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2017.03.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

「干される」から「かわいがられる」に

──そこで辞めてお爺さんの店に戻らなかったのはなぜなのでしょう?

村田明彦-近影4

確かに最初はかなり軽い気持ちで入ったんだけど、今思えばすごい負けず嫌いだったんでしょうね。調理師免許って2年間現場で働かないと試験を受ける資格がもらえないんですよ。だから辞めるにしてもせめて2年間働いて調理師免許だけは取ってからにしようと。

また、そうやって先輩や上司の言うことを聞かなかったり、楯突いてばかりいると、誰も相手にしてくれなくなったり、仕事を回してくれない、いわゆる干されるみたいな感じになっちゃったりして、一個もいいことないんですよね。何より料理人として成長できない。それで、これはまずいと思い、以降は先輩の指示には素直に従うようにしたりと言動を改めました。だからすべては自分のためです(笑)。でもそもそも上下関係をきっちりしなきゃいけないというのはどの職場でも当たり前のことなんですよね。当時は上下関係を経験したことがなかったのでわからなかったのですが。

あとは先輩や自分に負けたくないという気持ちも強かったと思います。だから人間関係がめんどくさいから辞めちゃおうという気持ちにはならなくて、どうしたら仕事ができるようになるかなとか、早く先輩より仕事ができるようになりたい、追いつき、追い越したい、そのためにはどうすればいいかを考えて行動するようになったんです。

入店したての頃は遊びたかったので、仕事が終わって寮に帰ると車で迎えにきた友だちと一緒に遊びに行き、朝まで遊んでそのまま店に出勤するという毎日だったのですが、このままじゃダメだ、ちゃんと真剣に仕事に取り組もうと思ってあまり友だちと遊ばなくなったんです。それを10年間続けました。

やっぱり自分が成長したければ人に教えてもらえるような環境を自分で作らなきゃいけないんですよね。

そういう経験ができてよかったですね。料理に対する思いがそこで培われたり、目上の人にはちゃんと失礼のないように接しなきゃだめなんだということを身をもって学べたので。入社して1、2年はそういった今まで経験したことのないような環境での人生勉強みたいな感じでした。


──料理人がたくさんいる環境の中ではうまく人間関係を作っていくことも重要なんですね。

やっぱり人間関係が苦手というのは、結局全部自分のせいだと思うんですね。自分が相手から逃げればどうしても苦手になっちゃうわけじゃないですか。だから積極的に自分から聞いたり話しかけたりする。でも自分からコミュニケーションを取ろうとしても反応が返ってこないような人は逆に相手にしない方がいいと思いますけどね。


──すべては早く一人前になりたいという気持ちからですか?

そうですね。当時は、今の若い子は10年働いても1人前にならないとか仕事ができるようにならないって言われてたので、自分は8年で全部覚えてやろうと思ってたんですよ。で、もう最初の段階で10年でなだ万を辞めて自分の店をやろうと決めちゃったんですよね。これが大きかったと思います。そのためにはちゃんとしなきゃなと。

料理人としての修行

村田明彦-近影6

──料理人としての具体的な修業はどのように積んでいったのですか?

入ったばっかりの頃はほとんど立ってるだけでしたね。物を片付けたり、洗い物をしたり。といっても器はものすごい高級品で絶対洗わせてもらえないんで、調理道具を洗ったりとか、店の外の掃き掃除をしたりとか。

もちろん食材もしばらくは触らせてもらえませんでした。まかないをやらせてもらえようになったのも何ヵ月か経ってからです。でもこれがよかった。しばらく触らせてもらえなかったからこそ、ようやく触ったときのありがたみが大きくて。この皮を残してまかないにもってこうとか、根っこは捨てないで砂を取って使おうとか、食材を大事にするようになったので。それから料理の下処理をするようになりました。

このような下積み仕事は普通は半年から1年で終わって、次の段階に行くのですが、自分の場合は2、3年ほど続きました。次の年に入ってきた新人がすぐ辞めちゃったので、下積みの期間が長くなったんです。それもラッキーでしたね。


──ラッキーというのは?

下積みの仕事を長くやることで、こまごまとしたやらなきゃいけないことに気づきやすくなったんです。しかもそれをやりつつ調理の仕事もできたから人より余計に修業ができて得をしましたね。

異例の昇進

──2年目以降は?

村田明彦-近影7

八寸場という部署に回されて、前菜を盛ったり、野菜の下処理をして、煮方に回す仕事をするようになります。その後、魚などを焼く焼き場に行けます。ここまで来るのに本来は4年くらいかかるのですが、自分はたまたま焼き場の先輩が辞めたので、3年目くらいから焼き場に入れたんです。今考えたらすごいことですよね。


──一般企業でいうスピード出世ですね。3年目に焼き場に行ってすぐ焼きができるものなのですか?

もちろんできないです。でも焼き担当だった人が辞めて自分がその立場に就くとなった時に、すぐにサポートに回らなきゃいけなかったんです。自分の担当の仕事をしながら、焼き場の仕事も覚えなきゃいけないんでけっこう大変でしたね。

2年経って調理師免許を取ったら、ふぐ調理の免許を取ろうとか、どんどん目標を立てて頑張るようになりました。そうしてたら段々仕事がおもしろくなっていったんですよ。

村田明彦(むらた あきひこ)

村田明彦(むらた あきひこ)
1974年東京生まれ。料理人。「季旬 鈴なり」主人

幼少期から祖父が東京・門前仲町で営んでいたふぐ料理店で遊んでいたことから料理人を志す。千葉の商業学校卒業後、老舗日本料理店「なだ万」に入社。13年修業を積み、2005年「季旬 鈴なり」開店。2012年に初めてミシュランの1つ星を獲得。以降、2017年まで6年連続で獲得中。リーズナブルな値段で本格的な日本料理が食べられるとあって幅広い層から人気を博している。雑誌やWeb、テレビなど各種メディアでも活躍中。2015年にはミラノ万博に和食の料理人として参加。農林水産省「和食給食応援団」のメンバーとして和食文化の振興、「チームシェフ」の一員として地域活性化にも取り組んでいる。

初出日:2017.03.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの