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2017.03.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

修行の仕方

──職人の世界は技術を手取り足取り教えてくれるわけじゃなくて見て盗めみたいなイメージですが、実際はどうでしたか?

村田明彦-近影8

やっぱり見て盗めという感じはありましたよ。師匠のやってるのを真剣に見てないと聞くこともできないし、まともに仕事をすることもできないですからね。ちゃんと見て覚えるということは大事です。そもそも、メインの仕事はお客さんにおいしい料理を出すことであって、下の者の教育をすることではないので、「手取り足取り教える」なんか絶対無理なんですよ。だから師匠の仕事を見て感じて、知りたい点を聞いたり、師匠が仕事をやりやすいようにサポートして、師匠の手を空けておいて、自分が気になるところを教えてもらうようにしてました。


──師匠は知りたいことを聞いたらちゃんと教えてくれるんですか?

もちろん教えてはくれるんですが、何の努力もしないやつがただ単に教えてくれと言ったってちゃんと教えてもらえるわけはないですよね。だから教えてもらえるためにちゃんと仕事をすることが大事なわけです。


──その後のステップアップは?

通常のステップアップの工程としては、焼き場の後は、お刺し身、お造りを作る人の補助の「脇板」になります。その後、煮方の補助の「脇鍋」に。その後、造りのメインになって、現場で実際に作る料理人の最終段階の「煮方」になります。その後は副料理長、そして板場のトップである料理長へ。それが1年おきくらいに変わっていくんです。

でも自分の場合は、上の人が次々と辞めていったので、いろいろ早く仕事を覚えさせていただきました。


──能力のある人は入社年次に関わらず、上に行けるんですか?

行けません。年齢と経験年数で決まります。ただ自分の場合はたまたま上の人間が次々辞めてったから、仕事を覚えるのが他の人間よりすげえ早かったんですよね。覚えなきゃいけない立場になったのが早かったから。これもラッキーだったと思います。あとは先輩や上司がよかったというのも大きいと思います。


──先輩がどんどん辞める理由は?

給料が安くて仕事がつらいというのが主な理由だったんじゃないですかね。独立して自分の店を持つという理由で辞めた人はほぼいなかったです。自分は給料の足りない分はパチンコで稼いでました。相当通ってましたね(笑)。

独立するつもりが支店へ異動

入社して10年が経った2002年、28歳のときに、かねてから決めていた通り、独立して自分の店をもちたいからなだ万を辞めますとオヤジさん(料理長)に言ったら、ちょうどその頃オープンしたばかりの新しい店に入ってみないかと。今辞めるより、その支店に行った方がきっといい経験が積めるからと言われたので、行くことにしました。

村田明彦-近影10

──支店に行ってみてどうでしたか?

支店では献立を書くとか、これまでやったことのない仕事ができるようになっておもしろくなりました。結局支店には3年間いたのですが、いろんな勉強ができたので料理人としてまた一段成長できたと思います。なので、28の時にオヤジさんの言うことを聞いて支店に行ってよかったと思いましたね。

13年でなだ万を卒業

──その後、なだ万を退職するわけですか?

そうですね。正式に退職したのは2005年、31歳の時です。なだ万で働いていたのは本店、支店合わせて13年で、予定より3年長くなってしまいましたが、この13年間は相当大きいですね。自分の料理人としての基礎をすべて作ってくれたので。最初は軽い気持ちだったのですが、なだ万に入って本当によかったと思いました。損することが何にもなかった。

料理の腕が鍛えられたのはもちろんですが、そういうのってやってれば誰でも勝手に身につくもんなんですよ。いつの間にか大根がむけるようになったり、刺し身がきれいに引けるようになったりとかね。でも料理の勉強が全般的によくできたというのはその時しかないので。人との出会いも含めて全部よかったです。


──なだ万時代の忘れられない思い出は?

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初めてふぐの薄造りを作ったことです。もちろんふぐ調理の免許はもってましたが、これまでやったことないんですよ(笑)。でもお客さんにおいしいと言ってもらえてうれしかったですね。今考えたらふぐの刺身を引くのは初めてだったので、きれいに引けてなかったと思うんですよ。でも「全部お前に任せるから」とやらせてくれた兄貴分の人がすごく器がでかいと思いますね。全部教えてもらいながらやったので何とかなったんです。

あと、初めてメインの煮方を張った時もずっと脇について教えてくれて。ありがたかったですね。だから誰の下につくかでも料理人の成長度合いって全然違うんですよ。でもさっきも言いましたが、そういう環境を自分で作んなきゃいけないんですよね。そこが重要なんです。

村田明彦(むらた あきひこ)

村田明彦(むらた あきひこ)
1974年東京生まれ。料理人。「季旬 鈴なり」主人

幼少期から祖父が東京・門前仲町で営んでいたふぐ料理店で遊んでいたことから料理人を志す。千葉の商業学校卒業後、老舗日本料理店「なだ万」に入社。13年修業を積み、2005年「季旬 鈴なり」開店。2012年に初めてミシュランの1つ星を獲得。以降、2017年まで6年連続で獲得中。リーズナブルな値段で本格的な日本料理が食べられるとあって幅広い層から人気を博している。雑誌やWeb、テレビなど各種メディアでも活躍中。2015年にはミラノ万博に和食の料理人として参加。農林水産省「和食給食応援団」のメンバーとして和食文化の振興、「チームシェフ」の一員として地域活性化にも取り組んでいる。

初出日:2017.03.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの