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2017.04.10  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

あるお母さんとの会話でニーズを確信

──具体的にはどういうふうにして調べたのですか?

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ネットを使っていろんなデータを調べたり、直接いろんな人に会ったりして、会社を辞めた人の退職理由やリタイアした人たちの社会参画したい思いなどを聞き取り調査したりという、いわゆるニーズマーケティングをやりました。

その中で結果的に起業を後押しするすごく印象的な出来事がありました。通ってた職業訓練校の横に幼児教室があって、建物内の共用コミュニティスペースがあったのですが、ある日私の娘と同じ年頃の子を連れたお母さんがおやつを食べてたんです。これまでも2、3回見かけたことのある親子で、私は自分の子どもとお昼にデパ地下で買ってきたスイーツをのんびり一緒に食べるなんていう経験がなかったので、「この時間にお子さんとスイーツを食べられて優雅でいいですね」と話しかけたらすごい嫌そうな顔をされて「何の嫌味ですか」と。「いやいや全然嫌味とかそんなつもりじゃなくて、同じくらいの年の子どもがいるんですが私はそんな経験したことがなくて」と言ったら、「あなたこそ自分でお仕事なさって好きな時間に好きなもの食べられていいじゃないですか」と言われて。

「いやいやいやいや、むしろ自由な時間なんてなくて、会社が終わったら電車の中でも走りそうな勢いで子どもを迎えに行ったり、しょうもない会議の時は無駄な時間だと思いながらも1時間3000円のベビーシッター代を払って子どもを預けたりしてたんですよ(苦笑)」と言うと、ベビーシッターについて聞かれたので、本を読み聞かせてくれたり、私が作ったごはんをレンジで温めて食べさせてくれたりという程度だと教えると、「え、たったそれだけのことために1時間3000円も払ってるんですか? 家が近かったら1000円でも500円でも行ってあげられるのに。そういうことを頼める人、近くにいないんですか?」と。私はそもそも誰かにお願いすることがすごく苦手だし、周りの友だちもみんな働いている人ばっかりだからお願いするのも悪いと思ってしょうがなくベビーシッターに頼んでいたのでそう答えると「近くに頼れる人がいたら私だって頼りたいし、子どもにも友だちできるし助かりますよね~」って言われて、「そうそう、助かる助かる!」って意気投合しちゃって。

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このお母さんとの会話で、「世の中には自分の子どもだけでも大変なのに他人の子どもまで見てあげたいという人が確実に存在する。しかも格安の料金で」ということがわかったんですね。で、その時ふと、こういう人はもっともっといるんじゃないかと思ったんです。疑問に思うことはすぐ調べるというのがこれまでの職業人生で身に染み付いているので、いろいろと調べはじめたんです。すると、国民生活白書によると世の中の80%の人が社会貢献をしたいと答えているし、子育てに焦点を当てて支援希望者を募ってみただけでも、元保育士とか幼稚園教諭とか、PTAや保護者会の役員を率先してやっているような方がたくさん立候補してくださったんです。同時に子育てを頼れる人が誰もいないから会社を辞めちゃったとか、鬱になったとか、2人目を産むのが恐くなってあきらめている人もたくさんいることがわかってきました。こういう頼りたい人と進んで支援したい人たちが間違いなく存在しているのにつながってないってますますもったいないじゃないですか。これは絶対に誰かが何とかつなぎ役をしなきゃいけないと思い、何をどうしたらいいのかはわからないけど、まずは小さい子どもをもつ親同士の頼り合いから始めたらどうだろう! と思ったんです。

その時、子どもは自分の命よりも大事な存在なので誰でもいいというわけにはいかないものの、知っている人がそもそもいない人が多い中で、まずは「近所の人と仲良くなる」というリアルな機会と、知ってる人たち同士で頼り合える便利で安全な仕組みをインターネットの力で作りたい、つまりリアルとネットの両輪でやろうと思ったんです。この時の思いは今も昔も変わってないんですよ。

起業するつもりはなかった

──そこから起業するわけですね。具体的にはどう動き始めたのですか?

いえ、それが元々自分で起業してこのような事業をやるつもりなんて毛頭なかったんですよ。なので、前職の元同僚や新規事業に興味がありそうな人たちに「子育てを頼り合えることを事業化するってすごく大きなマクロニーズを捉えてると思うんだけど」という話をしたりしていたのですが、「それってお金になるの?」みたいなことをすごく言われて。

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お金になるかならないかという観点で言えば、当時からベビーシッターを利用するような人たちではなくて、いわゆる普通の主婦が電車やバスに乗るような感覚で使えるようなものでないと意味がないと思っていたので、女性の平均時給が1500円ということを考えるとそれ以下の料金で子ども一人、二人を預けてもまだ給与が残るような価格帯でのサービスでなければいけないとは思っていましたし、そうなるとその金額から仲介料をとったところでたかが知れているな、ということは容易に想像できたわけです。しかも、知人友人を頼るのに手数料を取られる、ということにも違和感があるだろうなという感覚もありました。一方で、広告モデルが成り立つとも思えなかったし、会員費を払ってまで使うかどうかわからないサービスの会員に多くの人がなるとも思えなかった。つまるところ、自分でもこの事業でどうやれば利益を生み出せるかというところまではまだ答えを見つけられていなかったんです。だったらこれは公共性が高いであろう事業だからと、行政の窓口に行って提案したこともありましたが、いきなりの招かれざる客状態で延々トンチン感な対応をされちゃって(笑)。

でも子育てを頼りたい人と助けてあげたい人の両方を繋げることには絶対にニーズがある。ユーザー調査をすることでそれが見えていた。これってビジネスのシーズ、種だと思ったんですよ。ニフティでもビジネスモデルを考えて特許を取ったり新規事業を考えたり、投資会社で広報をやっていた経験から、これから伸びるサービスは世の中のニーズがあるということが絶対条件なんですね。そのニーズがあるということがわかった瞬間、ビジネスモデルは今は見つからないけれどそれさえ見つかれば絶対なんとかなると確信したんです。当時は何の確証もない確信、直感に近いような感じでしたが。

結局、頼り合いができないってこんなに大きな社会問題で、こんなに世の中ニーズがあるのに誰も自分事としてやらないのであればいっそ自分でやるしかないと決意したわけです。この時、2009年7月末、33歳の時から起業に向かって動き出したんです。

退職金を資本金にしてスタート

無限大の可能性と使命感の賜物

──自分で起業するしかないと決めてから、具体的にはどのように動いたのですか?

事業ってミッション、ビジョンに共感する人たちが集ってこそできると思ってたので、まだ何にもないところから一所懸命、社名やミッション・ビジョンを考えて、「共助社会のインフラをつくる」ということに共感する創業メンバーを全国から集いながら、11月の頭には自分で作った定款を役所に提出して「株式会社AsMama」を立ち上げたんです。

スタッフはブログとSNSで募集しました。200人ほど応募があったのですが、収益モデルもできていない状態ですし、すぐに給料が払えるという状況でもないということを理解した上で、それでも一緒に作り上げていくんだという気概のある人たちと一緒に始めたいという思いがあったので、参画希望者とは面談をしながら、創業メンバーを一人、二人と集めていきました。結局、50人ほどの方と面談して、最終的に12人の方々と一緒に事業をやることになりました。メンバーは埼玉や大阪、佐賀などいろんなところに住んでいました。 そもそも優秀な人材を募集するなら地域限定で人材を募集する意味もないと思っていたので、創業当時から(現在もですが)就労は全国どこからでもリモートワーク(在宅勤務)スタイルで参画できる環境でやりたいと思っていたんです。

人件費も時間拘束で給料が払える余裕はないので、やってもらった成果で払いますというレベニューシェア方式で始めました。創業資金は金融機関から借りたら当たり前ですが計画通りに返すということを優先せねばならず、投資を受ければ株主のリターン最大化を優先せねばならなくなります。それでは共助インフラを創る、というミッション・ビジョンを最優先することができない状況を生みかねず本末転倒なので、立ち上げ時は私の退職金だけで始めました。


──具体的にはどういう活動から始めたのですか?

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最初は支援したい人と支援してほしい人が出会う機会を作ることと、出会った人たちが頼りあえるネットの仕組みを作ることから取り掛かりました。人は「子育てを頼りたい人と支援したいと思っている人たちが集まって仲良くなる機会を作ります!今回は、○○をテーマに一緒に楽しみましょう」といったチラシを作って町内会の掲示板に貼り付けたり、SNSを使って集めました。数十人が集うこともあれば、一人も集まらないこともありましたが、創業して3ヵ月で100回ほど東京、大阪、名古屋、横浜と各地で交流会を開催しました。

交流会では1人ずつ自己紹介をした後、支援してほしい人としたい人にわかれて、支援したい人を囲んだグループワークをしたり、住んでる地域でわかれて地域情報を共有したりしていました。

当時、こうした交流会は参加者から数百円から数千円の参加費をいただいて成り立たせていたんです。でも実施していくうちに、そもそもあまり経済的に決して余裕があるわけではない子育て世帯こそが近所に友達を作って頼りあえるようにしたいと思って始めたのに、そういう参加者からお金をもらって運営し続けるというやり方では、やりたいことができていない、これは全くやりたかったことと違う、と気づいちゃうわけです。

一方で、一緒にこの事業を立ち上げて協力してくれている創業メンバーに早くお給料を払えるようになりたいとも強く思っていたので、もっとまとまったお金を得る方法も考えなくてはいけませんでした。そこで交流会に企業スポンサーをつけようと大規模イベントを企画し始めたんです。例えば「0歳からのクラシックコンサート」や「親子で楽しむ夏祭り」みたいなイベントを開催してたくさんの親子連れを集め、協賛してくれる企業は参加者にチラシを配ったりアンケートを取るなどのマーケティング活動ができるという仕組みです。

企業から罵声を浴びる

しかし、あらゆる意味でこれもうまくいきませんでした。音楽イベントではコンサート会場で友達を作りたいと思う人なんていないので、参加者同士が友達になるということにはなりませんでした。「私たちは頼り合える社会をつくりたいと思って本日みなさんに集まっていただきました。ぜひ隣の人たちと交流してみてください」と言っても、会場中が「は?」という感じになる、みたいな。「今回このようなイベントを無料でやらせていただいているのは本日協賛いただいている企業様のおかげなので、アンケートのご協力やブースの立ち寄りをお願いします」と協力を呼びかけても、参加者は音楽を聞きに来たり、夏祭りを楽しみに来てるだけなので、いきなり企業紹介なんてし始めると逆に不信感でいっぱいになるばかり。会場でチラシを配ったりアンケートを書いてくださいとお願いしても協力なんてしてくれません。

企業にしても、1000人の参加者に対して自社のサービスや商品を快くPRできたりマーケティングができるというから高い協賛金を出しているのに、イベント当日、出展企業に興味をもって近づいていく人なんていませんからアンケートをお願いしても片手枚数くらいしか回収できなかったり、商品が売れるなんてことも当然ありません。だからご協賛企業からも「話が違うじゃないか!」「これじゃ詐欺だ」とかなり怒られたこともあります。こちらとしては「申し訳ありません」とただひたすら謝るしかありませんでした。

このようなことが続いたことで、私ってイベント参加者に嫌がられる企業紹介と、企業にとって何のメリットもない出展提案をコーディネートするイカサマイベント屋みたいになっちゃっていると自分でも思いました。その瞬間、これは絶対違う、誰もハッピーではないこんなことはもうしちゃいけないと思ったんです。かといって次に何をしていいかわからない。完全に袋小路に迷い込み、暗中模索という状況に陥りました。

メンバーからも罵倒、絶望的な状況

それで一緒にやってるメンバーに「私たちって頼り合える社会を作ることで社会課題を解決したかったはずなのに、今は単なるイベント屋のようになっている。でもこれって違うよね」という話をしました。メンバーからは「それはわかるけど、じゃあこれからどうするの?」って聞かれたんですが、「いや、私にもわかんない」って答えるしかなくて。そしたら当然ながら「わかんないってどういうこと? あなたが成長の軌跡を描く事業をリードするっていうからここまで一緒にやってきたんだけど」と、激怒されました。

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ほぼ全メンバーから、「ふざけんな!」「人でなし!」「ろくでなし!」「嘘つき!」「イカサマ!」ってメールや電話で連日罵声を浴びせられました。そもそも最初にこういうことをやりたいと40ページもの事業計画書を作ってメンバーとビジョンを共有したのですが、最初の1ヵ月目から思い描いた通りにはなりません。でも、私を信じて一緒に時間や労力を投資してきてくれたメンバーです。しかも創業メンバーはプログラマーとかデザイナーとかフリーの人が多かったのですが、AsMamaの仕事をするために、他の仕事の依頼を断りながらかかわり続けてくれていたんです。だから私に対してふざけんな! という気持ちも至極当然です。今だからこそ言えるんですが、たとえ次の一手がわからなくなっても、これから何を目指すかの方向性さえ示せなくなったら経営者としての存在価値はありません。「社会のために役に立つインフラを作り、必ず経済的リターンも両立して求めよう。そのために力を貸して」と叫んでいた経営者が、これからのことなんてさっぱりわからないと開き直ったか、さじを投げたかのような言動をとれば、それはついてきてくれた人たちにしてみればたまったもんじゃないですよね。

資本金を崩してでも自分たちの労に対していくらかでも払えというような声すらありました。私としてもこれまでまともな給料さえ払えなくて本当に申し訳ないという思いから、そういう選択肢を取った方がいいのかな、とも迷いました。でも、それで得られるものは私が一時的に罪悪感から逃れるためだけの自己満足でしかなく、この先事業が続けられなくなることは明白です。私はもう一度だけ、と創業時の思いに立ち返り、社会のために誰もが気軽に頼り、頼られるインフラを作るんだ、いつかみんなに還元できるくらいにまで成長することがみんなへの感謝と恩返しになるんだと自分に言い聞かせて、事業の継続を優先しました。

その結果、1人を残して11人が怒号を飛ばして辞めていきました。それ以来5年以上にわたって、同じ季節が来るたびに体に帯状疱疹や蕁麻疹が出るようになりました、自分が思っていた以上にしんどかった日々だったんだろうと思います。これまでも、今でも、彼らに対する感謝の思いを、申し訳なさを忘れたことはありません。

やめるなら今だ

──かなり精神的にきつかったでしょうね。でも1人は残ってくれたんですね。

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残ってくれたのは、岐阜在住の今でも当社に在籍してくれている唯一の創業メンバーです。でも当時、2人目を妊娠していたので、実質私一人になっちゃった。この時、やめるなら今だなと思いました。すべてがうまくいかず、ついには一人ぼっちになり、お先真っ暗で出口が見えないという状況になっちゃったので。

それまで毎日ビシっとしたスーツと高いハイヒールで社内を闊歩して、毎月の給与振込が何日かさえ気にしたこともないような生活から、1年間お金が出ていく一方の状態になり、そんな中で届く前年度の年収に応じた納税の通達。家族にも申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

さらに追い打ちをかけるように、前職を辞めたタイミングで登録していた転職エージェントからは、高額給与でのヘッドハンティングのメールが頻繁に届いていました。気持ちが揺るがなかったといえばウソになります。この話を受けてその会社に入った方がいいんじゃないかと、本当に喉から手が出かけました。でもそのたびに、今はまだ...と、お断りしました。


──そこでその企業に入らなかったのはなぜですか?

私にはまだやるべきことがあったからです。


インタビュー第3回はこちら

甲田恵子(こうだ けいこ)

甲田恵子(こうだ けいこ)
1975年大阪府生まれ。株式会社AsMama 代表取締役CEO

関西外語大学英米語学科入学後、フロリダアトランティック大学留学を経て環境省庁の外郭団体である特殊法人環境事業団に入社。役員秘書と国際協力関連業務に従事。2000年、ニフティ株式会社入社。マーケティング・渉外・IRなどを担当。2007年、ベンチャーインキュベーション会社、ngi group株式会社に入社し、広報・IR室長に。2009年3月退社。同年11月、33歳の時に誰もが育児も仕事もやりたいことも思い通りにかなえられる社会の実現を目指し、株式会社AsMamaを創設、代表取締役CEOに就任。2013年、育児を頼り合える仕組み「子育てシェア」をローンチ。多くの子育て世代の支持を得ている。著書に『ワンコインの子育てシェアが社会を変える!! 』(合同フォレスト刊)がある。

初出日:2017.04.10 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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