達と山で遊んでいました。でも、震災で家が流されて別の町へ引っ越してからは、自然の中で遊ぶということが少なくなりました。なので、アファンの森に行った時は久しぶりに野蒜以上の豊かな自然と触れ合えてすごく楽しかったです。震災ではつらい思いをしたし、当時はまだ余震もすごく多くてそのたびに恐怖を感じていたのですが、森で遊んだらつらい気持ちがすごく楽になりました」と振り返る。

現在の姉の明日香さんと妹のともみさん(2017年3月撮影))

現在の姉の明日香さんと妹のともみさん(2017年3月撮影)

初出日:2017.05.08 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの